02 本当のことなんだから

 ふざけるなよ、とビウェル・トルーディは言った。そんな冗談は笑えない、と。

 どうして私があなたを笑わせなければならないんです、とラウセア・サリーズは返した。

「いいから怪我人はさっさと帰ってください。そんな格好でうろうろされたら、邪魔です」

「格好なんか関係があるか」

「あります。士気に関わります」

「何だと?」

「若い連中のなかには、あなたが犬じゃなくて人間に後れを取ったと考えている者もいますよ。言っておきますが、彼らはあなたが嘘をついたと思っている訳じゃない、ビウェル・トルーディに傷を負わせるほどの手練れがいるのではないかと、怖れてるんです」

「馬鹿か。たとえ人間だったとしたって、犯罪者を怖れる町憲兵なんざ、それこそ冗談にもならん」

「私が怖れてるんじゃありませんけど」

「だいたい、あれはどっからどう見たって犬だし、俺が怪我したからって何だ」

「もうちょっとあなたは、我らが町憲兵隊における自分の存在の大きさを理解したらどうですか? 後輩たちにとって、あなたは『ただの一町憲兵』じゃないんですよ」

「ただの一町憲兵じゃなけりゃ何だ。化け物か」

 トルーディは唇を歪めた。ラウセアは肩をすくめる。

「そう言われてることは知ってるんですね。ならお判りでしょう、彼らの言うそれは蔑称ではなく一種の尊称だ。『すごい人だと尊敬している』と言えない若者が、化け物呼ばわりするんですよ」

「阿呆。そんな尊敬があるか。常識のないガキどもだというだけのことだろう」

「まあ、あなたに面と向かって言える者もいないでしょうけれど」

 ラウセアが言えば、トルーディはやはりしかめ面をする。

「あのな。俺は長くやってるだけの、一町憲兵だぞ。お前にゃ言うまでもないだろうが」

「ええ、言うまでもないです。あなたほど好き勝手にやってる一町憲兵もいない」

「相変わらずうるさいな」

「本当のことなんだから仕方ないでしょう」

 というようなやりとりをかつての相棒同士がしていたのは、その日の夕刻頃のことだった。

「私が臨時でインヴェスと組みますから、あなたは待機です。一応言っておきますけど、これは隊長命令ですからね」

「隊長が?……てめえがそういう話に誘導しやがったな」

「否定はしませんけど」

「全く、前隊長は何を考えて、あんな腰抜けに後任を託したのやら」

「文句があるのなら、あなたがやればよかったじゃないですか。実際、そういう話は上がったんですから」

「冗談はよせ」

 トルーディは唇を歪めた。

「あなたはそうして悪態をつきますけれど、我らが隊長は決して無能じゃないでしょう。基本的には隊長という存在は、報告を受け、指示を出す立場だ。迅速な決断が必要なときもあれば、熟考が必要なときもある」

「物は言いようだ。突発事態に弱いだけじゃないか」

「その辺りは、動ける者が補えばいいだけです」

 元相棒の台詞にトルーディは鼻を鳴らした。

「それで済むなら、隊長は要らん」

「隊長だけに最終決定権があった故に起きた問題のこと、あなたは忘れていないと思いますけれど」

「判ってる。この話は何度もしたな。答えは出ない、というのが俺たちの答えだったはずだ」

 トルーディは、組織の頭が多ければ混乱を招くだけ、という立場だ。隊長が命じれば、反論があっても控える。よほど理に適わなければ別だが、同じ法律と文化に基づいて考えている以上、そうしたことはまずない。単純化すれば、町憲兵隊長は町憲兵隊の王であるべきだと思っている。

 ラウセアはそうではない。隊長とて人間だ。誤ることもあるし、あってはならないが、欲望にまみれることも。

 いや、実際にそうしたことがあったのである。それ以来、町憲兵隊では二名の副隊長の権限を強くし、言うなれば権力の分散を計っている。基本的には隊長が全てを決めるが、副隊長はそれに待ったをかけることができる。隊長がそれを説き伏せるか反対意見に耳を傾けるかはそのとき次第だが、無視して押し通すことはできないようになっている。

