03 今夜が最後

 トルス料理長は苦い顔をしたが、大事な用があるなら仕方ないと、新人の早退を認めてくれた。

 事情はあまり話さなかった。

 と言うのも、これこれこういう事情だから仕方がないんだ、などと話すのはぐだぐだ言い訳をしているようで好かなかったからだ。どうしてもトルスが駄目だと言えば話そうと思っていたが、彼はユファスの判断を信じてくれた。それとも、今後も同じ真似を繰り返すようなら解雇してやる、などと思っていたのかもしれないが。

 バールにはだいたいの事情を話した。すると友人は、ちょっと待ってろと言ってどこかに走り去り、十ティムくらいして戻ってくるとユファスに何かを差し出した。

「そんな話なら、包丁より、こっちのがいいだろ」

「どうしたの、これ」

 簡素な短剣を渡されて、ユファスは驚く。

「俺、イージェンって近衛コレキアとけっこう仲がいいんだ。女の子を守るために半日短剣貸してくれって言ったら、貸してくれた」

「……いいのか、そんな」

「私物だから問題ないって言ってたぞ。あ、俺じゃなくて経験ある奴が持つから平気って言っといた」

「いや、まあ、うん。それなら有難く借りるよ」

 兵士の備品を勝手に持ち出す訳にはいかないという意味合いではなく、素人に刃物を持たせるという判断に問題を感じたのでもなく、そんな説明で武器を貸してくれる近衛兵というのはどうなんだ、と思ったのであるが、せっかくの好意である。バールのそれもイージェンのそれも、ユファスは受けることにした。

 実際、バールの言う通り。

 包丁よりも、頼りがいがある。

 野菜や魚、獣肉を切り分けるために特化した刃物ではなく、人を斬るための――武器としての刃物。

 近衛兵の持ち物というだけあって、安物とは見えなかった。握りもしっかりしているし、手入れも丁寧だ。

(使うことにならなければいい)

 借り物だからと言うだけではない。そんな事態にならなければよいと思う。何もないに越したことはないのだし、正直なところを言えば、久しぶりの「武器」が怖ろしくも思える。

(それに、肩のこと)

 兵士時代に負った傷は、痕を残した。見た目にもだが、後遺症もある。バールに話した通り、肩が上がりきらないのだ。

 剣を借りるというザックの提案を断ったのも、そこに一抹の不安があったからだ。短いものであれば、そうそう振り上げる必要性もないだろう。

 本当は昨日、宮廷医師ランスハルに紹介してもらった鍼医者を訪れるはずだった。チャルナに「城下に用事がある」と言ったのはそのことだ。

 だがチャルナを案じて、診療所の代わりに詰め所へ向かった。治療を受けていれば一日二日は平気だったかもしれないが、〈予知者だけが先に悔やめる〉というもの。しまったと思っても仕方がない。

 ともあれユファスは、仕事の間は仕事に集中した。気がそぞろになって何か失敗をし、料理長に「早退はなしだ、残って片づけをひとりでやれ」などと言われてはたまらない。

 いちばん忙しい時間帯を越え、客足――下厨房においては「客」というのはあまり適当な言い方ではなかったが、ほかにいい言葉もないので、普通の料理屋のように「お客さん」などと言っていた――が遠のいた頃、ユファスは厨房の仲間たちに謝罪をして、仕事場を離れた。バールには言いふらすなと釘を刺しておいたが、果たしてどうなることか。

「あっユファス!? 本当にきてくれたの?」

 〈麻袋〉亭へ急げば、ザックとチャルナが彼を出迎えた。

「何だか悪いなあ……」

「昨日の今日だからね。逆に何もないかもしれないと考えることもできるけど、つまらない油断で何かがあっても馬鹿らしい」

「俺もそう思う。逃げた男たちのことは気になるし……いや、昨日のことがなかったとしたって、絶対に安全とは言えないよ。町憲兵としては情けないけど」

「そんなふうに言わないで。悪い人がいるのは、ザックたち町憲兵さんのせいじゃないんだから」

 チャルナは顔をしかめた。

「それにほら、街の人がみーんな善人になっちゃったら、町憲兵隊は廃業よ廃業」

 失職よ、と続いてユファスとザックは苦笑した。

「町憲兵の要らない世界、なんてものがあったら、それは理想的だけれどね」

「現実には難しいだろうなあ」

 常識が人それぞれであるように、道徳や倫理観もそれぞれだ。極端に倫理がある、なしではなく、「それなりにある」と「とてもある」の間にだって、軋轢は起きるだろう。

 ましてや現実問題、倫理観など皆無という人間も存在する。

「そうね。残念だけれど難しいから、町憲兵さんが要るんじゃないの。それは原因じゃなくて結果」

 ザックのせいではない、と少女はまた言った。少年は嬉しそうに笑む。彼女が慰めてくれたことと、認めてくれたことと、どちらも嬉しかったのだろう。

 少し話してから給仕娘は仕事に戻り、それから男ふたりは声を落とした。

「チャルナには、昼間のこと何か話した?」

「いえ」

 ザックは首を振る。

「今夜、また何かあるかもなんて言って怖がらせたくないですから」

 チャルナは笑っているが、昨日のことを思えば夜道は怖いはずだ。余計な心配をさせずとも、何かあれば、彼らが守ればいい。

「ラウセアさんは?」

「話はできました。でも、春女たちの件も含めて隊長に報告すると言ったきり。伝言はしてきましたから、伝わればきてくれるはずですが」

「巧くすれば人攫いの一味が一網打尽だって言ったかい」

「言いましたよ」

「ごめん」

 思わず謝ったのは、ザックがその辺りを理解していなかったのではと思ってしまったからだ。少年町憲兵は、ティオの「今夜」が犯行予告かもしれないこと、ちゃんと判っていた。

