10 ティオ

 ひとりで行ってもいいんだけれど、とユファスは言った。

「ザックにも、確認してもらいたくて」

「でも、その、正直に言うと」

 少年は頭をかいた。

「〈麻袋〉亭では、チャルナのことばかり見ています」

 ほかの客の顔など見ていない、という訳だ。恋する少年ならば当然だろう。

「……あのですね、ユファス」

「何?」

「もしかしたらチャルナは、ユファスのことが好きなんじゃないかと思って」

 これには料理人の若者は吹き出した。

「何言ってるんだよ。僕ほど、口だけしか出してない人物もいないだろ」

 ひったくりを投げ飛ばしたところを少女が見ていた訳ではない。彼女は話を聞いただけだ。「元兵士さん」にちょっと憧れた風情はあったけれど、彼だと判ってからはそんな様子もないし、〈麻袋〉亭を紹介したのはバール、昨夜、彼女をかばったのはザックだ。

「でも、チャルナと話してるとユファスの話になることが多いんですよ。バールもそうだって」

「バール? 何だ、あいつ、きてるの?」

 あれ以来バールは、厨房で「その後どうだ」なんてにやにや訊いてくることはあるが、店に一緒に行くことはなかったから、ほかに面白いことでも見つけたのかと思っていた。

「ユファスとかぶらないようにしてるって」

「何でまた、そんなこと」

「邪魔しないように」

 また、ユファスは吹き出した。

「何なんだそれは……」

 友人が気を使っているのか面白がっているのか――おそらくは後者だろう。まさかチャルナにあることないこと吹き込んで、ユファスが「格好いい」とでも思わせているのではあるまいか。

(もしそんなことをしてるなら、きつく言ってやらなきゃ)

 自分がからかわれるのはかまわないが、チャルナやザックに気の毒というものである。

「バールが言うことは、気にするなよ」

 とりあえずユファスはそう言った。

「それに、僕と彼女の間では、ザックの話になったりするよ」

「そ、そうなんですか?」

 ザックは目をしばたたいた。

「確かに僕は彼女のことが心配だけど、でも彼女を見ていたら、誰だって心配になるだろう?」

「まあ……それは、確かにそうかも」

「だろ。僕はそれだけだし、チャルナだっておかしな誤解はしないさ」

 気にすることじゃない、と再度言ってユファスはその話題を終わらせた。ザックはすっきりしないという顔をしていた。

 ともあれ彼らは東区へ足を向け、目指す刀屋の前までたどり着く。

 そのときである。

「――ら、待て、どこへ行く気だ」

「うっせえ親父だな、俺の勝手だろ」

「勝手で済むか、俺はお前の父で、雇い主だぞ」

 戸口の外まで聞こえてきた喧嘩調の声音に、ふたりは顔を見合わせた。

「ろくに金よこさねえくせに偉そうに言うんじゃねえよ! け、やってらんねえぜっ」

「待つんだ、シンガ!」

 乱暴に扉の閉められる音がした。

「いまのは」

「裏だ」

 店内を思い出してユファスは言った。確か店頭の奥にひと部屋かふた部屋があり、その向こうに裏口でもある雰囲気だった。

 料理人と町憲兵はどちらからともなく裏へ向かい、角を曲がったところで、見た。

 ユファスと同年代ほどの、ふたりの若者を。

(間違いない)

