08 仕事の一環
翌日の用事は、無事に終わった。
刀屋のソルは前日に無駄足を踏ませたことを詫び、何でもないことだとユファスは手を振った。
「シンガ……昨日いなかった、うちの馬鹿息子だがなあ。西区の方の飯屋にまで足を伸ばしてたんだ。その辺にいくらでも屋台があるものを」
あご髭をかきながら、ソルはそんな話をした。
「目当ての娘でもできたのかもしれんが、そんなことは仕事のあとにやるべきだ。そうだろう、若いの」
「そうですね、仕事は大切です」
もしかしたらシンガ青年には、何か事情――「目当ての娘」はその時間帯にしかいないだとか――があるのかもしれないが、別にユファスは意見を求められている訳ではない。彼は無難な受け答えをしたが、それはソルの気に入ったようだった。
「シンガもあんたみたいに真面目だったらなあ。あいつは気軽に仕事をさぼって、ぶらぶら遊んでばかりだ。うちで雇ってなんかやらないで、余所に出せば少しは頑張ったんかなあ」
これには困った。そうですねとも違いますとも言えないではないか。
「女に入れ上げるなら、悪い仲間を作るよりましだが……最悪なのは、悪い女に引っかかるってことだ」
「は、はあ」
「なあ、あんた。〈白い河〉亭って知ってるか」
「いえ、知りません」
「そうか。シンガが行ってたのがそこなんだが、評判の悪女でもいなきゃいいと……ああ、すまんすまん」
そこで刀屋の主人は、若者が困惑していることに気づいた。
「つまらん話をしたな。請求書は袋のなかに入ってる。トルスに渡してくれ」
ソルとの話を思い出しながらユファスは街を歩き、親というのもたいへんだ、などと思った。
(生きていたら、父さんや母さんも、僕やティルドのやることにやきもきしたんだろうか)
魔物の襲撃から町を守って命を落とした父。診療所の火事から患者を助けようとして煙に巻き込まれた母。誰もが彼らの死を立派だったと言うが、子供たちにはつらく哀しい出来事でしかなかった。
いまでは誇りを持って彼らのことを話せるようになったが、それでもやはり、思い出せば胸が痛くなる。
成長した自分の姿を見てもらいたかった。
彼らが生きていれば、ユファスが軍兵になることはなかったかもしれない。そうであれば怪我をすることもなかったが、もちろん彼はそれを両親のせいだなどとは考えず、心配をさせずに済んだだろうと考えた。
(親孝行なんて、ろくにできなかったもんなあ)
思い返しても仕方のないことなのだが、一度考えはじめてしまうと、何かきっかけがない限り延々と同じことを考えてしまうものだ。
ユファスは首を振って、違うことを考えようと心がけた。
(そうだ、確か)
(……この辺りにあるって)
とあることを思いついた彼は、通りかかった街びとに目的の場所を尋ね、ほどなくそこにたどり着いた。
「すみません、こんにちは」
ひょこっとのぞき込んで、なかにいた人物に声をかける。
「ラウセア・サリーズ町憲兵はいらっしゃいますか」
やってきたのは、町憲兵隊の詰め所である。
受付担当のような若い町憲兵は、その名を聞いて片眉を上げたが、何の用だの何だのと尋ねることを省略してラウセアを呼びに行ってくれた。
昨日の今日であるから、忙しい町憲兵も彼のことを覚えていてくれるだろう。
「ああ、これはこれは、
やってきた熟練町憲兵は、案の定、彼を見覚えていた。
「どうしたんです? 今日もまた、誰かを投げ飛ばしたとか?」
笑って町憲兵は言った。
「自首しにきた訳じゃないです」
ユファスも笑って返す。
「ただ、昨日のこと。その、本気じゃないなら、いいんですが」
「何のことでしょう」
ラウセアは首をひねった。
「感謝状」
息を吐いてユファスは言った。
「冗談か何かならいいんですが、本当に用意されても、困るので」
断りにきましたと告げた。
バールは「何で」と言うだろうが、「何で」も何もない。困る。
「そうですか」
瞬きをしてラウセアは腕を組んだ。
