08 彼女を転ばせないためには

「いまの人が……シャンシャのところへつれていってくれると」

「何だって」

 ザックはユファスと顔を見合わせる。

 まさか、と彼らも少女と同じことを思った。

 何ごともなくチャルナを神殿まで送り届けられたのは、誰かほかの人物――シャンシャが攫われたためでは。

(チャルナと間違われたとか)

 ザックはふと思い、そこで、気づいた。

(いや)

(たとえ自分たちと知り合わなくても、チャルナがいなくなったらシャンシャは探しただろう)

(チャルナは天涯孤独じゃない。妹がいる)

(つまり、春女とその子供を攫ったように)

(姉妹のどちらも、狙いだった――?)

 確証はない。だが、両方を攫う、或いは片方を攫ってもう片方をおびき出す、それが彼らの狙いだったのではないか。

 ティオが「今夜、チャルナを守ってみせろ」と挑発するように言ったのは、彼らがシャンシャまで狙われているとは気づいていないと知り、彼らの目をチャルナにだけ向けさせておく意味もあったのでは、ないか。

「だが、まあ、それくらいで済んでよかった」

 と、三人目の声が言う。ユファスはぱっと振り返り、慎重に新来者を眺めた。

 それは年の頃、三十の後半くらいの男に見えた。黒い髪は、不思議に青みがかって見えた。

 だがその不思議も、何となく「成程」と根拠なく納得してしまいそうだった。

 男の身に着ける黒いローブは、魔術師のしるしであったからだ。

「さっきの術は、ほんの一時しのぎなんだ。巧く稼動し、なおかつあんたらの剣が当たったのは、運がよかったとしか言えない。魔物には魔術って、あんまり効かないんだよ、普通」

 夜色の瞳をユファスの茶のそれに合わせ、男は肩をすくめた。魔術に縁のないユファスには、何のことだかさっぱり判らなかった。

「あなたが何か助けてくれたんですね」

 ただ、それだけは判った。

「有難うございます」

「これも言っとくが、あんたらはものすごい無茶をやってたんだぞ。どれくらい無茶かと言うと、蟻が象に噛みついて倒そうとするようなもん」

「せめて鼠と猫くらいになりませんか」

 思わず苦笑を浮かべてユファスは言った。だが男は、不味いものでも食べたかのように口を曲げて首を振る。

「冗談を言ってるんじゃないんだ、兄さんよ。あんたらの剣がこどごとく外れたのは、あれが鋼鉄を避けられる生き物だからさ。体当たりは正解。それじゃ殺せんけどな」

「講義はその辺りにしとけ」

 苦々しい声がした。

「場所だけ指示して勝手に消えるな、ど阿呆が」

「俺があんたを待ってたら、後輩君は死んでたけど、それでもよかったのか、ビウェル町憲兵」

「トルーディ!」

 ザックは目を見開いた。そこに姿を見せたのは、制服を着ていない老町憲兵だった。

「どうしてここに」

「ラウセアだ」

「え?」

「あの野郎、俺に帰れと言って俺が帰るはずもないとから踏んでやがる。てめえがインヴェスを連れて業務に回るから、俺が業務上にあったらできないことをやれと、そう言ってきた訳だ」

 言いながらトルーディは魔術師を指した。

「規定にある訳じゃないが、町憲兵が魔術師を連れてうろうろする訳にゃいかんからな」

「不吉で人心を惑わす魔術師。どっちかって言うと俺らは、市民の敵だから。大方は誤解なんだが」

 魔術師は哀しそうに首を振ったが、少し芝居がかっていた。

「さて、嬢ちゃんは神殿に戻れ。ザック、連れてってやれ」

「え、でも」

「いまの奴らの件は俺とこいつが引き継ぐ」

 トルーディは黒ローブの魔術師を指した。

「で、でも」

「でもじゃない。命令だ。念のためひと晩、神殿に詰めてろ。――行くぞ、シュヴァイス」

「俺はあんたの部下じゃないけどね。はいはい、睨むなよ。判ってるから」

「ト、トルーディ!」

 ザックが命令に反論する間も、何かしらの質問をする隙も与えず、老町憲兵は魔術師を伴って夜の街に消えていった。

「な」

「何が起きたんだ?」

 ティオがシャンシャを攫い、チャルナをおびき出した。

 ユファスとザックはそれに行き会い、拐かしをとめようとした。

 刃をかすらせもない奇妙な犬と戦い、ザックは危ういところだった。そのままであれば、ユファスも同様だっただろう。

 そこに魔術師が――シュヴァイスと呼ばれていたか?――現れ、ティオと犬は去った。

 トルーディはザックにチャルナを連れて神殿にいるよう命じ、シュヴァイスと共にティオと犬を追うと言って、去った。

 まとめればそういうことだ。

 だが、それ以外は何も判らない。

 あの犬は何なのか? どうしてトルーディは魔術師と?

