05 誰かのためを思うって

「注意してもらえるなら、いいことじゃない?」

 チャルナが口を挟んだ。

「誰も気にかけてくれなくなったら、寂しいよ」

「せっかくだけど『気にかけてくれてる』と『目をつけられてる』ことの区別くらい、つくね」

 それがエイルの言だった。

「あいつは! 俺を見かけるたびに絡んでくるんだ!」

「そんなことないだろう」

 思い違いだとザックは言ったが、エイルはぶんぶんと首を振った。

「まじだぜ。大まじ。ったく、俺が何したってんだよ。こちとら確かに貧乏人だけど、日々真面目に働いて悪事には一切、手ぇ出さないってのに」

 その通りであること、ザックはよく知っている。

 生活が厳しい下町仲間には、小金のためにちょっとした悪事をはたらく者も珍しくなかった。ザックが町憲兵になってからは彼らの方から疎遠にし、いまでは街で見かけても避けられるくらいだ。

 だがエイルは、後ろ指を指されるようなことは決してやらない。朝早くから毎日仕事を探して、母親とふたり、貧しくても頑張っている。

「判った。トルーディには言っておくよ」

 大先輩は怖ろしいが、友人のためには彼も頑張らなくては。

 もっとも――本当のところは、トルーディにはエイルを「気にかける」理由がある。

 だが少年たちは、それを知らない。

「まあ、今日はもういいや。とにかく爺のことは、まじで頼むぜ」

 どうにかしろ、と言うとエイルは手を振った。

「邪魔したな。ほんとに。俺は帰るわ」

「ちょっと待って、エイル。ご飯食べた?」

「……喧嘩売ってんのか? 腹減ってること、忘れようとしてんのに」

「そう。よかった」

「何ぃ!? やる気なら買うぜ!」

 小柄な少年は、戦闘態勢を取った。

「これ。持ってってくれない?」

 ザックはそれを無視して、手にしていた包みを差し出した。

「何だよ、それ」

 エイルは勢いを落とし、胡乱そうに見る。

「食事処でもらったんだ。夜食にでもって」

「要らねえよ。お前がもらったんなら、お前が食えよ」

「金品じゃなくても、何かもらうと怒られるんだ。でも断れなくて。トルーディに知れたりしたら、すごく怒られる。困ってたんだよ」

「……まあ、それなら仕方ないな。お前は、押しが弱いもんな」

「そうなんだ」

 はい、とザックは再び差し出した。エイルは少し迷って、ぱっと奪うように受け取る。

「――あんがとな」

「俺だって助かるんだよ」

 ザックはしかめ面を作ってそう言った。エイルは笑う。

「よっしゃ、それじゃ貸し借りなしだな。あとはしっかりやれよ、ザック」

「もちろん。無事にお送り届けるよ」

「そうじゃなくて……まあいいか」

 エイルは首を振ると、にっと笑った。

「んじゃまたな、ザック、チャルナ」

「うん、またね」

「気をつけてねー」

 踵を返したエイルに声をかけて、数トーア、沈黙が降りた。

「……いいの?」

「え?」

「ご飯」

「ああ」

 ザックはうーんとうなった。

「ごめん。変なことして」

「ちっとも、変じゃないと思うけど」

「エイルはさ、知ったら怒ると思うんだ。哀れんで見下してるのかよ、馬鹿にすんなとかって」

「だから、あんな嘘を?」

「何て言うか……俺が固定給をもらってて、彼がそうじゃないのは、たまたまだから」

 自分が町憲兵になろうと頑張る間、支えてくれたのは両親だ。ザックは毎朝仕事を探さなくても、食べることができた。

「でもそういうこと言っても、たぶん怒るから」

「優しいんだね」

「そんなんじゃないよ」

 慌てて、ザックは手を振った。

「エイルがいつか大物になったら、あのときはこれこれこうだったんだぞ、って言って何かしてもらう」

「それって」

 チャルナは笑った。

「やっぱり、優しいじゃない」

「な、何で?」

「お友だちが大物になる、って思ってる」

 くすくすとチャルナは笑い続け、そういう理屈で合っているのだろうかとザックは首をひねった。

(……あれ?)

