05 それで君の気が済むなら

「しかし、そんなことになってたら、町憲兵隊だって騒ぐだろう」

「そうだよな」

「聞いたことがないぞ」

「そりゃあ、春女たちは町憲兵なんて好かないからな。ひとり歩きを避けるようにはなったが、詰め所に注進に行ったりはしてないんだろ」

「本気で言ってるのか?」

「噂だろ?」

 聞き手たちは懐疑的だった。

「実を言えば、俺も本気にしてる訳じゃないさ。俺の知ってる女が消えたと言うんじゃなし、あくまでも噂だからな。気を惹くネタとして頭に入れといたって程度だ」

「気を惹く相手は、女性?」

 ユファスが尋ねた。

「そこは否定しない」

 ガレンはきっぱりとしたものだ。

「まあ、そういうのは昔からの定番ではあるが」

 トルスは少し、顔をしかめていた。

「つまらんことを言いふらすなよ。城内でなら冗談で済むが、お前らはまがりなりにも『城に勤めている人間』なんだ」

 彼らはもちろんただの平民なのだが、城勤めというだけで何か地位があると思われることも珍しくない。「お城の人が言っていたのだから本当だ」などと噂になったらだ、と料理長は言うのである。

「判った。すまない、料理長」

 ガレンは素早く、謝罪の仕草をした。

「とにかくユファスよ。俺ならそこでそんな話をして、すかさず送るがなあ」

「判ってないじゃないか」

 トルスは唇を歪めた。笑いが起きる。

「次は参考にするよ」

 ユファスはまた先ほどと同じように言った。

 彼としてはそこで話を終えてしまうつもりだった。ちょうどよくと言うのか、朝飯を求める使用人たちが徒党を組んでやってきたこともあり、話はそのまま立ち消えた。

 しかしどうにも、バールはその話を続けたかったようだ。

「俺が助言をしてやる」

 「朝の陣」を終えると、友人はユファスの肩をぽんと叩いて言ったものだ。

「彼女を探しに行こう」

「だから僕は別に」

 そんなつもりはないよとユファスは告げた。バールは首を振る。

「お前はこれまで、ずっとそうだった訳だな?」

「まあね」

 否定しない、とユファス。

「それは、あれだ。弟のために自分の望みを抑えていたりとか、したんだろ?」

「いや、別に」

「『別に』じゃねえよ。そうだとでも考えなけりゃ、お前の反応は絶対おかしいって」

「そうでもないだろう? バール派と僕派はさっき、半々だったじゃ」

「ええいうるさい。とにかく今日は俺も行く。で、お前の恋路を応援してやるから」

「……バール。あのさ」

 これまでの話運びからは、どこをどうしたって、ユファスがチャルナに恋をしているという話にはならないはずである。第一、恋をしている可能性があるのは、彼ではない。

「刀屋のソルおやっさんだっけ? 彼の息子がチャルナを好いて、近くをうろうろしてるのかもしれない、という話をしただろう?」

「聞いた。で、お前はそれで何が言いたい訳」

「僕は別に言いたいこともないけど。ただ、人の恋路を邪魔する気はかけらもなくて」

「おいおい。あとをつけ回すような奴なら危ないだろ、どう考えてもよ」

「照れくさくて声がかけられないとかじゃない?」

「女の子にしてみれば、気持ち悪いだけだと思うけどな」

 バールは容赦ない。

「まあそれはそうかもしれない」

 そこについてはユファスも同意した。

「好いてるにしたってよ。要するに、行動に出られなくてうじうじしてるんだろうが。そんな奴に気ぃ使うことないだろ」

「いや、だから。僕が彼より積極的になる理由もないんだってば」

「よし」

 バールはぱちんと手を合わせた。

「それならそいつを手伝おうじゃん」

「どうやって」

 胡乱そうに、ユファス。

「つまり、お前が言うようなおっちょこちょい娘なら、いくらか可愛くたって競争相手は少ない」

「かもね」

 正直に彼は言った。

「だからそいつは、油断してるのかもしれない」

「だとしたら、どうなの」

「何とそこに! 有力な恋敵の『元兵士さん』が」

「おいおい」

「早く彼女をものにしないと、あとからきた男にかっさらわれてしまう――と、そいつは努力をするかもしれないじゃないか」

「バール、ひとついいかな」

 ユファスは咳払いをした。

「もしかしたら、なんだけど」

「おうよ」

「暇なのか?」

その通りアレイス

 友人は悪びれなかった。

