08 接客ならばっちり
「神殿に寝泊まりしてるんじゃないのか?」
バールが尋ねる。
「いまは、そうです。でもいつまでも姉妹で面倒を見てもらう訳にはいかないので、資金を貯める必要が」
「はー、成程ね」
「朝の仕事だけだと心許ないので」
「朝の仕事?」
これは初耳だ。ユファスは思わず聞き返した。
「市場の荷捌きを手伝うんです。一食分くらいにはなります」
「それって早朝だよな? 毎朝?」
「はい。あ、深夜にも簡単な仕分け仕事があるんですけど、これは毎日じゃないです」
当たり前のように少女は言い、そこで彼らは少し腑に落ちた。仕事を詰め込みすぎて、疲労や睡眠不足から失敗が続いているのではないか、と。――いくらか生来のものもあるかもしれないが。
「少し休んだ方がいいんじゃないか」
つい、ユファスは言っていた。
「そんなに急いで神殿を出る必要もないんだろう? 妹さんの分まで稼ごうとしなくても」
「できるときにやっておきたいんです」
それが少女の返答だった。「神殿に生活費を入れる」という話のときにも出てきた答えだ。
「人間、いつ何があるか判りませんから」
ちょっとした一言のようで、刺さる言葉でもあった。
チャルナには両親が亡い。詳しくは聞いていないが、妹を連れて神殿に向かったという話からも、赤子の内に捨てられたのではない。
となると、ユファスと同じ――事故や事件に巻き込まれて両親を失った、という過去が連想できた。
「どこか紹介できるようなところがあればいいんだけど」
多少の無理を押しても弟妹を守りたい気持ちは理解できる。自分に重ね合わせたユファスは、それ以上余計なことを言うのをやめて、チャルナの希望に添った話をした。
「バール、どこか知らない?」
「俺も職探しは苦労したからなあ、何とかしてやりたい気はするけど、うーん」
「ザックは?」
「この前、〈エルファラス商会〉が求人を出してましたけど……」
思い出しながら町憲兵が言うと、少女は目を輝かせた。
「本当ですか!」
「エルファラス? 駄目駄目、やめとけよ」
すぐさま、バールが言った。
「どうして?」
チャルナは首をかしげた。
「ありゃ、大手だぞ。仮にまだ求人枠が埋まってなかったとしても、採用は厳しいだろ。運よく採られたとしたって、この調子じゃ半日でクビだって」
「おいバール」
ユファスが制止した。
「ちょっと、その言い方はどうかと」
ザックもつい、顔をしかめる。
「うん? だって、そうだろ、どう考えても。俺は親切で言ってんだぜ」
けろりとバールは言った。
「給金安くても、気のいいおやっさんやおかみさんがいるとこの方がいいって。絶対」
「確かにそうかも」
チャルナは怒らなかった。失敗ばかりという自覚はあるのだろう。
「それでよけりゃ、一軒、紹介できるぜ」
「えっ、本当?」
「紹介って言っても、口利きする訳じゃなくて、本当に教えるだけ。手は足りてるかもしれないし、俺は、あんたがすげえドジだって言うし、それでもよければ」
「いい、いい! 教えて!」
チャルナは意気込んだ。それじゃあ、とバールは南の方を指す。
「〈麻袋〉亭のおやっさん。その人が、路頭に迷いかけた俺を拾ってくれたんだ。と言っても、俺には調理ができるって強みがあったから拾われた。そういったもんがないと、いくら人情にあふれてても雇えない」
「調理はできないですけど、接客ならばっちりです」
(ばっちり……?)
とユファスのみならずザック、バールも思ったろうが、「経験がある」という意味なら間違いないだろう、と思い直すことにした。
「言ったように、俺はあんたに親切にはしても肩入れする義理はないから、おやっさんには全部話すぜ」
「いいんです。雇われるか断られるかだけじゃない。こういうのはきっかけですから」
何とも屈託なく、少女は笑った。
妹のためとか言う割に悲壮感のないところが誰かに似ているな、とバールが思ったとしても、ユファスの友人は特にそれを指摘しなかった。
何が不自然と言って、彼らについてザックまで〈麻袋〉亭に行くという流れだろう。
ご一緒しますと自分の口をついて出たとき、少年は自分が馬鹿ではないかと思った。
町憲兵にとって、これ以上彼らにつき合う、どんな意味がある?