(何だか、普通に、話せてる)

 制服を着ていない――「私服だ」という文字通りの意味ではなく――自然体のザックをチャルナは初めて目にし、「町憲兵」の肩書きがつかないザック少年に話をしていた。

(これは、もう)

(むしろエイルに借りができたかな?)

 彼としては飯のことで貸しを作ったなどと思っておらず、エイルが「貸し借り」などと言ったから浮かんだ一語であったが、仮に「貸しだ」と考えていたとしても帳消し、いや、それ以上である。

「ラ・ザイン神殿でいいんだよね」

「ええ、そうよ」

「遅くなっても、怒られないの?」

「神女見習いとして置いてもらってる訳じゃないし、ラ・ザイン神殿ってけっこう規範が緩いの。あ、神官たちがだらしないってことじゃないのよ。規律で縛るんじゃなくて、自分の責任で物事を為しなさい、って感じかな」

「へえ」

 ザックはあまり神様に詳しくない。ラ・ザインと言えば〈裁き手〉であり、町憲兵は神官と違う意味で〈裁き手の使徒〉などと言われることがあるが、もちろん神官ではないのだから、ラ・ザインの教義などは叩き込まれないのである。

「神女になろうとは、思わなかったの?」

「うん、そうね、思わなかった。ラ・ザインに神女はすごく少ないし、もし私が神官を志したら、ムーン・ルーやピルア・ルーを勧められたと思うけど」

「それが嫌だったの?」

 神に仕える女性は、概して男性よりも厳しい基準を要求される。よい家では、娘を一年ほど神女見習いの修行に出すことも珍しくないらしい。倫理道徳にはじまり、家事仕事全般、及び子守りや、貞操観念の植え付けなど――嫁に出す際の、箔付けになるのだとか。

「厳しくしてもらった方が私のうっかりは治るような気もするけど」

 笑いながらチャルナは言った。

「嫌だと言うんじゃなくてね。私がそうしたら、シャンシャが、自分も同じようにしないといけないと思っちゃうんじゃないかなって」

 シャンシャというのは、チャルナの妹の名だ。〈麻袋〉亭にくることもあり、ザックも挨拶をした。まだ十代の前半で、チャルナとは四つ五つ離れているという辺りだろう。よく似た笑顔の、やはり可愛い子だ。

「すごいね」

 今度はザックがそう言った。

「そんなふうに、人のためを思えるなんて」

「何それ」

 チャルナは顔をしかめた。

「さっきのザックと、何か違う?」

「うん?」

「シャンシャは私の妹だから、ということはある。でも責任感だけで何かしてる訳じゃなくて、私はあの子が好きだから、あの子の望むようになればいいなって思うの」

 少女は何気ない風情で夜空を見た。〈光星〉コラーレが強く輝いていた。

「これってたぶん、ザックがエイルに思ったり、ユファスがティルドに思ったりするのとおんなじね」

 ティルドというのがユファスの弟であることはザックも知っていた。

「誰かのためを思うって、すごい力になる」

 これって、と少女は視線を地上に戻すと、ザックに笑いかけた。

「幸せだね」

 どきっとする。

(俺は)

(チャルナ、君のことを……君を思うことが、力になる)

 心の浮かんだことを口にするには、それは最良のタイミングであった。たとえチャルナの方でザックを異性としては何とも思っていなかったとしても、印象はいいのだ。恋心を口にすれば、チャルナだって意識するようになっただろう。

 だが彼は、言えなかった。

 それは必ずしも、少年が臆したからだけではない。

 小路の向こうから、ぱらぱらと走ってきた人影があったからだ。

 反射的にザックはチャルナの手を取って道の脇に寄ろうとした。現れた男たちは急いでいる風情で、少年少女がそのまま道の真ん中にいれば、邪魔だと突き飛ばされかねないからだ。

 ザックは見知らぬ男たちをやり過ごそうとした。

 彼らが去れば、少年はつい取ってしまった手に気づいて、顔を赤らめたかもしれない。

 しかし男たちは去らなかった。彼らの前で、足をとめた。

「何だ? ひとりじゃなかったのか?」

「連れがいたらまずいんだろうに」

「だが、もう時間がないから今日やれということだ。面倒臭え、男のガキは殺って海にでも投げ入れちまえ」

 怖ろしい台詞が発せられた。ザックの身に緊張が走る。チャルナも彼の手を強く握った。

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