08 黒い大きな犬
そちらでお待ちを――と言われて、詰め所の入り口で待つのは三度目だった。
二度とも五
二
「ああ、すみません、ユファス」
えんじ色の制服を着た少年は、慌てたように彼を見た。
「忙しいんだね。何かあったの? 話は、言える範囲でいいけど」
現旧二種の城勤め経験者は「外部に洩らしてはならない話」というものがあることをよく知っている。たいていは誰でも重要性の判ることであり、たまには「何でそんなの」と思うような些末事。
だがどんな情報の漏洩があってはならぬのかを決めるのは彼らではなく上であり、決まれば従うのが彼らの仕事。守れないなら、それこそ解雇だ。
「あ、ちなみに昨夜の概要はチャルナに聞いたよ」
「そうですか」
とザック少年が奇妙な顔をしたのは「こいつ、昨日の今日なのに、もうチャルナと話したのか」なのか、「その件とこの件の関連性について探りを入れるつもりなのか」のどちらだろうとユファスは思ったが、実際のところは「部外者にどこまで話していいのか」「何も話さなくてもいいんだけどチャルナの様子も聞きたいし」などという複雑な思いが絡み合ったためだった。
「――昨夜」
考えるようにしながら、ザックは口を開いた。
「町憲兵がひとり、負傷しまして」
「うん?」
「あってはならないことですが……襲撃を受け、捕縛者を」
「逃がしちゃったのか?」
「いえその」
ザックは迷い、息を吐いた。
「どうせいずれ、話は出回りますね。――逃がしませんでしたけど、死なせてしまった」
「えっ?」
意味が判らなくてユファスは目をしばたたく。ザックの台詞の意味は判るのだが、状況が判らない。
町憲兵を襲うなんてよほどのことだ。捕まらない自信があるとか、とんでもない後ろ盾がいるとか、或いは何にも考えていない大馬鹿という可能性もあるが、とにかく並大抵ではない。
だがとにかく、町憲兵がいて、誰かを捕らえていて、その状況で襲われるとしたら、仲間を逃がそうとする犯人の一味の仕業という考え方が妥当だ。犯罪者なりの仲間意識のためでも、彼らだけが知る事情を自白させないためでも――。
と考えて、ふと気づいた。
(口封じ)
自分らのことを知られないように、保身のために、仮にも仲間とした人物を殺す。そうしたことが考えられる。
ぞっとした。
「手配はどうなってるんだ」
彼は尋ねた。
「街がいつもより厳重な警戒態勢下という感じは、しないんだけど」
町憲兵が襲撃などされたら、その犯人を捕らえるために詰め所が
「それが」
ザックは躊躇い、また息を吐いた。
「犬が」
「……は?」
「黒い大きな犬が、まるで訓練された狩猟犬のように、トルーディと捕縛者を襲ったんです」
「……犬」
ユファスは拍子抜けして、目をしばたたく。
「そんな野良犬がうろついているなら、危険ですから捕らえるべきだ。でも、誰もこれまで見たことないんですよ、そんな犬」
ザックはまた、息を吐いた。
それがトルーディでなかったら、何かで犯人を死なせてしまった言い訳を作り出しているのではないかとでも疑われかねない話だ。もっとも目撃者は複数いたし、なおかつトルーディ自身も傷を負ったから、誰もそれを出鱈目だなどとは思わなかった。
「大丈夫なのか、その町憲兵さん」
「普通なら何日も安静にしていなくてはならないでしょう。ただ彼は、それくらいものともしません」
「そう。よかった」
「よくないです。医者はじっとしていなくては駄目だと言うのに、自分のことは医者より自分の方が判るなんて言って、勝手に駆け回っているんですから」
ザックは渋面を作った。だが本当に深刻な状態ならば起き上がることもできないはずであり、駆けることができるならおそらく腕の負傷という辺りだろう、とユファスは推測した。
「でも、犬?」
「そうです」
犬、とザックは繰り返した。
もちろん放ってはおけない。だが人間と違って、あの男に似ているとか、どこそこで見たように思うとかいう証言が期待できない。
貴族でもなければ犬など飼わない。街には野良犬も皆無ではないが少ない。どこかの飯屋が可愛がって餌でもやっているならともかく、そうでなければ町憲兵隊に「危ないからどうにかしろ」と依頼がくる。野良犬を捕らえ、気の毒だが殺したり、或いは街の外に放り出すというようなことも、実は町憲兵隊の「治安維持」の仕事だ。
「ただ、黒い大きな犬なんていうのはとても特徴的です。『見たことがない』という証言は非常に信憑性がある」
ザックはそんな話をした。
だがそれは同時に、ではどこかの貴族の飼い犬が逃げたものか、などという懸念も呼んだ。
犬を飼うことや放すことについての法律はないが、飼い犬が人を傷つけたとなれば責任が発生すると考えられる。しかしもしそれが有力な貴族であれば、町憲兵隊にできることはせいぜい注意勧告、犬の処分などは命じることができない。仮に同じことが繰り返されたとしてもだ。
ただ、幸か不幸か、犬の目撃談はそのとき限り。奇妙なことに、目撃者は揃って「あの小道に入った」と指を差したのに、その向こうでは誰も犬を見ていない。
もちろんその小道に抜け道や、建物内部への入り口などはない。
犬は忽然と消えたのだ。
「いや、消えるはずはないんですけど」
少年町憲兵は頭をかいた。
「とにかく現状、新たな被害が出る様子はなさそうだということで、そちらは落ち着いています」
「問題は、人間の方だろう」
「
彼らはそう考えた。誰だってそう考える。当然だ。
大きな黒い犬、という符号をラウセアとトルーディは知っているが、その件が起きたのはもう二十年近く前のこと。気にかかるとしてもやはり「犬より人間」であるし、彼ら自身が直接襲われた訳でもなかった。印象には残りにくかったと言える。
「捕らえたはずのひとりは、件の犬にのど笛を食いちぎられ、即死。逃げたふたりは、まんまと逃げおおせてしまった」
「いいのか?」
「いいはず、ないでしょう」
憤然と少年は言った。
「そうじゃなくて」
ユファスは首を振った。
「そんなことまで僕に話して、いいの?」
「……あ」
ザックは口を中途半端に開けた。
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