09 水辺の夢は水音が見せる
「ど、どうでしょう」
「僕は知らないよ」
若者は苦笑する。
「でもとにかく、それじゃチャルナは変わらず危険、ってことになる。しつこく彼女を狙うものかは判らないけれど……」
「身寄りが、ないからかなって」
「え?」
「チャルナが言ったんです。いなくなっても誰も探さないから、狙われたんじゃないかって」
「……成程」
「ちょっと」
ザックは顔をしかめた。
「どうしてそこで納得するんですか。俺は、シャンシャとかあなたとか……俺も、彼女がいなくなったら探すって言ったのに」
「え? ああ、ごめんごめん、そういう意味じゃないよ。いなくなるようなことがあったらもちろん、僕だって探す」
慌ててユファスはそう言った。
「いまのは、いなくなったと噂される春女たちも『身寄りがない』と……少なくとも傍からはそう見えそうだなって思ったから」
「いなくなった? 何です、それは」
「うん、噂なんだけど」
ユファスはざっと、ガレンの話した「人攫い」の噂を伝えた。ザックは顔をしかめる。
「本当なら、たいへんなことだ」
「それじゃ町憲兵隊にこの話は」
「伝わってません」
少年町憲兵は懸念を顔に浮かべた。
「何の根拠のない、本当にただの噂であるから伝わってこないならいいんですが、〈水辺の夢は水音が見せる〉とも言う」
ザックの口にしたのは、物事には何かしらの原因があるものだ、という意味合いの言葉だった。
「たとえ的を外していても、放たれた矢はあるかもしれない。なのに『どうせ町憲兵は、わざわざその矢を探したりしないから伝えても無駄だ』とでも思われているなら、とても……残念です」
少年は唇を噛む。
(本当に)
(「熱意ある町憲兵さん」……なんだな)
ユファスが思うのはもちろん、皮肉でも何でもない。町憲兵を目指す若者たちのなかには、「食いっぱぐれのない安定職だから」というような動機を持つ者も多いはずだ。それが悪い訳ではないが――給金は大事だ――、ザックのように心から「街を平和に保ちたいから」と思う若者が実際に町憲兵になっている。そのことが何だかとても安心できることだった。
「どこの娼館で噂になっているのか、ガレンにちゃんと訊いてくるよ」
口に出してはユファスはそう言った。
「もし昨日の件とつながるなら、大ごとだ」
「俺もラウセアに報告します。回覧を作ったりする権限は、俺にはないですから」
「そう言えば、ラウセアさんはどうしてるんだい」
「インヴェス……さっき言ったトルーディの相棒なんですが、彼ではトルーディをとめられないんです」
「はあ」
「その、インヴェスは立派な先輩で、もう十年は町憲兵をやっているんですけど、四十年選手からするとひよっこで」
「成程」
「トルーディに言わせればラウセアもひよっこなんだそうですが、それでも、誰もが一目置くトルーディを怒鳴りつけられるのはラウセアだけなんで」
ラウセア・サリーズ氏は、その勇気を買われて手負いの獣の見張り役を務めているらしかった。
「インヴェスはインヴェスで、試したいことがあるとか何とか言ってひとりで出歩いていますが」
本当はいけないんですよと少年町憲兵は呟いた。
「俺はとにかく待機しろと言われてて」
「じゃあラウセアさんはいないのか?」
駆け回っている人を見張っているなら、詰め所にはいないということになりそうだとユファスは思った。案の定、ザックはいないと答えた。
「すると人攫いの話は報告できないか」
「ラウセアには改めて伝えるとして、まずほかの先輩に話しますよ。俺ひとりが持っていていい話じゃないから」
ザックは素早く決断したようだった。
「有難う、ユファス。何かの手がかりになるかもしれない」
「礼を言われるようなことじゃないよ。もっと早くに言うべきだったのかもしれないし」
話をしたガレン自身も茶化していたし、あの時点では「ただの噂」としか思えなかった。トルスだって言いふらすなと注意したくらいだ。
彼らの対応はもっともだったと言える。だがもし昨夜にチャルナが拐かされ、それが件の「人攫い」の仕業であるなどということになったら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。幸いにして、そうはならなかったが。
「今日もチャルナの護衛をしてくれるんだろうね、町憲兵さん」
「もちろん」
ザックはきっぱりと答えた。
「制服を着てるとちょっと悪目立ちしますから、許可証をもらって武器だけ携帯するといいとラウセアから助言をもらいました」
「そういうとき、権限はどうなるの? 先に抜剣しても罰せられないのかい?」
「いえ、制服を着ていないときに先に抜くのは、やっぱりまずいです。勤務中ならもちろんかまわないですけれど」
町憲兵の返答に、元軍兵は考えた。
「やっぱり僕も同行しようか」
「え?」
「あ、君とチャルナの邪魔をするつもりはないんだけど」
「じゃ、邪魔だなんてそんな」
ザックは頬を赤くした。
「正直に言うと、心強いです」
「まあ、僕は剣なんて持ってないけど」
「でも使えるんでしょう?」
「一応ね。訓練は受けたから。でも退役以来、手にしていないよ」
「ユファスの分も借りましょうか」
「まさか。それこそ悪目立ちだ」
「そう言っても、昨日の相手は三人とも武装してた。万一のことがあったら、危険です」
真摯にザックは言い、ユファスはうなった。確かに、剣を持った山賊に立ち向かうことでも考えれば、こちらが丸腰というのは非常に不安だし、馬鹿げてもいる。
「じゃあ厨房から包丁でも持ってくるよ」
「……そんなんで大丈夫なんですか」
「ないよりはましだろう」
「だから、もう一本用意しますって」
「しばらく触ってないから、長ものは不安なんだよ」
ユファスは本当のところを言った。
「厨房で包丁を振り回してる訳じゃないけど、いま、僕に身近な刃物はあれくらいの長さのものだからね」
慎重に、彼はそう言った。
包丁を武器として持ち出したなんて知れたらトルスに怒鳴られるかもしれないが、いまの自分の能力を考えれば剣なんて却って危ない。迫力には欠けるが「ないよりはまし」で充分だと思った。
「今日のチャルナの上がりは?」
「昨日と同じだって」
「そうですか。じゃあ、また〈麻袋〉亭で」
ザックはそう言って立ち上がったが、ユファスはちょっと待ってと言った。
「何です?」
「待機って言っていたよね。絶対に詰め所の外に出たらいけないの?」
「厳密に言えば禁止ですけど、ちょっとくらいならかまわないです」
「それじゃ、先輩にざっと話をしてきたら、僕の考えていることにつき合ってくれないか」
ユファスは言った。何ですか、とザックは首をひねる。
「――
その言葉に少年町憲兵は目をぱちぱちさせ、若者は簡単に説明した。
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