第2章

01 少年町憲兵

 本日、快晴。

 心弾むような秋晴れである。

 こんな日は、どこかの広場だとか、浜辺だとかでのんびり過ごしたい。日に当たって目を閉じていれば、とても穏やかな気分になれるだろう。

 だが生憎と、彼はそんなことができる立場ではなかった。

 ちょっとだけ残念だと思うが、自分の選んだことだ。

 合格を知らされ、えんじ色の制服を受け取ったときは、夢じゃないかと思った。正直、筆記試験ではたくさん誤答をしたと思っていたし、実技では剣を落とした。絶対に無理だと思っていたのだ。

 友人などは、町憲兵隊レドキアータが人手不足で仕方ないから彼みたいなのを雇うんだ、とからかった。

 どんくさいことは自分でも判っている。生まれつきの大きな身体と、あとは熱意が認められたのだと考えていた。

「どうです、済みましたか」

「あともう少しです、ラウセア先輩セレル・ラウセア!」

 彼は立ち上がって敬礼などした。四十ほどの「先輩」は苦笑した。

「また言いますけれど、『先輩』も敬礼も要りませんよ、ザック」

 ザックと呼ばれた少年町憲兵は、あーとかうーとかいった感じの、言葉にならないうなり声を発した。

 年齢は十代の後半。黒っぽい茶の髪は元気よく天を指している。身体は大きいが「太っている」という感じはしない。「体格がよい」と言われる類だ。

 子供の頃からずっとそうだったが、気は強くなくて、押されればそのまま引いてしまう性格だった。そうなると苛められるようなこともあり、毎日のように泣いていたこともある。

 だが、これではいけないと一念発起、強い町憲兵を目指したのだ。

 もちろん町憲兵になったからと言って、それだけで強くなれる訳でもない。入隊したての頃は、新兵用の訓練があまりにつらくて、やっぱり自分には無理かもと思ったこともあった。

 しかし、辞めますと言おうかなと迷っているとラウセアがそれを見抜いて、自分も最初は酷いものだった――などと話してくれた。

 ラウセアが町憲兵を志す前は商家の仕事をしていて、荒仕事とは無縁だったと。初めは身体が痛くて立てない日もあったが、少しずつ体力や技術が身についてきたと思えたときは嬉しくてたまらなくて、どんなに遅々としていても必ず階段は上がれるものだと確信したとか。

 その話に勇気づけられて、ザックは頑張ることを決めた。

 ラウセアは、いずれ隊長になるとも言われている優秀な町憲兵だ。その彼に励まされ、しかも一緒に組んでもらっているのだ。自分に見込みがないというようなことはない。きっと。おそらく。たぶん。そう思った。

 もともと、見た目に相応しいだけの体力はあるのだ。半年もすれば日常の訓練は軽々とこなせるようになったし、十代の若さは面白いほどの早さで何でも吸収していく。辞めようかと落ち込んだことが嘘のように、いまは毎日が充実していた。

「でも『先輩』をつけないと、何て呼んだらいいか、判らないんです」

 尊敬している大先輩なのだ。以前は直接話すこともあまりなかったが、心のなかでずっとそう呼んでいた。

「『ラウセア』でも『サリーズ』でも」

「で、でも、呼び捨てるなんて慣れなくて」

 これは既に何度も行われたやり取りだった。言われた直後はしばらくザックも頑張るのだが、気がつくと「先輩」とつけてしまう。

「そうですね。私も新人の頃は、ビウェルを『セル・トルーディ』と呼んで怒られたものです」

 ラウセアは、二十年ほど前のことを思い返して笑った。

「……あの」

 ザックは情けない顔をした。

「トルーディ町憲兵のことも、敬称をつけたらいけないんでしょうか」

 ビウェル・トルーディはアーレイド町憲兵隊の最年長だ。同年代や年下の者たちですら体力の限界を感じて次々と引退をしていくなか、軽々と現役をこなしている。影では口の悪い若者たちが「化け物」と評していた。

「なるべく、避けましょうか。君の教育は私の担当だから、彼が君に雷を落とすことはないと思うけれど。その代わり、私は散々、罵られるでしょうね」

 慣れているからかまわないけれど、とラウセアは笑った。

「どうしても難しいと言うのならば『さん《セル》』くらいはつけてもかまわないですよ。ただ、街の人の前では必要以上にへりくだることのないように。君は確かに若くて新人だけれど、市民から見れば私も君も同じ町憲兵です。『先輩』に頼り切りの町憲兵なんて、君が就任前に見かけたらどう思ったでしょうか?」

 ラウセアの言うことは、よく判った。制服を着ている以上、ザックにもラウセアにも、人々は同じことを求めてくる。もっとも、ザックほどに若ければそれだけで「こいつは大丈夫なのか」と思われることもあるだろう。そのときに堂々と対応できるか、おろおろとラウセアに頼ってしまうかで、印象は大違い。

 威張る必要はないが、困惑を表に出してもいけないのだ。

「頑張ります。その……ラウセア」

 ザックは真面目な顔で、両手の拳を握り締めた。

「肩の力は入れすぎないように」

 ラウセアは笑った。

「そうだ、ザック。訊くのを忘れていましたが」

「はい?」

「先日の、初めての捕縛はどうでした?」

「……ああ、ええと」

 ザックは頭をかいた。

「正直、縄を間違えないように結わえるのが精一杯で」

「そうですね。まるで試験みたいに『できました!』でしたっけ」

 言われると顔が赤くなる。窃盗の現行犯で逮捕する、くらいのことを言わなければならなかったのに。

「それに、俺が捕まえたって感じでもなかったでしょ。あの元兵士さんがぽーんって」

「見事でしたね」

 ユファス当人には苦言を呈したラウセアだったが、この場では素直に褒めた。

「経験があっても、なかなかとっさにはできないことです。厨房の人材にしておくには惜しいけど、引き抜きをする訳にもいかなさそうだ。トルスに怒られる」

「トルスって誰ですか?」

「友人です。城で料理長をやってる。とても美味しい料理を作るんですよ」

「へえ。ラウセア、お城で食事をしたことがあるんですか?」

「まさか。彼だって人生の最初から城勤めだった訳じゃないですから」

「成程」

 城下で仕事をしていた頃、ということか。

「あの元兵士さんも、お城の料理人って言ってましたよね。あれだけできるのに、何で料理人なんだろう?」

「さあ、何か事情があるんでしょう」

 ラウセアはもっともなことを言った。下らない詮索をしてしまった、とザックはまた赤面する。

「初めての捕縛というのはたいてい、騒乱……喧嘩の現行犯とかいったものが多いんです。『犯人』たちは頭に血が上っていて、町憲兵がきても殴り合ってますからね。町憲兵である、と気づかせないと殴られかねないけれど、視界にまで入ればやばいと思って拳を収めるから、そこで、はい、逮捕と」

 二名の喧嘩であれば、まだ暴れ続けそうな方を熟練が引き受けて、新人には観念した方を捕縛させる。簡単な捕縛であっても、初めて犯罪人を捕らえたという行為は自信につながり、成長につながるものだ。

 ザックの例は少し特殊だったと言える。部外者の支援が入ることなど滅多にない。

 だが、どんな形であろうとも経験は経験だ。「素人に先を越されるなんて」とでも落ち込むならばともかく、そういう様子はないから心配する必要はないだろう、などと熟練町憲兵は考えていた。

「さて、書き物を仕上げたら巡回に出ましょう。早めにね」

「はいっ」

 ザックはまた敬礼し、要らないですよと言われた。

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