04 よい街であり続けるだろう

「それにしてもインヴェス」

 ザックは、応急治療用の簡易な道具を少女たちのために借り受け、こちらは慣れぬ手つきで血止めをしながら先輩を呼んだ。

「さっきのあれ、すごかったですね」

 インヴェスが投擲器で投げつけたものの話だった。

「何か作ったり、試したりしてるのは知ってましたけど、あれだったんですか?」

「まあな」

 彼は肩をすくめた。

「それでもさっきのは、特別仕様なんだ。シュヴァイス術師の魔術と、ラ・ザイン神官の祝福まで入ってる」

 インヴェスがジードを見た。ジードは軽く会釈する。

 成程、「あらかじめ送った祝福」というのは、あの玉と関わりのあるものか、とザックは理解した。それ以上の魔術、神術云々については、やはり判らないが。

「あの神官さんが、女の子がいなくなった、と詰め所に訴えにきてね。神官様が泡を食って走り込んでくるなんて、前代未聞」

 その言葉に姉妹は口を開けて顔を見合わせる。「泡を食って走る」など、普段のジードからは想像できないのであろう。

「状況はざっと判ったから、必ず助けると言って、協力をしてもらったんだ。術師からも許可が出たし」

 魔術師と神官はあまり仲がよくないというのが一般的であるが、攫われた者たちを救うという目的の前に彼らはいがみ合ったりはしなかった。それどころか、共同戦線とでも言えるものを張ったらしい。

「どういう魔術だったんです?」

「さあ、見当もつかないな。目に見えるもんじゃないんだろう」

「煙みたいの、見えましたよ。それであいつら、慌てて逃げたじゃないですか」

「ああ、それか。それは魔術じゃない」

 にやっと、年上の町憲兵は笑った。

「それが、俺様の技だ」

「……何なんです?」

「当ててみろよ」

「判りませんよ」

「ええと、僕でもいい?」

 ユファスは挙手した。インヴェスは片眉を上げる。

「離れてても、けっこうにおいはしたんだよね。僕もくしゃみが出そうになった」

「うーん、そうか。有効範囲が難しいところだなあ。まあ、害のあるもんじゃないが」

「何?」

 インヴェスが教えてくれなさそうなので、ザックはユファスに尋ねた。料理人は苦笑する。

胡椒ヴォン

「は?」

当たりレグル

 にやにや笑いが大きくなった。

「普通、料理に使うよりも細かく細かく挽いて、飛散しやすくした。ならず者とならず犬に対するお仕置きとしちゃ、可愛いもんだろ?」

「呆れます」

 正直にザックは言った。

「相手の戦闘意欲を削ぐには、かなりいいと思うぞ。隊長に進言してたんだが、人混みじゃ使えないことは確かだし、顔の近くに当たらないと効果はないし、最大の問題として、案外高価なもんだってことがある。使い捨てには不向きだ、却下されてた」

