05 ほかに危ない目に遭ってる人が

 何だか、ちょっとだけいい気分。

 行き会った神官に「ただいま」などと挨拶をしながら、チャルナは笑みを浮かべていた。

(まるで、ふたりも騎士コーレスがいて、私を守ってくれるみたいじゃない?)

 そんなふうに思った。

 と言っても、少女が男たちを手玉に取ってほくそ笑んでいる訳ではない。詳しく知らされていないとは言え、笑いごとではない状態に気づいていない訳でもない。

 単純に、嬉しかったのだ。彼らが彼女を案じてくれること。

 そこには神官たちのような「親のない子供たちの世話をするのは神にご奉仕する仕事の一環だ」という信仰心もなければ、こすい人間の「巧いこと恩を売って礼金でもせしめてやろう」という打算もない。彼らは自分に好意を持ってくれているとは思うが、下世話な下心などはない。と、思う。

 ザックに対してはどうしても「町憲兵だから気にしてくれるんだろうな」という解釈をしてしまう。

 それだけではないと判っているが、彼女はあまり自惚れが強くなかったので、ザックが彼女に恋をしているなどとは考えていなかった。縁があって知り合って友人になったから、余計に気にしてくれるんだろうと。少年町憲兵にとって幸か不幸か、チャルナの思考はその辺りであった。

 だが一方で、ユファス。初めは自分が迷惑をかけたお客さんとしか思っていなかった。もちろん心から申し訳なく思って謝ったが、怒鳴られ、下手をしたら殴られたっておかしくなかった。

 でも彼はただ笑って許してくれた。

 いい人だな、と思ったものの、そのときはそれだけだ。

 彼がひったくり犯を投げ飛ばした元兵士さんだと知ったときは、正直、ちょっとときめいた。

 「兵士さん」に礼をするとは言っても、自分の乏しい財布からでは、礼金など出せなかっただろう。ただ本当に、礼を口にするしかできなかったはずだ。

 しかしあの時点で「兵士さん」の方はそれを知らない。普通なら、ちょっとした金品か、大した価値はなくとも何か礼の品をもらえるものと思っても不思議ではない。

 しかし彼は断った。町憲兵隊の感謝状も断ったと言う。

 金も名誉も、欲さなかった訳だ。

 ――などと聞かされれば当のユファスは、そんな格好いい話ではない、大したことじゃないと思っただけだ、などと言うだろうが、しかしそれはつまり、そういうことだ。自分の行為が金や名誉に値するとは思わなかったと。

 バールがばらさなければ、チャルナに言わないつもりだっただろう。

 その奥ゆかしさは、ザック少年の推測通り、少女の心をユファス青年に傾けていた。

 どうやら彼の方では、チャルナを「たまたま近所に住む危なっかしい女の子」くらいにしか思っていない。それはだいたい、判った。

 もっともチャルナ自身、「いいなあと思っている」という段階で、恋をしていると声高に言い立てるほどでもない。ただ、一度足をかけた恋の階段は、殊に十代の娘にとっては、非常に昇りやすくできているものだ。

 客観的に見れば、ユファスは彼自身が言ったように、財布を取り戻したほかは何をした訳でもない。数日おきに〈麻袋〉亭を訪れて、彼女と話しているだけだ。それに、積極的に彼女を呼びとめるでもない。チャルナが忙しくて、ユファスが帰る姿を見ただけだったという日もある。それに比べれば欠かさず日参するザック少年や、くるなりチャルナを呼んで話をしたがるバールの方が、印象に強く残りやすいはずだ。

 だが理屈では計れないのが乙女心というものである。

 ザック少年にとっては気の毒なことに、町憲兵であるザックと、何の義務もないユファスでは、同じことをしても後者の方がとてもよく動いてくれているように思える、ということもあるだろう。

 昨夜の少年町憲兵の活躍に少女は大いに感動していたが、それでもやっぱり「さすが町憲兵ね」ということになるのであった。

「おや、チャルナ。いま帰りですか」

「あ、こんばんは、ジード神官」

 チャルナはにっこりと、親代わりの神官たちのひとりに挨拶をした。

「今日も町憲兵君に送ってもらえたのですか」

「ええ。ほかにも友だちが心配してくれて、ふたりに送ってもらいました」

「それはよかった。ふたりに対する護衛がひとりでは、少し心配ですからね」

「ん?」

 チャルナは首をかしげた。

「何ですか、ふたりって」

「シャンシャも一緒だったのでしょう? 今日はあなたの勤めるお店で夕飯を食べると言って出て行きましたよ」

「……え」

 どきっと、した。

「――シャンシャが?」

「ええ。昨日のようなことがありましたから、必ずあなたと一緒に帰ってくるようにと言ったのですが」

「う……嘘」

 神官が、嘘をつくはずもない。彼女はそれをよく知っていた。

「どうしたのですか?……もしや、一緒ではないのですか」

「きてない! シャンシャ、お店になんてこなかったわ!」

 叫ぶなり、少女は走り出した。

 状況を察したジード神官も、「神殿内で走り回らないように」などと的外れな説教をすることはなく、彼女に続いた。

 神殿の奥の方、身寄りのない彼女たちに与えられている部屋まで。

「シャンシャ!」

 チャルナは妹を呼んだ。

 そこには、誰もいなかった。

「や……何で……」

 怖ろしい考えが頭をよぎる。

(私以外に誰かを狙うかも)

(もしそうならあんまり笑ってられないね)

(――ほかに危ない目に遭ってる人がいるのかもしれないから)

 自分の言葉が、耳に蘇る。

 ざあっと、全身から血の気の引く音がした。

「シャンシャ、ど、どうしよう、私、どうしたら――そうだ、ザック!」

「落ち着いて、チャルナ」

 ぱっと踵を返そうとした少女の腕を神官が掴んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る