ない。皆無だ。それどころかもともとザック少年は巡回中などではなく、とっとと詰め所に戻って澄ました顔をしていなければならないのだ。
少女と料理人たちは意外そうな顔をしたが、少なくともあからさまに嫌がったりはしなかった。
しかし、悪い選択だ。
チャルナと喋ることができたのはすごく嬉しくて心が弾む。彼の言うことに目を輝かせたり、下手な冗談に笑ってくれたり。
ユファスはともかくとしてバールが馬鹿にしてこなかったところを見ると、嘲笑という意味合いで笑われたのではないだろうとも、判定できた。
「なあ、チャルナ。シンガって知ってる?」
話題の合間にバールが問うた。ユファスが同僚を小突くようにしたが、彼は無視だ。
「シンガ? ううん、覚えがないわ」
「そか。ふうん」
「誰?」
「知らないならいいんだ」
そう言って手を振ると、バールはそっとユファスに何かささやいた。ユファスが片眉を上げて、ちらりとザックを見た。
(――気づかれた)
かっと顔が赤くなるような気がした。シンガがどうのというのは判らないが、ザックがチャルナ目当てでついてきていることがばれたと感じたのだ。
「まあ、俺は面白ければ何でもいい」
「無責任だなあ」
「俺が責任取らなきゃならないこと、別にないだろ」
「そうかもしれないけど」
「何の話?」
「いやいや」
「何でもない」
ここで「ザック町憲兵があんたに気があるよ」などと言わないでいてくれたのは助かった。
黙っている方が面白い、という判断に基づくものだとしても。
「ここだ。ちょっと話してくるから、待ってろ」
小さな店にたどり着くと、バールは言うなり裏へ姿を消した。よろしく、とチャルナがその背中に声をかける。
「こうなったら、もう一種の占いね。
「
ユファスが言えば、チャルナは顔をしかめた。
「それずるい」
「ずるいかな」
「うん。でも、その考え方っていいかも」
少女は笑って、大吉か吉ねと繰り返した。
「町憲兵さん」
「ザ、ザックです」
何度か名乗ったと思うのだが、覚えてもらえていないのか。それとも「町憲兵さん」で充分だということなのだろうか?
「ザック。わざわざ有難うございます」
それから、ここにくるまでに打ち解けた感じがあったのに、彼にだけはいまだに丁寧な口調だ。少年の年齢はユファスらより下、チャルナと同じくらいであるのに。
「もうお仕事に戻ってください」
帰れと言う訳か。
ザックは肩を落としそうになったが、チャルナの言うことは実にもっともであるのだ。それどころか、もっととっくに前の時点で、少年町憲兵はそうしていなければならない。
「あの、困ったことがあったらいつでも詰め所に」
これくらいが精一杯だ。
それから踵を返そうと思って、ふっと彼は思いついた。
「あとで、きます」
「え?」
チャルナは目をしばたたく。
「その……無事に雇われていることを願って」
町憲兵の分を越えすぎているようにも思うが、それほど異常な発言でもないだろう。たぶん。と、彼は思うことにした。
有難うございます、と少女はまた笑み、少年は嬉しいような寂しいような、複雑な心持ちだった。
「それじゃ……また」
少年はやはり精一杯、そうとだけ言った。
「ええ、また」
チャルナは無邪気に言う。ユファスも片手を上げた。ザックは会釈をして、踵を返す。
歩き出した背後では、ユファスとチャルナの話し声がする。何を話しているのかは聞こえないが、楽しそうだ。
少年は何だか落ち込みそうだった。
馬鹿なことばかり、している。
(――ん?)
肩を落とし、視線を石畳に向けていた彼だったが、ふっと影がよぎった気がして顔を上げた。
(気のせいか)
(もしかしたら誰かがいたのかもしれないけど、この辺りは北街区と違う)
(町憲兵なんかとにこにこ挨拶したくない、と考える人だったのかもしれないな)
非常の際には頼りになると思われると同時に、何でもないときにまで威張りやがって、と思われるのが彼ら町憲兵だ。
ザックだって町憲兵を志す前はそう思っていたし、いまでもその気持ちは判る。下町の友人たちはザックが町憲兵になったからと言って悪口の遠慮などしないが、いつもは気に病まない。悪い印象を抱かれないようにしなければ、と前向きに気を引き締めるくらいだ。
だがこのときは、落胆を覚えた。
頑張っても伝わらないことがある、という事実に。
真面目な町憲兵故に陥りやすい悩みごとが、恋の悩みと同時に彼を襲い、そのため、ザックは気づかなかった。
ひとりの若者が建物の影で少年町憲兵をやり過ごし、彼が去るのを見届けてから、〈麻袋〉亭の方をじっと見ていたこと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます