07 まだまだ素人同然
「じゃあ兄ちゃん」
にやっと笑ってバールは言った。
「さっきのみたいなやつ、今度、俺にも教えてくれよ」
「体術? うーん、それはちょっと」
「何だよ、ケチるなよ」
「人に教えられるほどじゃないんだよ。それに、中途半端に覚えるのがいちばん危ないんだ」
ユファスは仮にも玄人だった訳だが、それでも町憲兵はとめた。正しい判断だと思う。
「何かあったときは、応戦なんて考えないで逃げるのがいい。さっきのあとじゃ、説得力がないけど」
「ないない。ないな」
バールは手を振った。
「まあ、でも何となく判る」
町憲兵も言ってたことだし、と彼も繰り返した。
「それじゃその代わり」
またしても、友人はにやっと笑う。
「厨房でさっきの話を言いふらすのは、とめんなよ」
仕方がない、とユファスは天を仰いだ。
それから彼らはバールの馴染みの店を訪れ、どちらも数点の衣服を仕入れた。
買い物好きのようにあれやこれやと迷った訳ではなかったが、バールが知人の店員にユファスを紹介し、先ほどの活躍を大げさに話し立てたりしたものだから、気づけば思ったより時間が経っていた。
「遅い!」
慌てて城に戻り、調理着に着替えて厨房に入れば、早速トルスの怒声が飛んでくる。
「どこの包丁屋まで行ってきたんだ!」
「遅れたのはごめん、料理長」
「でも、まだ約束の日じゃないから用意が間に合わなかったみたいだよ」
「何? あの髭親父め、一日で入ると言ってたのに」
どうやら「用意できる」と「用意しておく」の間に、微妙な差があったようだ。
「だがその話はあとだ。とっとと持ち場につけっ」
「了解、料理長!」
癖のようなものなのか、バールは敬礼をすると隊長、それとも将軍の命令に従った。
「トルス、僕は」
「皿」
「了解」
彼もまた敬礼をしかけたが、トルスがじろりと睨んだので肩をすくめて手を下ろした。
夕飯時の厨房は、戦場さながらだ。
「厨房の戦士」たちはよくそんな言い方をする。
もちろん切ったはったなどはないのだし、火も包丁も扱いを間違えれば危険だが、普通は死人など出ない。あくまでも、極端に慌ただしいことの比喩表現だ。
ユファスも真の意味での戦場は知らないが――少なくとも彼の軍属中、エディスンはどことも戦などしなかった――街道の山賊や魔物を掃討する任務に当たったことはある。
煽るような熱気とそれに相反するように求められる冷静さ、というような意味では、確かに厨房も戦場の一種と言えそうだな、などと思った。
使われた皿はあとからあとから積み重なるが、ユファスもだいぶ慣れてきた。焦ることなく洗い物を続け、山が小さくなったところで野菜の千切りを命じられた。
これはまだ苦手だが、厨房の誰もが通る道だ。面倒なことを新人にやらせるという意味もあれば、新人に練習を積ませるという意味もある。
ユファスは真剣な顔で野菜を睨みつけ、均等に細く切ることを心がけたが、やっぱりトルスに怒鳴られた。まだまだ素人同然だ。
あれを持ってこい、これを持っていけ、だのという命令の数々をこなしていると、次第に「戦場」も落ち着いてきた。毎日のことであるのだが、それでも少しほっとしたような空気が広がる。
「今日はずいぶん、一時に集中したなあ」
「何でもお偉いさんが会議とかしてるんだと。ご主人様が部屋を出る時間が一致したんだ」
「へえ、こんな時間に珍しいな」
閣議の類はたいてい朝方に行われているらしい。料理人たちは詳しいことを知らなかったから、誰も彼も聞きかじりだったが。
「何かあったのかな?」
「さあな。何があったんでも、俺たちは決まったことに従うだけよ」
そんなお喋りをする余裕も生まれてくる。これは雑談というやつであって、本気で「何かたいへんなことがあったのでは」と心配しているのではなかった。
「ああ、それでバール、ユファス。ソルの髭親父は何だって?」
「明日以降にまたきてくれってさ」
バールは簡潔に、やり取りを説明した。仕方ない、とトルスはうなる。
「ユファス、また明日、今日と同じくらいの時間に行ってくれ」
「判った」
「場所はもう判るな?」
「大丈夫」
返事をしてユファスは、感謝の仕草をした。トルスは片眉を上げる。
「雑用を言いつけられるのが嬉しいのか?」
「僕が街に慣れるように、との料理長のお気遣いは充分伝わっております、ということなんだけど」
「阿呆。お前なんざいてもいなくてもかまわんからというだけだ」
「はいはい。有難う」
