04 絶対、捕まえる

 それからあとは、問題もなく――チャルナが注文を間違えたりは、あったが――少女の仕事が終わる。

 飯は店のおごりだと亭主が言うのをふたりして固辞し、ザックはやっぱりまたかと言われ、ユファスは町憲兵でもないのにと笑われた。

「ザックの事情は判るけど、ユファスはかまわないんじゃないの?」

 チャルナが不思議そうに言った。

「幸いにして、貧乏人じゃないからね」

 城の料理人は笑った。

「困ったことがあれば、助けてもらうこともあるかも。でもいまは、僕は困ってない」

「困ってるのは私ね。ふたりとも、有難う。特にユファスは、仕事でもないのに」

「ザックだって、仕事だからやってる訳じゃないと思うよ」

「え? ああ、そうよね。時間外だもんね。ザックも特に有難う」

 チャルナは少しおかしな言い方をして、謝罪の仕草と感謝の仕草を組み合わせた。

「時間内とか、時間外とかも関係ない」

「ん? どういう意味?」

「あ、いや、ええと。……ユファス」

「ごめん」

 友人を気にかけるのは当然だ、とも、チャルナだから気にかけるんだ、ともザックには言いづらいところだ。町憲兵だから、も含めてどれもザックの本当の気持ちだが、何もユファスが代弁することはない。

「冷えてきたね」

 チャルナが空を見上げた。

 街灯の明かりにも勝つ、秋の星座が瞬いている。

「ユファスは寒いの、苦手なんだって?」

「バールが言ったのか?」

 片眉を上げて尋ねれば、そうよと給仕娘は笑った。

「まあ、認めるね。常夏の地方の生まれだから」

「あ、それじゃ冬至祭フィロンドとか知らないでしょ」

「知らないな。何だい、それ」

「冬の盛りにやるお祭りよ。雪の三姉妹キャラーラ・ルーに暴れないでくださいってお祈りするの」

「へえ」

「賑やかだよ。夏に年越し、冬にフィロンドで、年に二回の大祭だ」

「それじゃ、町憲兵は大忙しじゃないか?」

「そうみたいだ。今年の年明けにはまだ町憲兵じゃなかったけど、楽しむどころか隊全体が総稼働でとことん忙しいから、覚悟をしておけと言われている」

「エディスンには、十年に一度の風神祭イルセンデルというのがあるよ」

 などと他愛もない話をしていたのは、大通りを歩いている間だけだった。

 神殿のある地域に近づくと、人気ひとけは少なくなっていく。

 昼間であれば祈りを捧げる人々も多いが、夜になれば神殿も門を閉ざす。どうしてもいまこのときに祈りたいということでもあれば場を開放するものの、あまりないことだ。

 神殿の近くでは、あまり犯罪は起きないと言う。

 それは、不埒者たちでも、神様のは怖いからだ、というのが一因。中途半端にいきがった輩であれば敢えて神殿付近で騒ぎを起こすこともあるが、珍しい。

 と言うのも、もう少し頭があれば、思い出すからだ。神官たちには、神から授かった特殊な力があること。

 それは魔術師の魔術に似ている。大まかに異なるのは、魔術師の力が生得のものであるのに対し、神官のそれは神に祈って手に入れるものであるということだ。区別をつけるために神官の術を神術や聖術と呼ぶことも多い。

 当の魔術師や神官たちに言わせれば、もっと様々な違いがあったり、逆に大して変わらないと考える者がいたり、彼らの間でも意見の一致は見ていない。

 ただ、魔術師のように派手で攻撃的なものではないにしろ、神官が不可思議な力を操ることは事実。簡単に言えば、頭のいい者も悪い者も、神殿に喧嘩を売ることを普通は避けるのが普通だ。

 だからチャルナも、これまではあまりひとり歩きを心配していなかった。トルーディにでも言わせれば、注意が足りないということになるが、実際、これまでは何の問題もなかった。

 しかし昨夜に事件は起こり、もしかしたら、今夜も。

 男ふたりの緊張は少女にも伝わったと見え、彼らは言葉少なに街を歩いた。

 完全に無言というほどではなく、ぽつりぽつりと話はしたが、大笑いをするという感じではなかった。

 何か影が動けば、ふたりはぱっと少女を前後に挟む。そのあとに「にゃー」とでも鳴き声がすれば、それはとても滑稽な一場面ということになっただろう。

 だが、影の正体が猫であろうと鼠であろうと、彼らは真剣だった。

 こんなふうに緊張する必要などなかったのだと、あとで笑い飛ばせるならば、それでいい。

 彼らは本当に、心の底からそう考えていた。

 と言っても、その真実なる思いと、入れた気合いは、別もの。

 ――何事もなく、無事にラ・ザイン神殿の裏までたどり着いたとき、正直に言ってユファスもザックも拍子抜けした。

「今日は何にもなかったね」

 まあ、ないよねと言って少女は笑う。

「昨日のはほら、『チャルナ』が狙われたんじゃなくて、やっぱり身寄りがないとかが理由だったんじゃないかな。昨日の今日だから私を狙ったりしなかったけど……もしかしたら私以外に誰かを狙うかも」

