11 いくらなんでも、ないだろう

「そういうのは、職を得てからでいいんじゃないの?」

 神様だって、寄進をしてきた女の子が餓死したら嬉しくないだろう。ユファスはそんなことを案じた。

「あはは。でも、持ってるときにやっておかないと。昨日なんて、お使いのお金を盗られちゃったりしたし」

 そんなこともあって、今日の解雇ということのようだ。

「ああ、それは災難だったね」

 これは彼女のうっかりとも限らないだろう。運が悪かったという辺りだ。

「いえ、災難でもないんです。勇気ある人と親切な町憲兵さんが取り戻してくれて」

「へえ……うん?」

「すごいんですよー、あ、話に聞いただけで私は見ていないんですけど、通りすがりの元兵士さんがひったくりを捕まえちゃったんですって!」

「あー、ええと」

 ものすごく、どこかで聞いたような話である。

 ユファスはちらりとチャルナの腰を見た。

「それが、財布?」

 そこに彼は、案の定と言おうか、見つけた。昨日、引ったくりの手にあった花柄の小さな袋。

(成程)

(盗賊の男の手にあるより、ここにある方が落ち着くな)

 何となくそんなことを思った。

「そうです」

 彼の視線に気づいて、チャルナはうなずいた。

「何で判るんですか?……ひったくった人でしたっけ?」

「違うっ」

 呑気な調子でとんでもないことを問いかけられ、ユファスは慌てて否定した。

「いや、その、それかなって思っただけ」

「ふうん、勘がいいんですね」

 少女はそう言った。

 腰に財布袋を身につけているのはよくあることだが、必ずしもそうとは限らない。金は衣服の隠しに入れる者もいるし、鞄を持つ者もいる。腰の袋は守り袋ということだってある。なのに判るなんて、という程度の意味合いだろう。

「元兵士さんって、どんな人なのかなあ」

 少女は空中に視線を飛ばした。

「きっと、格好いい人ですね」

 視線を戻したチャルナが目をきらきらさせているので、ユファスはむせそうになった。

 特に「それは自分だ」と告げる気はなかったが、言おうとしていたとしても躊躇わざるを得ない。

「あんまり、期待しない方がいいよ」

 思わず、そんなことを言う。

「お話の英雄みたいな男なんか、現実にはいないんだから」

「夢を見たら駄目かなあ」

 うーんとチャルナは腕を組んだ。

「現実は厳しいから、せめて夢を見ようかなと思ったんですけど」

「あー、うん、夢を見るのは悪くないと思うよ。でも、きっと、その元兵士とかは、大した男じゃないから」

「何でですか?」

「ええと、何となく」

 ちっとも理由になっていないことを答える。チャルナは訝しげだった。

「今度お礼を言うんです」

 ユファスの態度をどう思ったとしても、特に突き詰めることはしないで、少女はそう言った。

「本当は別に、すごくいい男とかじゃなくてもいいんですよ。ただ、すごく助かったし、感謝してることを伝えたくて」

「あー、うん」

 困った。どう言えばいいのか。

「たぶん、伝わるよ」

 我ながら何を言っているんだろうと思いながら、ユファスは言った。チャルナは嬉しそうな顔をする。

「そうだといいと思います」

(「元兵士さん」がお礼を断ったと聞いたらがっかりするかな)

(……でも、夢が壊れなくていいかも)

「あー、でも!」

 不意にチャルナは叫んだ。

「どうしよう! 連絡先、〈白い河〉亭にしちゃった!」

「大丈夫じゃないかな」

「どうしてですか?」

「えっと、ここの町憲兵さんは親切そうだから。君がいないと判れば、ラ・ザイン神殿まで足を伸ばしてくれるよ」

 またラウセアの仕事を増やしてしまった。ユファスは内心で、町憲兵に謝罪する。

(僕がここで名乗り上げればいい訳だけど)

(……何だかものすごく、いまさらだ)

