11 やがて訪れる未来に吹くのは(完)

 彼らが久しぶりに顔を合わせたのは、チャルナのいない〈麻袋〉亭にてであった。

「やあ、町憲兵さんセル・レドキア。君がこうしてここでのんびり座っているということは、今日もアーレイドは平和だということで、けっこうだね」

 言う者によってはたいそうな皮肉混じりの台詞に聞こえただろう。だが、口にしたのがほかでもないユファス・ムール青年であれば、ザックも「暗に『さぼっているんだろう』と言われたのだろうか」などと疑心暗鬼になったりはしない。

「おかげさまで、大事件の兆しはないよ。〈変異〉の年も終わったことだし」

 若い町憲兵はそう返した。

 あれから二年。

 いつしかザック少年からは少年らしいところがなくなり、若者、青年と言うのが相応しいようになってきた。

 過去の事件は、既に過去のもの。

 人攫いの噂はその後アーレイドから絶えている。町憲兵たちはすっきりしなかっただろうが、彼らはいつまでもひとつの事件を抱えていられない。

 トルーディの帳面にはティオの記録が増えていたが、その記述が何かの役に立つことはないまま、ユファスやザックという当事者たちからさえ、事件の記憶は薄れようとしていた。

 日々は巡るのだ。

 過去に何があろうと、未来に何が待っていようと。

「昨年末はかなり忙しかったみたいだね」

「一昨年よりずっと酷かったな。ただ、六十年前もそうだったと伝わってる。ひと月まるまる祭りみたいなものだから仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど」

「そうだね。それが大筋の見方じゃないかな。誰も〈時〉の月の町憲兵隊は仕事をさぼったなんて言わないだろう」

「おかげさまで」

 ザックはまた言った。

「今日もひとり?」

「インヴェスはすぐにあちこちに行っちゃうから」

 ユファスの問いに、若い町憲兵は苦笑した。

「本当は、いけないんだろう?」

「そうなんだ。俺も何度も言うんだけど、聞いてくれないんだよ」

 ザックの相棒は、副隊長となったラウセアからインヴェスに変わっていた。トルーディの方は、いっそ単独行動できる特殊な位を作ろうかという話も出たのだが、意外にも本人が断った。特例などない方がいい、というのが老町憲兵の意見だった。

 もっとも、新たな相棒を置き去りにして出かけていることは相変わらず多いのだが。

「ところで最近、エイルに会った?」

 と、尋ねたのは、ザックではなくユファスだった。

「年が明けて、一回だけかな。何だかずいぶん、すっきりした顔してた」

「そうだね。僕もそう思う」

 エイルという名の少年が、思いがけず城の下厨房にやってきたのは、〈変異〉の年になる数月前のことだった。バールの帰郷に続くように数名の料理人が抜け、それまでに増して忙しなくなった厨房に、数年前のユファス以上の素人の少年が雇われたのだ。