「あいつの言うことを信じられるか判らないけど、本気なら、今夜が最後ってことだ。チャルナを守れても、事件の解決にはならない」

 ザックは町憲兵の目をして言った。

「春女たちが本当に攫われたのか、それは昨夜の奴らと同じ一味によるものなのか、何も判らない。でも、ティオが何かを考えていて、それは今夜に起きる。それだけは確実です」

「――起きなければ、いいけど」

「どうしたんです」

 ザックは片眉を上げた。

「昼間はずいぶん、挑戦的だったのに」

「僕は、口先ばかりだから」

 ユファスは肩をすくめた。

「口先ばかりの人は、ひったくりを投げ飛ばしたりしないと思いますよ」

 ザックは笑った。

「あれは、とっさに……つまり僕は、考えが足りないってことかな」

「あなたは充分、慎重でしょ。判断は公正で、行動力はあるけれど、行きすぎない。ラウセアも言ってましたけど、町憲兵隊に欲しいくらいですよ」

「まさか」

「本当です。お世辞でもないです」

「有難う」

 ユファスは礼を言ったが、褒めすぎだと思っていた。

「昨日の件の手がかりは、何か増えたかい?」

「生憎と」

 少年町憲兵は肩を落とした。

「インヴェスがかなりいいとこまで追ったんで、似顔絵を作って付近の聞き込みなんかはしてますけど、この半日では成果なしです」

「ちなみに『付近』って言うのは」

「港」

「……成程ね」

 彼がシンガを最初に見かけたのも港だが、うなずいた理由はそれだけではない。

 そこはいちばん、アーレイドの法律から逃れやすい場所だ。

 巡視艇などはあるが、それは町憲兵隊ではなく軍の管理下にある。ユファスはアーレイドのことはよく知らないが、エディスンではそうだった。おそらく同じだろう。

 となると、ちょっとした喧嘩や、現状のような曖昧な状況ではとても動かない。犯罪人を逃がさぬようにと思ったら、船に乗り込む前に捕らえなくては。

 出航前の船であれば町憲兵だって追いかけて乗り込めるし、船長やほかの船員が真っ当であれば、犯人逮捕に協力するだろう。しかし、船全体が犯罪者の群れで構成でもされていれば、逃げられて終わり。

 「人攫い」が陸路ではなく海路を利用していれば、これまでの行方不明者の救助は不可能に等しいだろう。

 陸路だって、厳密なことを言えばアーレイドの門を出たらアーレイドの法律は適用されない。もっとも、簡単な荷改めなどはあるから、人間を捕らえているような風情があれば門番が見咎めるだろう。人間では偽装も難しい。

 何らかの手段で荷改めを逃れたとしても、攫われたのがアーレイドの住民であるならアーレイド町憲兵隊が追うことはできる。現実的には難しいが、可能か不可能かと言えば、可能なのだ。

 しかし、海ではどうにも、追いようがない。

 海軍も充実するエディスンならば何らかの手段もあるかもしれないが、アーレイドに大きな軍艦などはないようだった。近隣諸都市との協定内容がどうなっているかなどユファスは知らないが、とにかくそういったものは、先日の港湾見物では見つけなかった。

 つまり、頭のいい犯罪者なら、海に目をつける。

 警戒される場所ではあるが、追跡を逃れる自信があるのなら。

 ザックははっきりと言わず、彼には知らされていないとということも有り得るが、町憲兵隊は既に警戒しているのかもしれない。

(だから「今夜」だと考えるのは)

(それほど誇大妄想じゃないかもな)

 今日で終わらせて、逃げる気だ。

 今夜が勝負。ティオはそう挑んできた。

 まるでチャルナを囮にするかのような形には気も引けるけれど、別の人間をチャルナの代わりに仕立てるには時間がなかった。彼女に伝えないのは彼らなりの気遣いではあったが、果たしてこの判断がどうなるか。

「武器は? 本当に包丁を持ってきたんですか?」

「いいものを借りられた。やっぱり弱気にも、使わずに済めばいいと思うけれどね」

「俺に任せてくださいと言えればいいんですけど、俺もあんまり強気なことは言えないです」

「できる限りのことはするよ。そのつもりできたんだ」

「心強いです」

 少年は真摯に言った。

 その信頼に応えられる自信はユファスにはなかったが、できるだけのことをやろうと改めて思った。

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