 時機を逸した、というのだろう。

 ラウセアには悪いが、チャルナの夢を壊さないままというのがいいような気がする。

「ユファスはこれからお仕事ですか?」

「ああ、うん。朝方に勤めて、いまくらいが休みで、夕刻からまた」

 話が変わって、ユファスは安堵した。

「たいへんそうですねえ!」

「うーん、どうかな? それなりに忙しいけれど、楽な仕事なんて、ないと思うしね」

「そうですね。私も頑張ろう」

 チャルナは気合を入れるように、腰の辺りで両手を握り締めた。

「じゃ、ユファス。またいつか!」

 その手をぱっと開くと、少女は勢いよく振る。

「ああ、いつかまたね」

 これは何も約束という訳ではなく、ただの挨拶だ。チャルナがこちら――つまり後ろを向きながら去っていくのをユファスは心配そうに見た。

「あっ」

「えっ?」

 どん、と音がして少女は積まれていた木箱に追突した。大丈夫だろうかと彼は駆け寄ろうとしたが、平気ですと少女は笑って手を振り、今度は前を見て彼に手を振った。

 非常に、危なっかしい。

 ラ・ザイン神殿までならそう遠くない。送ってあげた方がいいだろうかと思った。あの調子だと、途中で柄の悪いのにぶつかって絡まれるとか、何もないところで転んで怪我をするとか。

(……いや、いくらなんでも、ないだろう)

 そこまで間断なく何かを引き起こしていたら、たぶん彼女は、いままで無事に過ごせていない。彼が目撃した出来事に限って言えば、どれもこれもユファスが気を逸らした結果だ。

 普通なら、簡単な注文がふたつばかり同時にやってきたところで気は逸らされないし、水を運ぼうとしてもつまずかないし、後ろを向きながら歩くのであれば気をつけるものだが、とりあえずユファスがいなければ起きなかったことである。

 別に自分のせいだとは思わないが――そこまで自虐的でもない――手出しをすると却ってまた問題が発生しそうな気がする。

 ユファスはチャルナの後ろ姿を見送りながら、その背に向けて念のため、厄除けの印と祝福の印を投げておいた。

(元気がよくて、可愛いな)

 水をかけられたことを忘れた訳ではないが、ユファスは総じて、チャルナに好印象を持った。

(まあ、もう会うこともないだろうけど)

 そろそろ城に戻ろうか、と彼もまた踵を返した。

 ふと、何かを感じた。

 何だろうかと見回すと、その理由が判った。ふたつばかり向こうの倉庫の前で、彼の方をじっと見ている男がいるのだ。

 年齢はユファスと同じくらいだろうか。睨むような調子である。

(何だ何だ?)

(昼間っからぶらぶらしてる、おかしな奴と思われたのかな?)

 仕事をさぼっている訳ではなく、いまは休憩時間だ。それも、休憩時間なのに料理長の使いまでしてきたのだが、そんなことは一見判らない。

 こっちは忙しいのに暇そうにしやがって、というような反感を持たれたのだろうかと思った。

(それとも、呑気に女の子と喋ってなんかいやがって、とか)

 船乗りたちの気性が荒いことは、北も西も変わらない。ユファスは、因縁をつけられる前に、さっさとその場を離れることにした。

(ん?)

 だがそのときに、ふと思う。どこかで見たことのある顔のようだ、と。

 このアーレイドで、城の厨房以外に知り合いはいない。幾度か通った飯屋の店員か何かだろうか、とまず思った。

(ああ、違うな)

(あれだ。刀屋のおやっさん)

 ソル親父に似ているのだ、と思った。

(噂の、息子かな? 確か、シンガと言ったっけ)

(だとすると)

 やはり彼はチャルナに懸想していて、彼女と話していたユファスに妬いた、というようなことだろうか。

 そうであれば誤解だと教えてやった方がいいかもしれない、と若者は振り返った。

 しかし既に、シンガ――かどうかは判らないが――の姿は倉庫の脇にはなかった。

 仮にシンガであり、本当に彼がチャルナのことを気にかけているのなら、彼女のあとを追ったのかもしれない。

(もしそうなら、僕みたいな通りすがりが何か心配する必要はないな)

 父親には息子の評価はよくなかったが、親というのは子供をべた褒めするか、或いはとことん蹴落とすか、どちらか極端になる傾向がある。シンガもたぶん、ソルが言うほどだらしない若者だったりはしないのだろう。

 ユファスはそう考えると少し満足をして、城への帰途についた。

 ひときわ強く拭いた海の風が、伸び気味の髪を乱す。借りた大きめの衣服に風が入り込み、少し身を震わせた。

 このあとの仕事の忙しさに心を引き締めていた若者は、その冷たい風が不吉の前兆だなどとは――別に思わなかった。

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