 と言っても、彼はトルスに雇われたのではなく、事情で城に雇われていた。

 仕事に慣れてきたかと思うとどこだかに去ってしまい、一年ほど経ってひょっこりと帰ってきた。

 しかし彼は、下厨房に戻ることなく、ほかの仕事についた。

 下町に戻ることもなく、何とか言う聞いたこともない町で、ひょんなことから知り合った人物の家を譲り受け、そこで暮らすことになったのだとか。

 詳細を尋ねてもうやむやにするばかりで、エイルが一年間どうしていたのか、いまはどこで暮らしているのか、友人たちは知らなかった。

 そう、ユファスとザックが、実はエイルという共通の友人を抱えていたことを知ったのは、つい最近のことだ。

 ユファスはザックでさえ、ザックはユファスでさえ、エイルの「事情」を知らないことに首をひねったが、意外と頑固な彼は言うまいと決めたら絶対に言わないだろう。

 友人たちはエイルの事情を憶測する代わりに、ただ時折、彼の消息を伝え合った。

「自分が順調だからかな、ずいぶんと余裕たっぷりで。君に女の子を紹介しようかなんて話をしてたよ」

「えっ」

 ザックは焦った。

「また、そんなこと。俺はいいからって言っておいて」

「でもレイジュの仕事仲間だとすると、王女殿下の侍女だよ。美人だよ」

「俺はいいってば。ユファスこそ、どうなんだよ。ユファスが紹介してもらえばいいじゃないか」

「僕? 僕こそ、いいよ。この前『あなたはつまらない』と言われて振られたばかりだから」

「えっ……そ、そうなのか。ごめん、変なこと言って」

「いやいや。正直、僕の方にあんまり熱意がなかったから。飽きられて当然じゃないかな」

 相変わらず恋愛に熱心にならない青年は、あっさりとそんなことを言った。

「あら。何の話?」

 通りかかった給仕娘が、盆を抱えて立ち止まった。

「ユファス、まだいい女性ひとできないの?」

「生憎と」

 彼は肩をすくめた。

「どう? 元気でやってる?」

「もちろん」

 にっこりと彼女は笑った。この笑顔を見ると、ユファスもザックも、何だか懐かしい気分になる。

「はじめの内は、どんなドジをやらかすかと心配、それとも期待されてた感じがあるけど、幸か不幸か、私とお姉ちゃんはあんまり似てないのよね」

 チャルナとよく似た顔をした妹は、そう言って肩をすくめた。

「お姉ちゃんから手紙がきたよ。ふたりによろしくって」

 シャンシャが選んだのは、チャルナを見送ってアーレイドに残ることだった。

 姉とは離れがたいが、一緒について行くのも何だか違う感じがした、とあの頃ぽつぽつ話したものだ。

 ユファスはその言葉に故郷の弟ティルドを思い出し、どこかで抱えていた「弟を置いてきてしまった」という負い目を少し軽くした。もちろんシャンシャとティルドは違うが、ふたりとも自分で選んだことであり、どちらも自分で歩ける力を持っている。

 もし何か問題があれば故郷へ飛んでいってでも手を貸したい、という気持ちは変わらずある。何もないのがいちばんだが。

「手紙か、それは嬉しいね」

「幸せにやってるのかな」

「間違いないわね。ふたり目ができたんですってよ」

 シャンシャは片目をつむった。男たちは目をしばたたく。

「確かこの前、ひとり目が生まれたばかりじゃなかったっけ?」

「バールの奴、ちゃんと育児も手伝ってるんだろうなあ」

「すっごい子煩悩みたいよ、義兄さん。過保護なくらい世話するんですって。ただ妹としては、それはチャルナに任せておくとうっかり赤ちゃんを落としかねないからじゃないかとも思うんだけど」

 一種辛辣に妹は言ったが、それは嫌味や糾弾などではなく、身内ならではの軽口だ。そこに大きな親愛があることは、嬉しそうな笑顔から汲み取れた。彼らもまた、笑みを浮かべる。

 確かに間違いなく、チャルナはバールと幸せに暮らしているようだ。

「シャンシャ! こっち、酒の追加だ!」

「はいはーい」

 元気よく返事をする姿も姉に似ているが、シャンシャはチャルナと対を為すかのようなしっかり者で、〈麻袋〉亭に損害を与えることは滅多になかった。

「そうそう、ザック」

 そこで少女は振り返る。

「何?」

「今日、送っていってくれない?」

「もちろんかまわないけど、どうかしたの?」

「最近、この辺におかしな男が出るんですって」

「何だって? 何か事件でもあったのか?」

 瞬時に若者は町憲兵の顔になった。少女は困った顔をする。

「別に、誰か襲われたとかじゃないのよ。ただ、その」

 こほん、とシャンシャは咳払いをした。

「マントの下に、何も着てないひとが、出没するんだって」

「……ええと、それだと捕まえても、説教するくらいしかできないな」

 それを罰する法律は、アーレイドにはなかった。

「でもこの付近の巡回は強化するよう、進言するよ。町憲兵がうろつけば、そういう手合いはすぐにいなくなるだろう」

「……馬鹿」

 少女は小さく、呟いた。

「え?」

「……ああ」

 ユファスも小さく、呟く。

「へえ、そう。そうなんだ」

「ちょっと、ユファスっ」

「はい。言いません。僕は何も」

 降参するように、料理人の青年は両手を上げた。シャンシャはじろりとそれを睨んで、息を吐く。

「じゃ、あとでね」

「あ、うん」

 ザックは瞬きをしながら、そう答えた。

「さっき、シャンシャが何て言ったか、聞こえた?」

 彼はユファスに尋ねた。

「まあね」

「俺、よく聞こえなかったんだけど」

「聞こえてもたぶん、判らないんじゃないかな」

「は?」

「とにかく、君はシャンシャを送ってあげればいいんだよ。今日だけじゃなくて、当分ね」

「だから、巡回を強化すれば……」

「それも必要だけど。送ってあげなよ」

「うん、そのつもりだけど」

 ザックは訳が判らないという顔をした。これはやっぱり時間がかかるんじゃないかなと、ユファスは思った。

 〈変異〉の年を終えたアーレイドの夏は眩しく、風は爽やかに過去を払った。

 やがて訪れる未来に吹くのは微風か暴風か、彼ら自身はまだ、知ることができなかった。


―了―

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掠め風 一枝 唯 @y_ichieda

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