「毎日仕事は忙しくて充実してると言やあ言えるが、何かこう、わーっと面白いことがほしい」

「それで、僕をからかって遊ぼうと」

「まあ、だいたいはそんなところ」

 悪びれるどころか、バールはにまっと笑った。

「俺の暇つぶしにつき合ってくれ、相棒」

 それは相棒と言うより道化師バルーガじゃないのかな、とユファスは思った。


 こんなところにはきたことがない、とバールは唇を歪めた。

「北街区のお屋敷に勤められるなんざ、そのチャルナって、案外しっかりしてんじゃないの?」

 ユファスが大げさに面白おかしく話したのではないか、ということらしい。

「人の失敗を脚色したりしないよ」

 むしろ、控えめに話したくらいである。

「立派なお屋敷で立派に勤め上げられているんなら、彼女はものすごい演技派だったってことかな?」

 チャルナがうっかり者のふりをする理由などないと思うが、あの日の様子を思い出せば、こうした場所で雇用が続くとも思えないのだ。

(屋敷の主人に水をかけたりはしなくても)

(……たとえば、洗い立ての洗濯物をぶちまけるだとか)

 彼は偶然ながら見事に正解レグルを突いていた。

 〈白い河〉亭の主人は遠い姪の次の勤め先を知らなかったが、めげないバールはラ・ザイン神殿を訪れ、チャルナの友人だと言って――ユファスは「嘘はよくない」とバールを諫めたが、バールは「広義で考えればユファスは彼女の友人だ」と言い張った――少女の妹シャンシャに会った。

 十代の前半の、チャルナによく似た可愛らしい女の子は、姉から「元兵士さん」の話を聞いており、バールが「自分はその『元兵士さん』を知っているんだ」と言うのを――ユファスが「絶対に自分だとは知らせるな」と釘を刺した結果、巧妙な言い方をした――信じて、姉がどこにいるかを教えてくれた。

 ユファスは息を吐き、バールには詐欺師の素質があるのではないかと思った。

「なあ、バール。もう充分だろ。引き返さないか?」

「は? どこが充分なんだよ。これからじゃないか」

「本気でダイク邸にチャルナを訪れるのか? どう考えたって迷惑だろう」

 乗り気の友人に引っ張られる形でここまできてしまったが、やってきた街区の雰囲気は、いかにも上流階級の住宅地。下町のようにちょいと勝手口をのぞいて「友だちを訪ねてきたんだけど」とはやれなさそうである。

「こういうのはどうだ」

 こほん、とバールは咳払いをした。

「花柄の財布を拾ったんですが、なかにこちらのお屋敷の地図がありまして……」

「ないだろう、いろんな意味で」

「何だよ。チャルナは神殿経由でお屋敷の仕事をもらったんだろ。神官が地図くらい描いてる可能性はあるじゃないか」

「あるかもしれないけど、だいたい、財布を拾ってないじゃないか」

「話がチャルナにまで行けば、それでいいんだよ」

「よくないだろう、どう考えても」

 ひとのことだと思って、バールは好き勝手を言っている。いや、ユファスの行動につき合っているのではなく、バール自身が選んでやっているのだから、他人事だからどうだと言うのではない。とにかく話を展開させたいのだろう。

「はっきり言って、君の考えは無茶苦茶。護衛にでもつまみ出されるのが落ちだよ。町憲兵だって、呼ばれるかも」

「面白くないことを言うなよな」

「現実的、と言ってほしいね」

 チャルナが無事にやっているのかは少々気になるし、この付近にくるまではユファスもバール同様、気軽な気持ちでいた。だが、立派な邸宅の前を通り過ぎるだけで門番たちにじろじろと見られると、うしろめたいことなどなくとも何となく身体が固くなる。

 彼は元軍兵であって近衛兵の経験はなかったから、不審者の見極め方だの、侵入者の撃退法だのは知らない。それでも、いや、だからこそ、玄人が素人の首根っこを捕まえるのがどれだけ簡単であるかはよく判る。

「俺だって留置場とか、行きたくないけどよ」

 バールは顔をしかめた。

「せめて、ダイク邸だけでも見てこようぜ。偶然、チャルナが出てくるところだったりするかもしれないし」

「ないと思うけど」

 あくまでも現実的にユファスは言った。

「それで君の気が済むなら。……絶対に、それだけにしてくれよ」

「判った判った」

 気楽に答える友人に一抹の不安を覚えながらも、ユファスは楽しそうなバールについていった。

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