07 何しにここまできたんだよ

「ところで、チャルナは僕のことを知らないままですよね?」

「は? どういう意味ですか?」

 ユファスの問いにザックは首をかしげた。

「彼女は、犯人を投げ飛ばしたのが僕だってことは、知らないですよね」

「ええ、告げていないですから。彼女は知らないです」

「と、言うことだから。バール。巧いことごまかせよ」

「何でごまかす必要があるんだよ。言っちまえばいいだろ。お前、そんなに顔は悪くないぞ」

「それは有難う。でも、『格好いい元兵士さん』の夢は壊さないのが、やっぱり親切だと思うね」

「あれ」

 そこでザックは奇妙に思った。

「俺とラウセアは言ってませんけど、チャルナは」

 名前を口にすると、ちょっと頬が熱くなった。

「知っているんでしょ。だからここに会いにきたんじゃ」

「いや、たまたま知り合っただけで。彼女が例の財布の主だとたまたま判ったけれど。名乗るのは避けたままです」

「どうして」

「何となく」

 感謝状も礼の言葉も――相手が金持ちだったら期待できたかもしれない礼金も――断った男だ。確かにわざわざ「自分がひったくり犯を捕らえた」などと威張ることはしなさそうだと少年は気づいた。

「それなら、どうして?」

「何がですか」

「どうしてここに、きてるんですか?」

「だから、それは、俺が噂の女の子を見たくてさ」

「……約束もなしに、会いにきたってことですか!?」

 ザックは叫んだ。ユファスは困った顔をする。友だちでもない女の子をつけ回す不審者と取られても仕方がないと言うか当然だと考えたのであるが、ザックは咎めようとして大声を出したのではなかった。むしろ勝手にやってきたのはザックだ。

 それは悲鳴のようなものだった。

 ザック少年は、これまで女の子に興味がなかった訳ではない。

 奥手なりに「いいな」と思う娘はいた。

 だが奥手である故に、ほかの積極的な男がさらっていくのを見守っていただけなのだ。

 今回もそうか――と思ったのである。

「正直、僕には状況がさっぱり掴めない」

 ユファスはうなった。

「何だよ、にこにこしろよ。男にも愛想は要るんだぞ」

「それなら君がにこにこしていればいいだろう。――そうだ、バール」

 ユファスは指を弾いた。

「君がひったくりを捕まえたことにしたら?」

「阿呆か。そんな嘘、すぐにばれる」

「そうかなあ。君なら巧いことやるんじゃないの。そして雰囲気よくなったら『実は君に会いたくて』とやる」

「それは詐欺だろう」

「君たちが言ったことじゃないか」

 どうやらユファスは、どうしてもチャルナにそのことを知られたくないようだ、とザックにも伝わった。

(本当に遠慮深い人なんだな)

 感心すると同時に、彼は何だか自分が情けなくなった。初めての捕縛は人任せ同然、気になる少女はやはり本当の意味で「捕まえてくれた人」の方に感謝の念を抱いているようであり、その当人は「大したことではない」と言わんばかりだ。

 ユファスとしては単に気恥ずかしいだけなのだが、ザックにしてみると、少し年上の元兵士がずいぶんと大人たいじんであるように思えるのだ。

「あのですね、町憲兵さん」

「ザックです」

 そこで彼らは改めて名乗りあった。

「おかしなことを言うと思われるかもしれませんが、僕がやったことは彼女に言わないでほしいん」

「馬鹿か。何しにここまできたんだよ」

 バールが鼻を鳴らした。

「それはむしろ、僕が君に訊きたい」

「ええと、言わないのは難しくないですか」

 ザックは考えをまとめながら言った。

 ユファスとバールが何をしにきたのかは判らないが――バールの方がチャルナに興味を持っている様子なのは判った――門番には「財布を取り戻した人物」の話が済んでいるらしい。彼は少女にその人物がきていると伝えるだろう。