 これは昨日、ユファスが〈麻袋〉亭で気にしたふたり組に相違ない。少し年上の、ひょろっとした明茶色の髪をしているのが、シンガだ。これももはや確実だろう。

「え……?」

 シンガは、人気ひとけのない路地に入り込んできたユファスとザックに驚き、次にはザックの制服にぎょっとしたようだった。

「ティ、ティオ、あれ」

「しっ、馬鹿、動揺するな」

 という小声のやり取りは、ユファスらの耳にまでは届かなかった。

「こんにちは、町憲兵さん」

 二十歳か、もしかしたら十代かもしれないと見えるもうひとり――ティオは、一リアの鋭い視線を一瞬の半分で消して、にっこりとザックに話しかけた。

「巡回ですか」

「え? あ、いや、あの」

「それとも、いまの怒声を聞きつけてくれた? 立派なもんですね、アーレイドの町憲兵ってのは」

 ティオは感心したような口調で首を振り、それからにやっとした。

「たかだか父子喧嘩にまで首を突っ込むほど暇……いえいえ、平和でたいそう結構だ」

 わざとらしい言い直しに、ザックは少し、むっとした顔を見せた。

「父子喧嘩だと放っておいて、重大な事件に発展すれば、町憲兵の怠慢と言われますが」

「へえ。それはそれは。ここの父子が刃傷沙汰でも起こすと言う訳だ」

「そういう意味じゃ」

「まあ、刀屋だしな。刃物なら売るほどある」

「何、言ってんだよ」

 シンガは慌てたようだった。

「喧嘩くらい、するさ。でも町憲兵の世話んなるようなことはない」

「そういうのは町憲兵隊が決めるんだぜ、シンガ」

 どこか面白そうにティオは言った。

「どうですかね、お若い町憲兵殿。この父子の喧嘩に何か事情を聞きますか?」

「いえ、その」

 次にはザックは、困惑した様子でユファスを見た。

 予定では店に入って、ごく普通の巡回のように「何か変わったことはありませんか」とでもやるはずだったのだ。店主がユファスの顔を覚えていれば、何気ないふりで「自分の包丁を持ちたいんだが予算はどれくらい見ればいいだろうか」とか相談し、折を見て息子の話題でも出そうかと。

 いきなり本人と出会い、なおかつ町憲兵に臆している様子にぶつかるとは。

「……どこかで会ってないか」

 ごまかしても仕方がない。ユファスは切り込むことにした。

「あなたたちの、どちらも」

「は?」

 ティオは口を開けた。

「あ、こいつら、店にいた……」

 はっとなったようにシンガが呟いた。馬鹿、と小さくティオが罵ったのは、やはりユファスには聞こえなかった。

「そう言えば、昨日〈麻袋〉で見かけたような」

 ティオの方から店名を出した。

「ああ、成程。こいつがうろちょろして気持ちが悪いと、店側から通報でも」

 どうにもわざとらしく、ティオはぽんと手を叩いた。

「ティ、ティオ」

 シンガが泡を食ったように彼の袖口を引く。ティオは舌打ちした。

「ティオティオうっせえんだよ、お前は。黙ってられねえなら黙らせてやろうか!?」

 その台詞にシンガはますます青くなり、ユファスとザックは驚いた。

(丁寧なふりをしていたのに、その演技を続けられない短気?)

(……いや、はなから続ける気がなかったと見るべきかな)

 ユファスはティオの態度をそう判定した。

「あーええと」

 即興に強くないザックが困っている。ユファスだって得意ではないが、この「探偵ごっこ」に少年町憲兵を巻き込んだのは彼なのだ。自分が話を引っ張っていかねばと思った。

「前にこちらの親父さんが、息子さんが西区の酒場に出向いているなんて話してたけれど、〈麻袋〉は西じゃないね」

 彼はまず、そこからはじめた。

「――それが何だよ?」

 シンガは警戒する顔つきになった。

「俺がどこの店に行こうが、お前に何の関係がある」

「落ち着けよ、シンガ」

 ティオは、とんとシンガの胸を叩いた。

「店の人間に気味の悪い思いをさせたんなら、代わりに俺が謝っとくわ。もう行かせないから安心してくれ。見かけたら町憲兵を呼んでくれていい」

 ユファスに向かい、ザックにまで向かうと、ティオは冗談でも言ったかのように笑った。

「ちょ、ティオ」

 シンガはおろおろと年下の若者を見た。これは何だろうか、とユファスは思う。

 明らかに、ティオの方が主導権を握っている。上下関係すら、あるように見える。――どういう関係であるのかは、よく判らないが。

「店から通報を受けた訳ではないですが」

 迷いながらもザックは言った。

「何か……迷惑になるような行為をしていたという自覚があるんですか」

「可愛い女の子がいて、こいつがその娘を見ていたいって言うから俺ぁつき合ったのさ。確かに、それなりに可愛かったけどよ、話しかけることもできないんじゃ進展がないだろ。勇気出すか諦めるかどっちかにしろって、そんな話をしてただけさ」

 それはだいたい、ユファスが推測したことと同じであった。

 ただし、昨日の昼の時点まで――であったが。

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