 そして、シャンシャはどこに。

「私」

 チャルナが呟くように言った。

「シャンシャを、探さなきゃ」

「いや、チャルナは神殿に」

 ユファスは素早く、神官や町憲兵と同じことを言った。

「シャンシャのことは、さっきのトルーディさんたちに任せるんだ。君はザックと神殿に」

「危ない連中に連れていかれたことがはっきりしたわ。じっとしてなんか、いられない」

「だからこそ、君には安全なところにいてもらいたいんだよ」

 真摯に、ユファスが少女を見た。

「彼らは専門家なんだ。状況をよく判っているし、荒事にも慣れている」

 魔術師については知らないが、少なくともトルーディについては間違いないはずだとユファスは思った。

「彼らに任せれば、シャンシャは大丈夫――」

「疑っている訳じゃない。でも」

「気持ちは判るけれど、シャンシャが無事に戻ってきたとき、今度は君が行方不明なんてことになったらどうするんだ」

「神殿でも、言われたわ。いまの町憲兵さんが言うのもそういうことね。判ってる。でもあの人たちは魔術みたいなものを使って私の部屋に現れたの」

 少女は先に起こったことを簡単に説明した。

「部屋にいたって安全じゃない。それなら、私だってシャンシャを探す」

 そこには、いつものんびりとした調子のチャルナにはなかったものがあった。

 妹が危険にあるかもしれない。その恐怖と焦りが、少女の様子を変えていた。

「お願い、私と一緒にあの子を探して!」

「駄目だ」

 ユファスは首を振った。

「魔術に対抗する手段は判らないけれど、それならなおさら神殿の方が安全だ。人手をかけられるし、神官たちの術もあるんだから」

 少し息を吐いて、彼は続けた。

「もちろん僕は探す。でも君は、ザックと神殿に」

「ユファス」

 ザックは目をしばたたいた。

「駄目だと言うなら、あなただって駄目です」

「どうして。トルーディ町憲兵は、僕については何も言わなかったと思ったけど」

「そりゃあ、言うまでもないからです。町憲兵でもなければ、妹を攫われた訳でもない」

 むしろ、と少年町憲兵は言った。

「俺がトルーディについていって、あなたにチャルナを送ってもらった方が」

「私は帰らないわ」

 チャルナはきっぱりと言った。

 男ふたりは顔を見合わせてしまう。

 少しの間、沈黙が流れた。

「……ザック、君からも、チャルナを連れていく訳にはいかないと」

「――行こう」

「えっ」

「おい、ザック」

「俺だって、チャルナを危ない目に遭わせたくない。でも、神殿で待っていてと言っても、チャルナは聞かないだろう。縛りつけておく訳にもいかないし」

「まあ、それはそうだけれど」

「あなたは、シャンシャを助けたいと思うんでしょう。俺も同じだ。誰より、チャルナが」

 言うと少年は、すっと少女の前にひざまずいた。

 と言っても、何も騎士が忠誠を誓うようにした訳ではない。手布を取り出して、チャルナの膝の血を拭いたのである。

「応急処置だけど、やらないよりはまし」

 そう言って彼は、白い布を少女の膝に巻いた。

「有難う」

「本当は、薬とか塗った方がいいと思うけど」

「そうじゃなくて」

 チャルナは首を振った。

「行こうと言ってくれて、有難う」

「いや……その」

 少年は咳払いをした。

「君のことは、俺が守るから」

「あー……」

 ユファスは額に手を当てた。ザックは慌てて手を振る。

「あ、ごめん。俺だけじゃなくてユファスも」

「そうじゃなくて」

 今度は若者が言った。

「仕方ない。ザックの言うことにも一理ある」

 彼らが彼女を神殿に置いていって、そのあとで少女がひとりで脱け出すようでは、却って危険だ。

「でも、本当に危ない局面になったら、必ず逃げるように。それを約束できるなら、一緒に行こう」

 年上の元軍兵は、渋々とそう言った。

 理屈、理性で考えれば、チャルナを同行させて何かよいことがあるとは思えない。それどころか、危ないだけだ。冷淡なことを言うならば、足手まといにすら、なりかねない。トルーディも同じか、もっと手厳しいことを言うだろう。

 だが、誰かを案じるという気持ち。

 自分が剣など持ったことがなかった頃、同じように弟が危ないということになったら、大人に「じっとしていろ」と言われたところで理性的にできただろうか?

 できたかもしれない。だが、チャルナと同じように飛び出そうとし、転んで――転倒する、という意味合いに限らず――泣いたかも。

 彼女を転ばせないためには、自分たちがつくしかない。

「〈麻袋〉亭に行くと言ったんだね? シャンシャがどの道を通ったか、予想がつく?」

「た、たぶん。〈白猫通り〉から〈アジサシ小路〉へ抜けたと思う」

「その辺なら、誰かしら巡回してる。女の子がひとりで歩いていたり、或いは男と一緒でも、少しでも怪しい素振りがあったら今日の町憲兵はとてつもなく厳しく見張っているはずだから」

 見咎めて保護するはずだ、と少年町憲兵は仲間を信じた。

「それなら、どこに」

「トルーディがどこに行ったか、ということでもあるんだけど」

 ザックは先輩町憲兵の去った方角を見た。

「ひとつ、僕に考えがある」

 ユファスが片手を上げた。

 残りのふたりは真剣に、元軍兵を見た。

 ――息が詰まるほどの胸騒ぎ。

 彼らの「今夜」は、まだこれからだった。

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