「ええと、それじゃ、僕はその場にいなかったことにして、ザックが捕まえたのをバールが見ていたとか」

「意味が判んねえ」

「ちょっと不自然じゃないでしょうか」

 少年町憲兵は真面目に応じた。

「言えばいいのでは? 普通に」

 それを彼女に伝えれば、恋敵――ではないのだが――を応援することになると判っているものの、ついザックはそう言ってしまう。ここで「ユファスに点を稼がせてなるものか」などと考える性格ではないのだ。

「そうそう。普通に言えよ」

「普通に、ねえ」

 うーんとユファスはまたうなった。

「あっ!……あれ? ユファス? それに、町憲兵さん」

 裏口のある角を曲がった途端である。相談がまとまるより早く、チャルナの声が飛んできた。

「やあ、チャルナ」

「こんにちは」

「お、まじで可愛いじゃん」

 バールがずいと前に出た。

「俺、バールっての」

「あの、それじゃあなたが」

「ん?」

「財布のこと、有難うございました!」

 ユファスでもザックでもなければ、バールが「元兵士さん」だと少女はとっさに思ったらしい。

 彼女にしてみれば当然のことだった。

「あ、いやいやいや」

 バールは両手をぶんぶんと振る。

「それ、こっち」

 友人は実にあっさりとユファスを指し、これまでの彼の気遣いを無駄にした。ユファスは天を仰ぐ。

「え?」

「あー」

 これ以上ごまかすのは無理だと判断したか、ユファスは謝罪の仕草をする。

「僕です。ごめん」

「まさか」

 チャルナは目をしばたたいた。

「……やっぱり、ひったくった人なんですか?」

「……違います」

「じゃあ、何で謝るんですか?」

「それはほら、この前、ちゃんと言わなかったから」

「ああ、そうですね」

 少女はぽんと手を叩いた。

「何で、言ってくれなかったんですか?」

「ええと」

 ユファスはどう言おうか迷うように視線をうろつかせ、それから咳払いをした。

「大して格好よくない男で、がっかりさせてはいけないかと」

「がっかりなんかしないですよ!」

 チャルナは力説した。

「ひったくりを投げ飛ばして、感謝状も要らないって言って、私に恩を売るとかもしなくて、あっ、その前に水をかけちゃったのに怒ったりもしないで」

「水?」

「すっ転んで、ユファスの頭に水ぶっかけたんだって」

 事情を知らないザックにバールが説明した。それはいささか脚色が入っていたが、バールが話を広げたと言うより、正確なところを覚えていないと言うのが正しいだろう。

「顔とかじゃなくて、格好いいじゃないですか!」

 少女は言い切り、若者は苦笑した。「顔は別に格好よくない」と言われたも同然だからだろうか。

「あっ、ユファスの顔がどうと言うのではなくて」

 気づいたか、チャルナは慌てて手を振る。

「優しそうで私は好きです!」

「あー、ええと、有難う」

 やはりチャルナの発言は微妙なものだったが、ユファスはやはり苦笑して礼を言った。

(……好き)

 ザックはどきっとした。

 いまの一語が恋心の告白という意味合いでないことは判るが、チャルナがユファスに好意を抱いていることも判る。もちろん、彼が彼女に嫌われる理由はない。本当のことを黙っていたのも悪意からなどではないのだし、チャルナはそれに気づいている。

 ユファスが特に、チャルナをどうとも思っていないのも判る。彼女に興味があったのはバールの方であるようだからだ。

 しかしザックはどうにも、自分は出遅れた、という気分になって仕方がなかった。

「それでさ、これからどうすんの」

 にやにやと成り行きを見守っていたバールが、そこで口を挟んだ。

「チャルナは神殿に戻るのか?」

「まずは次の勤め先を探すわ」

 少女は息を吐いた。

「自分だけならどこで寝てもいいけど、妹にまでそうさせる訳にはいかないから、部屋代とご飯代と……ああ、〈白い河〉亭で続けられればよかったのになあ」

 住み込みにさせてもらえたし、賄い飯をもらえた、というようなことらしい。



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