 チャルナは渋面を作った。

「もしそうならあんまり笑ってられないね。ほかに危ない目に遭ってる人がいるのかもしれないから」

 彼女が昨夜の連中を「人攫い」と思っているのか、はたまた年若い女を乱暴する類であると思っているのかは判らなかったが、どちらにせよ、その心配はあながち的外れでもない。

 懸念されている連続誘拐ではなく、連続暴行でも、殺害でも強盗でも窃盗でも、一度失敗したからと言って諦めるような犯罪者ばかりなら、世の中はまだましだろう。

 「チャルナ」でなくてもいいのなら、彼女が無事でもほかの誰かが狙われる。

 連中がその場の勢いなどでなく、計画性を見せたからには、必ず次がある。

「大丈夫。絶対、捕まえる」

 町憲兵は力を込めて言った。

「信じてる」

 それはあくまでも「町憲兵」と肩書きのついたザックへの言葉だったろうが、そうであろうと少年は力が湧き上がるのを感じた。

「じゃ、おやすみ、ふたりとも。いい夜を」

「ああ、チャルナもね。おやすみ」

「また明日」

 男たちは、少女が裏口を開けて屋内に姿を消すまでその場で見送った。ユファスは最後まで油断するべからずと思うところがあったが、ザックは単純に、チャルナを見ていたかった。

「さて」

 それからユファスが声を出す。

「どう思う?」

「うん……」

 ザックは戸惑いがちに言った。

「はったり、だったのかな?」

「身寄りのない者を選ぶ――つまり、これまで騒ぎを起こすまいとしていた彼らが、いくら最後だからって神殿を襲うとは考え難い。魔術師の集団でも連れてこないと無理だろうし、いや、そういった無謀をするのなら神官たちが返り討ちにしてくれて片が付く、という期待もできるけど」

「それじゃユファスはあくまでも、ティオたちが昨日の件、行方不明の春女たちの件、どちらにも関わってると言うんだね」

「そう考えると腑に落ちるというだけだよ。僕はいくらか勝手に動いてもいいけれど、ザックはこれ以上は、ラウセアさんに相談してから」

「うん……」

 ザックはまた、曖昧な相槌を打つ。

「思ってるんだ。ラウセアがこなかったのは、この件を俺の暴走、あまりに酷い思い込みだと判断したんじゃないかって」

 少年は息を吐いた。

「春女たちの件は本腰を入れて調査するとしても……ティオたちのことは行きすぎ、考えすぎだと思われたのかも」

 尊敬する熟練の先輩がそうと判断したなら、それが正しいんじゃないかと思う。ザックはそのようなことを言った。

「判らないよ。確かに、僕が自分の的だと思っているものは、実は隣の人の的なのかもしれないし」

 ただ、とユファスは呟いた。

「僕はもう少しだけ、この辺にいようと思う。ザックはもう、仕事に戻ってくれていい」

「……ばれてます?」

 町憲兵は頭をかいた。ユファスは肩をすくめる。

「そりゃあ。昨夜、当事者の君たちに使いのひとりも送れなかった町憲兵隊に、今夜も余裕があるとは思えない」

「そうなんです」

 ザックはうなずいた。

「いまは緊急体制を敷いて、巡回の組を倍増させてる。私服でね。普段は制服を脱いだ町憲兵はほとんど民間人ですけど、いまだけ秘密裡に、特殊令を発動して」

「いいの?」

「え? でも、異常事態であることはユファスだってよく知って」

「いや、だから、だということを僕に言っていい訳?」

「あ、だ、駄目かな」

 ザックは目を白黒させた。ユファスは笑う。

「聞かなかったことにしておくよ」

「すみません」

 少年町憲兵はもごもごと言った。しっかりね、とユファスが言うのは、町憲兵の守秘義務云々を慮ってではない。

 ザックとチャルナがもしも恋人同士になったら、ふたりしてうっかり者ということになりかねない。それはどうにも空怖ろしいようだ、などと思ったのだ。

 ユファスがどう思っているかなどもちろんザックには判らない。ただ少年町憲兵は、真面目な顔で「はい」とうなずいた。

「でもラウセアがきていないとなると、俺には動きようがないんです」

「ふたりひと組でないと駄目だということ? 確かに、誰かを追ったり捕縛したりするときなんかはひとりじゃ不具合もありそうだけれど、巡回くらいならひとりだってできるんじゃないか?」

「巡回というのは、不審人物を見つけるためですよ」

 見つけたら問い質し、相手が逃亡でも計れば追って、場合によっては捕縛することになる、とザック。

「でも、歩いているだけで、抑止にもなるだろう?」

「制服姿なら、ですね」

 ザックは指摘した。確かに、とユファスは肩をすくめる。

「ですから、図々しいお願いなんですけど」

 少年町憲兵は若い料理人を見た。

「今夜はもう少しだけ、俺の相棒でいてください」

 その依頼にユファスは目をしばたたき、それから、了解と言って笑った。

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