掠め風

一枝 唯

第1章

01 見知らぬ街並み

 それは、秋になろうという季節だった。

 厳しかった陽射しは少しずつ弱まり、気温の変化を感じ取った木々たちはほんのりと頬を染め出していく。

 朝と夕刻には、半月前までは思いもよらなかった肌寒さを起こさせ、人々は季節の変化を感じ取る。

 空の色も、目に痛いほどの眩さを薄れさせ、どこか深みを感じさせる青にと変わっていった。

 優しい季節だ。

 ことことと馬車に揺られている間、彼はそんなことを考えていた。

 本当ならば、しみじみと季節の変化を考えている場合ではなかったかもしれない。

 だが、見えぬ先行きに不安ばかり覚えていても仕方がないと思った。彼の選んだことなのだ。

 見えぬ道でも、進めばいまに見えてくるだろう。

 できれば歩きやすい道であるといいな、とは思ったが、たとえそれが急激な上り坂でも、先が判らぬほどに狭い獣道でも、彼は苦情を言うつもりはなかった。

 馬車は無事に門をくぐると、賑やかな広場にたどり着いた。

 ひとときの旅仲間たちに分かれを告げ、活気のある街並みに足を踏み入れる。

 ざわめきが耳を覆う。静かな街道を旅してきてしばらく聞かれなかった音が、頭にわんわんと響いた。

 うるさいとは思わない。

 大声を張り上げている商人も、のんびりと屋台をのぞきこむ女性も、焦ったように走る若者も、はしゃぎ回っている子供たちも、この街に生きている。彼の初めて訪れた、見知らぬ土地に。

 見知らぬ街並み。

 見知らぬ人々。

 それから彼は、しばらくの間、中途半端に口を開けながら街と人々を眺めていた。

「何、間抜けヅラをしてるんだ」

 連れが呆れた顔で、指摘する。

「規模で言や、あとにしてきた街の方がでかいだろ。栄えていて驚いた、なんて言うなよ」

「そんなことは、言わないけど」

 彼は口を閉ざすと、ゆっくりと首を振った。

 年齢は二十歳前後だろう。やわらかそうな暗茶色の髪は、襟足が少し長めだ。茶色い瞳は、興味深そうに辺りを眺めている。

「似ているようで、違うものだなあと思ったんだ」

「そりゃ、違う街だからな」

 相手は当たり前のように言った。

「何だ。早くも故郷が懐かしいのか?」

「どうかなあ。正直、判らない」

 若者は少し顔をしかめたが、すぐに表情を変えた。にっこりと笑ったのだ。

「いまはただ、新しいもの全てにわくわくしてる、ってところかな」

「そりゃ結構」

 男は言うと、すっと指を上げた。

「あれだ」

 若者は、指し示されたものを見る。

「あれが今日から……いや、正確なところを言えば、明日からになるんかな」

 三十過ぎほどの連れは、若者の肩をぽんと叩いた。

「お前さんの仕事場って訳だ」

 若者はじっとそれを見た。門の付近からも見える、それは壮麗たる王城。

 ――アーレイド。

 ここは、名前すら、聞いたことのなかった街だ。

 彼の先行きは、遠く故郷を離れ、ここにある。そういうことになった。

 数年も前からすれば、思いもかけない出来事だ。だが、彼は占い師ではない。未来など、判らなくて当然だ。

「ずいぶんとぼんやりしてるようだが」

 男は彼をじろじろと眺めた。

「大丈夫か? 疲れてるだけならいいが、呆け野郎を連れてきたかと俺を後悔させるなよ」

「ごめんごめん」

 彼は笑って手を振った。

「大丈夫だよ。本当に、もの珍しいだけだってば」

「なら、いいが」

 男は唇を歪めると、もう一度彼を促した。

「さあ、行くぞ、ユファス」

 かけられた声に、ユファス・ムールは大きくひとつうなずいて、彼に指示をくれる――上官ではなく、料理長のあとについていった。

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