06 妹と一緒に

「町憲兵隊には私が話しましょう。あなたは神殿にいなさい」

「で、でも、ジード神官!」

「あなたが走り出して、また昨日のようなことがあったらどうするのです。慌てない。シャンシャは友だちとでも行き会って、ほかの店に行くことにしただけかもしれません」

 ジードが本当にそう思うのか、チャルナを落ち着かせるために言っているのか、どちらにせよ神官は彼女を放さなかった。

「ここは私たちと町憲兵隊に任せて。あなたは部屋にいなさい。いいですね?」

「でも……」

「チャルナ。言うことを聞きなさい」

 神官は声を荒らげたりしなかったが、穏やかな声だからと言って力がない訳ではなかった。彼らに育てられた娘は、彼らがちょっとお説教をするときと、本気で命令をするときの差をよく理解していた。いまのは、後者だ。

 少女はジードの手を振り払おうとするのをやめ、唇を噛んでうつむいた。

 彼の言う通り。自分が走り出したところで、何になろう。けつまずいて転んで、怪我でもするのが落ちだ。

「リヒア神官長にお話しして、私が町憲兵隊に行ってきましょう。大丈夫、すぐに見つかります」

 たとえ空言からごとであっても、神官はそう言った。安心させるようにチャルナの肩を叩き、少女を部屋に残すと扉を閉める。

(シャンシャ)

 痛いほど、シャンシャの姉は両手を握り締めた。

(あの子に何かあったら)

 昨日のようなことが起きたら。妹には、一緒に歩いてくれる町憲兵の少年も、元軍兵も、いないのに。

(私ったら、何て馬鹿なんだろう)

(自分のことしか考えていなかった)

 怖ろしかった昨夜の体験は、妹にも話した。シャンシャも気をつけるように、とは言ったのだが、彼女が妹を思うように、シャンシャも姉を思う。心配して、今日は一緒に帰ろうと考えたのではないのか。

 そうして――姿を消した。

 足ががくがくした。血の気は引いたままだ。誰かが近くにいれば、少女がそのまま卒倒するのではないかとはらはらしただろう。

 ここにいろと言われた。おそらく、それがいちばんいいのだろう。昨日のような目に遭えば、少女には為す術がない。

(でも)

(ただ待っているだけなんて)

(――シャンシャ)

 どうすればいい。どうしようもない。自分には。

 判っている。でも。

 ぐるぐると、思考は回った。

 そのときである。

「妹がどこにいるか、知りたいか?」

 含み笑いとともに声がかけられた。チャルナの心臓は跳ね上がる。

 ジード神官の去った部屋には、彼女以外誰もいなかった。

 たったいままで。

「教えてってやってもいいんだぜ」

 チャルナはぱっと振り返る。誰もいなかったはずの場所に、二十歳前後の見知らぬ若者がにやにや笑いを浮かべて立っていた。

「だ、誰」

「そんなこと、どうだっていいじゃないか」

 若者は肩をすくめた。

 心臓が音を立て続けるのは、男が突然現れたからだけではない。

 どうにもその声音は、神殿という聖域に相応しくなかった。

「妹の無事を知りたいんだろう?」

 どくん、と心臓がまたも大きく跳ねる。

 もちろん、知りたい。考えるまでもない。

 だがこの男は、いったい?

 魔術師という人々が突然姿を見せたり消したりする、そんな話はチャルナも聞いたことがある。しかし「では魔術師だろうか」と理性的に選択肢に上せられるほどは、少女にとってその職種は一般的なものではなかった。

 それに、ごく普通に育てば、「魔術師というものは忌まわしい存在だ」という偏見を抱いてしまうことは珍しくない。ましてや神官と魔術師は、あまり仲のよい間柄ではない。

 神官たちはわざわざ偏見を教え込みはしなかったが、神殿で育たなくても知るようになるその軋轢を神殿で育った少女が知らないはずもなかった。

 つまりチャルナは少なくとも「親切な魔術師さんが助けてくれるのだ」とは思わなかった。

(誰なのかしら?)

(――いえ)

(どうだって、いい)

 きゅ、とチャルナは両の拳を握り締める。

 この男がどうやって入ってきたのであろうと、知ったことか。

 大事なのは妹の無事。それだけだ。

「シャンシャがどこにいるのか、知ってるの!?」

 少女は疑問をかなぐり捨てると、勢い込んで尋ねた。

 相手がそれを認めることが、何を表すか、気づかぬまま。

「知ってるさ」

 笑った。その男は、ユファスが「嫌な笑い方だ」と感じたやり方で。

「ユークオール」

 男――ティオは指をぱちんと弾き、チャルナはぎくりとした。

 若者の背後から、のっそりと影が動いた。

(影じゃない)

(黒い、犬)

 チャルナは息を呑む。

 こんな大きな犬が、神殿の内部にいる。

 それは、男がいきなり現れるよりも奇怪な出来事のように思えた。いや、それとも、不気味な。

「何だよ、不満そうだな。文句でもあんのか?――いいや。初めからこうしていれば早かったと思うのみ。――だって、先生がそうしろってんだから。――判っている。あやつは、回りくどいことが好きだ」

 男がひとりで何を言っているのか。チャルナには判らない。いや、二者の台詞だと知ったところで意味は判らなかっただろうが。

「姉妹まとめていなくなりゃ、神官どもはどこか世話になる場所を見つけたんだとでも思うだけ……のはずが、思わぬ方向に行ったもんだよ。ま、俺は面白いがね」

「まとめて、ですって?」

 姉妹がまとめていなくなる。男はいま、そう言ったか。

「おうよ、嬢ちゃんセラ

 ティオはやはり、笑った。

「親切な先生が、ふたりまとめて、世話してやるとさ」

 大した冗談を言ったとでもいうように、男はくすくすと笑い続ける。

 嫌な感じだ、とチャルナも思った。

「妹と一緒に、いたいだろ?」

 とても、嫌な感じだ。

「生憎といまのユークオールにゃ、俺たちふたり同時は無理だ。だがたまには、夜の散歩も悪くない。こいよ、チャルナ」

 連れてってやる、と男は繰り返した。

 チャルナはますます強く両手を握り締め、それから白い顔のまま、うなずいた。

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