 とインヴェスは肩をすくめた。

「どれくらいの強さで破裂させるかも思案中、つまりまだ実験段階もいいとこなんだが、今回はラウセアが持ってこいって言うから」

「おい、いい加減にお喋りはその辺でやめろ」

 トルーディが口を挟んだ。

「戻れ、インヴェス。ラウセアを補佐しろ」

「はい、隊長」

 真面目な顔でインヴェスが言うと、トルーディは苦い顔をした。

「馬鹿野郎。この世でいちばん面白くない冗談だ」

「すんません」

 敬礼と謝罪の仕草を続けると、インヴェスは身軽に走り去った。

「ザック」

「はいっ」

「お前は詰め所に戻ってろ。その代わり剣を貸せ……と言いたいが、そうもいかんな」

 トルーディの剣は、消えた犬に刺さったままだった。

 思い返せば、ぞっとする出来事である。首筋を差し貫かれても、犬は生きていた。それから、黒い血。

「魔術の領分だとよ」

 何とも嫌そうにトルーディは言った。

「俺ぁ、好かない。連中は、訳の判らんごたくばかり並べやがる」

「でも、魔術師を雇っているのでしょう?」

 ユファスは首をかしげた。じろりと睨まれる。

「好んで雇ってる訳じゃない。お前が仮に泳げないとして、舟もこげないとして、海の上に浮かんでるものを取ってきたかったら、どうする」

「泳ぎの達人か、漁師にでも頼みますね」

「そういうことだ」

「よく判るたとえです。でも」

「でも?」

「いえ、何でもないです」

 若者は首を振った。

 何を取ってきたいのか――などという問いは、ユファスが発しても仕方のないことだ。

「何を取ってきたいんですか?」

 その代わり、ザックがユファスの考えと全く同じことを問うた。

 答えは、同じである。

 トルーディはじろりとザックを睨んだだけだ。

「え、あ、よ、余計な質問でした」

「――いずれな」

「は?」

「いずれは、お前ら若手に託さにゃならん。自主的に俺の帳面を読もうとする若い奴ぁ、いそうでいないんだ。だが正直いまのお前にゃ、ほんのかけらっぱかしも託そうと思えん」

「あ、ええと、す、すみません」

 帳面に手を出そうとしたことは認められたようだが、ちょっとだけ引き上げられて、思い切り蹴落とされた感じがある。

 もっとも、当然だ。

 彼はまだまだ、新米もいいところなのである。

「二十年とは言わん。それだけ経ったら、俺もいい加減、爺になって死ぬところだからな」

 いまはまだ若いと言わんばかりに、六十過ぎの町憲兵は言った。

「だが十年。いや、せめて五年。――成長しろや」

「は……はいっ」

 思い切りよく返事をして、思い切りよく敬礼をした。

 十代の若者にとっての五年と、六十代の男にとっての五年は、全く異なる意味を持つ。

 ザックにはそれは、茫洋として遠すぎる、開けた未来。トルーディにはそれは、いつ衰えと限界を感じ、病に倒れてもおかしくない、今日明日の続き。

 この少年町憲兵だけに限らない、三十を越すインヴェスにも、老町憲兵が同じように感じること。

 もっと強く。

 この街を守るために。

 ザックには、あまりぴんとこなかっただろう。漠然とながら渡された目標に、素直に意気込みを感じているだけだ。

 ユファスとて二十歳ほどの若造だ。

 だが少しだけ、判った。判ったような気分になった、と言うべきかもしれない。

(この気質が受け継がれる限り)

(――ここは、よい街であり続けるだろうな)

 何となく浮かんだ、嫉妬のような気持ち。

 特定の誰かにとどまらない、「街」という大きなものをそれだけ、愛せることへの。

「よい町憲兵さんですね」

 神官もまた、老町憲兵の態度に同じようなものを感じ取ったらしかった。

「今宵は、無事に乗り切れるでしょう。そうなれば、もうあなた方が狙われることはないと、シュヴァイス術師と私で意見の一致を見ました」

 ジードは姉妹を見た。

「それは、どういう根拠によるんですか?」

 思わずユファスは尋ねていた。

「星辰です」

「はい?」

「星の運行に強く意味を見出すのは魔術師たちですが、我々も全くやらないというのではない。間もなくやってくる〈変異〉の年に向けて、以前よりも星々の力には注意を払っています」

「は、はあ」

 六十年に一度訪れる〈変異〉の年。いつもは十二月で一年だが、その年だけは十三番目の月を迎える。

 災いが起こるなどと言われ、盛大に厄除けの祭りをすると言う。

 もちろんユファスは、以前の〈変異〉の年など知らない。彼自身はおろか、両親だって生まれていない。ただ、そういうものらしいと聞くだけだ。

 もっとも、本当に「災いがある」と怖れる訳ではなく、単に一年がひと月長いだけだと考える者も多い。むしろ、厄除けの大祭を楽しみにする者だっている。

 ただ、前年かその年にでもなればともかく、普通はあまり、話題に上らない。

 突然何の話がでてきたのか、料理人にも町憲兵にも少女たちにもさっぱりだった。

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