 ラウセアは、これはよい変化だと思っている。

 トルーディは、このやり方はいつか分裂を生むと考えている。

 だが彼らは、相手の意見を拒絶することはなかった。「意見が異にする」ことと「相手の言うことが理解できない」ことは違うからだ。

 唯一絶対の正解はない。それを知った上で、よりよい――よりなやり方を探していく。

 見ているものが一緒なら、進む道が違っても、いずれ同じ場所にたどり着く。たどり着くことを目指している。それが判っているから、彼らはこのことで口論などしなかった。

「ともあれ、どちらの副隊長も異論を出していません」

「人攫いが横行してるなんざ、とんでもない話だ」

 トルーディはうなった。

「噂であろうと、調査くらいは即断したっていいだろうに」

「残念なことに、攫われたという通報もないですからね」

「攫われたら通報できんな」

「それは冗談なんですか?」

 若い頃は腹立ち混じりに言った台詞だったが、いまではラウセアの態度も冷ややかである。

「当人が通報できるはずないでしょう」

「父親の判らないガキを抱えて、娼館と狭っちい家と、たまに客の男の家でも訪れるような生活をしてる女が消えて、誰が俺たちに知らせるってんだ?」

 当人がやるしかないんだよ、とトルーディは本気か皮肉か判りにくいことを繰り返した。

「昔はそういうことを率先してやってくれる人がいましたね」

「ああん?……ああ、いたな、馬鹿が」

「全く。どうしてあなたはそうやって」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」

「その発言についてじゃありませんよ。どうしていちいち、まるで忘れていたようなふりをするのかと」

「十七年も前のことなんざ、かっきり覚えてる方がおかしいだろうが」

「十七年前のことだと、よく覚えているじゃないですか」

 さらりとラウセアが返せば、トルーディは嫌そうな顔をする。

「揚げ足取りばっかり上達したな、お前は」

「私には進歩があったというだけです。あなたにはなかったんですかね、ビウェル」

「お前の入隊は、俺がいまのお前くらいだった頃だろうが。いまから二十年で画期的な成長を遂げたら、そのときは手放しで感心してやろう」

「二十年後にはたぶん、あなたは死んでますね」

「そうだな。結果が見られなくて残念だ」

「おや、案外と殊勝なんですね。俺は死なない、くらい言うかと」

「阿呆か」

 とトルーディが言うのは、元相棒の下らない冗談に対してだけではない。

「いまは二十年後より二刻後だ。ザックとあの娘を囮になんざ、まさかお前が考えたとも思わんが」

「言ったのはサイリスです。もう一度、昨夜の奴らをおびき出せればとね」

 だいたい、とラウセアは続けた。

「囮と言うほど大げさなものじゃありませんよ。連中がまた動いてくれないかというだけの話で」

 このままであれば、町憲兵隊は犯人を押さえられない。犯罪がないに越したことはないが、それでも、もう一度やってくれなければ捕らえようがない。

「町憲兵殺しを躊躇わない連中かもしれんのに、可愛い後輩をよく差し出したな」

「差し出してなんかいませんよ」

「だが結果としてはそうだろう。『今夜』とかってのは宣戦布告に見えるが、同時に逃亡宣言でもある。そうだと判って、勝負に出るんだろうが」

発遣所レドキザンの組をほぼ十割動員、詰め所の組は私服で巡回、知れたら大騒ぎです」

 危険な――かもしれない、というだけだが――犯罪集団を確保するためだと言っても、日常業務を疎かにする発令である。

「つまり、どこもかしこも捕り物騒動になる可能性がある訳です。片腕の使えない老人町憲兵は帰って寝ててください」

「使えなか、ない。医者が大げさに包帯を巻いただけだ」

「何であろうと」

 隊長命令ですとラウセアはまた言った。

「あなたのことは私が見張っていないといけない、なんて話が冗談の一種でなく本気で言われるようになってもいいんですか」

「言いたきゃ好きに言えばいいだろう」

「私が言いたいんじゃありません」

「それじゃ、お前の言いたいことは何だ」

「ですから、あなたは邪魔だということです!」

 実にきっぱりと、年下の町憲兵は言った。老町憲兵は顔をしかめる。

「てめえ、この、ラウセア。近頃、調子に乗ってるな」

「あなたを心配してるだけじゃないですか。それから、インヴェスのことも」

 ラウセアは息を吐いた。

「若い頃のあなたを見ているみたいだ」

「俺の三十頃なんざ、お前は知らんじゃないか」

 鼻を鳴らしてトルーディは指摘したが、ラウセアはめげなかった。

「想像ですけれど、それほど外れていないと思います」

「俺はあんな発明家じゃないぞ」

「そのことじゃありません。ふたりで巡回をすべき時間帯に、ひとりでうろつくことです。だいたい、あなたがそれを許すのが大間違い」

「ま、そこは似てるな」

 トルーディは認め、ラウセアのもっともな台詞を遮った。

「だからってあれは俺の複製じゃないし、俺と同じように考える訳でもない」

「それはそうでしょう。だから心配なんです」

 元相棒たる男の行動ならばある程度は推測がつくのだ、とラウセア。

「意外と、全く読めないのがザックだ。私の言うことを素直に聞く、非常に仕込みやすい若者であると同時に、いきなり思わぬことをする」

「だがそれで、掴んできたな。一種の強運だ」

「今回は彼以外にも強運の主がいるようですけど」

「例の元兵士か」

 その指摘にラウセアはうなずいた。

そうですアレイス。彼が素人ならば引っ込んでいてもらうんですけれど、腕は確かですからね」

 肩をすくめて彼は続けた。

「今日は、私服警備兵のひとりになってもらいます」

「ほう?」

 トルーディは面白そうな顔をした。

「お前がそんなことを言うとはな」

「言いましたように、私がインヴェスと組めば、ザックの相方がいませんから。……民間人を巻き込むことには、痛い記憶もありますけれど」

「過去を引きずっても仕方ない。現状で判断しろ」

「そうですね」

 ラウセアは息を吐いた。

「現状で判断しまして。あなたは帰ってください」

 しつこく繰り返される台詞に、トルーディは呪いの言葉を吐いた。

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