「そうだ、今日はすげえ話が――」
バールは、おそらくはユファスの話をしようとしたが、それはとどめられた。
「はーい、三名様追加ー」
食堂の入り口を見て、ひとりがぱんと手を叩いたのだ。
「ほら、動け動け」
「あいよ」
「三人な」
「軽いもんだぜ」
話題が逸れたことにほっとして、ユファスも仕事に戻った。
しかし、その秘密は結局、それから一刻しか守られなかった。
「言いふらす」と言い切ったバールは、片づけのあと、料理人たちが勢揃いで賄い食を味わっている最中に、その話を持ち出したからだ。
「それがもう、活劇芝居みたく。くるっと。ばーんと」
「へえええ」
「すげえなあ」
「言い過ぎ、言い過ぎ」
肉片を頬張りながら、ユファスは手を振った。
「見た目じゃ判断できんもんだなあ」
「トルスまで」
ユファスは苦笑せざるを得ない。
「アーレイドまでの途上で、同乗した戦士の暇つぶしに僕がつき合わされていたのを見ただろう? トルスは話だけじゃなくて、知ってるじゃないか」
「そりゃあ、あんときも『見た目じゃ判断できん』と思ったんだよ」
料理長はそう言った。
「ま、悪いことをやった訳じゃないが、ほどほどにしておくんだな。図に乗ると痛い目に遭いかねない」
「町憲兵さんにも言われたよ。怪我をしてからじゃ遅いよね」
判ってる、とユファスが言えばトルスは顔をしかめた。
「まさかと思うが、その町憲兵は爺だったか?」
「は? いや、四十くらいだと思うけど」
「それはよかった。いいか、アーレイドにはひとり、もうろくした爺の町憲兵がいるから気をつけろ。何もしてないのにしょっぴかれるぞ」
「そんな馬鹿な」
これはトルスの冗談なのだろう。ユファスは笑った。
「よさそうな町憲兵隊じゃないか? 立派な人に見えたよ、サリーズさん」
「サリーズ?」
トルスは繰り返した。
「何だ、ラウセアか」
「知ってるの?」
ユファスは目をしばたたく。
「俺の幼馴染みの旦那だ」
「へえ」
思いがけないつながりがあるものだ。
「ラウセアと面識ができたんならちょうどいい。爺に悩まされたら、あいつに言え。何とかしてくれる」
「……はあ」
トルスは、あまり
「……あれはいったい、どういう言い様なんだろう?」
食事を終え、自室に戻った若者は、相部屋のガレンに尋ねた。
「トルスは何か、町憲兵に個人的な恨みでも持ってるとか?」
「ああ、あれか」
ユファスやバールよりも少し年上の料理人は、考えるように両腕を組んだ。
「料理長は以前からあんな調子だが、詳しい話は俺は知らない。誰も知らないんじゃないかな。もしかしたらファドック様はご存知かもしれないけど」
「ファドック様って、シュアラ王女殿下の騎士をされてる方だっけ」
その人物の噂はたまに聞くが、ユファスはまだ姿を見たことがなかった。
「
「成程ね」
ユファスが納得したのは、たいていの人間が敬意を払っているらしいファドック・ソレスという人物をトルスは「変わりもん」だの「クソ真面目馬鹿」だのとこき下ろしてばかりだからだ。親しさ故、というところなのだろう。
そう言うと、ガレンはうなずいた。
「
彼はまた言って、にやりとした。
「つまりは、それかもしれん」
「どれ」
「料理長は、『爺の町憲兵』とも仲がいいんじゃないか」
「……成程」
トルスが聞けば、とんでもない間違いだと彼らを怒鳴りつけただろうが、この場にトルスはおらず、ユファスは、それは大いにありそうだと思った。
「何にせよ、今日のはちょっとした英雄譚だな。感謝状だのと噂になれば、女も寄ってくるかもしれないぞ」
「そんなことで寄ってこられてもなあ」
若者は暗茶色の頭をかく。
「どうしてだ。この仕事をしてるとなかなか恋人が作れないもんだが、城勤めを捕まえれば巧く行くぞ。こっちの仕事の周期をよく知ってるんだからな」
夕飯時に
「そんな形で女の子をどうこうしようとは思わないよ。好きな子でもいるなら、気を惹きたいと思うけれど」
「へえ、成程ね」
今度はガレンがそう言った。
「ま、それならそれでいいんじゃないか。女をもてあそぶと、あとが怖いからな」
「ガレンは、もてあそんだことがあるのか?」
にやっと笑ってユファスが問えば、ガレンはうーとうなった。
「……もう寝るぞ」
「はいはい」
にやにや笑いのままでユファスは言い、やめろとガレンに怒られた。
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