「そう仰るなら手続きは取り下げますが、弱りましたね」
「……僕が断ると、何が弱るんですか?」
「ええとですね。こういう順番なんです」
ラウセアは部屋の隅の卓にユファスを促した。何だろうと思いながら若者が座れば、町憲兵は向かいの椅子を引く。
「私が報告書を書いて、町憲兵隊長に話を伝える。協力をしてくれた市民に感謝状を出したいのですがと言えば、隊長は許可書と要請書をくれます。私は要請書を持って、こうした場合に書を提供してもらえる約束の書家を訪れます」
もう訪れてしまった、というようなことだろうかと思った。だが「弱る」ほどのことでもないだろう。その書家とやらはよっぽど怖い人なんだろうか、などと若者は考えたが、ラウセアは首を振った。
「ここまではあまり関係ありません。ただ、迅速にことを運ぼうとすれば一日で可能ですが、普通にやろうとすれば早くても数日はかかるということ」
「はあ」
「感謝状ができるまで」の流れはよく判ったが、話の流れの方はよく判らない。
「こちらに書状が上がってきたところで、該当者に連絡が行きます。事件を担当した町憲兵が訪問するのが普通ですが、決まりはありません。そこで、都合のいいときに詰め所にどうぞと言います」
「詰め所に?」
ユファスは首をかしげた。
「渡して終わりじゃないんですか?」
「元軍兵というお話でしたよね。勲章の授与式とか、ありませんでした?」
「ありました、けど」
「そこまで大げさなものでもないですが、一応、ここで贈呈式をやります」
「贈呈式って」
充分大げさだと若者は思った。
「本当に大したことじゃないんですよ。隊長が感謝状を読み上げて、担当の町憲兵と、あとは手の空いている町憲兵が何名か同席するだけのこと。部屋を飾るでもないですし、味気ないものです」
ユファスはその状況を想像した。あまり心弾まない。
「それだけのことなんですが、今回は、あなたのいらっしゃる日を確認しておくつもりでした」
「は?」
「何日なら都合がいいですかと。具体的な確認をする予定で」
「……お忙しいんですか」
ユファスはその言葉を「隊長やラウセア自身が同席するために日にちを確認したい」という意味合いに取った。
アーレイドでいま大事件が起きているという話は聞かないが、水面下では何かあるのかもしれない、などと思ったのである。
「日常業務をどこまで『忙しい』の範疇にするかによりますね」
町憲兵は笑って言った。毎日忙しいとも言えるし、毎日のことだとも言える、ということだろう。厨房も同じだ。
「私の忙閑ではなく。あなたがくる日を教えてほしいと頼まれていたんですよ」
「……誰にですか」
さっぱり意味が判らない、と思った。
「財布の持ち主です」
「ああ」
成程、ようやく意味が通じた。
「お礼を言いたいのだとか」
「いいですよ、そんなの。僕が余計な真似をしなくても、サリーズさんたちが捕まえたでしょう」
「それは判りません。ああした連中はすばしこいので」
「何にしても、お礼を言われたくてやった訳じゃないですし」
いいですよと彼は繰り返した。
「そう仰るなら仕方ありませんが」
うーんとラウセアはうなった。
「では、城のことをお教えしてもいいですか」
「ええ? それじゃ変わりないじゃないですか」
城まで礼を言いにくるということになる。
「それもそうですね。そうなると、遠慮深い方で感謝状もお礼も断られたと言うほかありません」
そう言われると、何だかむしろ不遜な態度を取っているような気になる。
「何だか……すみません」
思わずユファスは謝った。ラウセアは笑う。
「こういうのも仕事の一環ですからね。セルが気にすることはないですよ」
ラウセアの言葉はおそらく表面通りなのだろうが、考えようによっては、ユファスのやったことはラウセアの仕事を増やしただけだ。すみません、と彼はまた謝った。
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