03 軍隊じゃないんだから

「おー、料理長テイレル

「お帰り、トルス」

「もっとゆっくりしてきたってよかったのに」

 城、というもの自体は、ユファスには緊張の要素ではない。

 アーレイド城とエディスン城は構造からして全く違うが、場所柄、不審者には厳しい。しかし顔の知られているトルスの隣にいれば、怪しまれることはない。そうしたことをよく判っていたから、意味もなく恐縮することもなかった。

 それから、正直なところを言うなら、アーレイド城はエディスンに比べてだいぶ地味であった。

 エディスンは王城都市のなかでも大きな街であるから、決してアーレイドが貧しいというのではない。それどころか、ここは豊かな街である。

 ただ、エディスン城を見慣れていた身には威圧感に欠ける、とでもいう辺りだ。

 トルスに連れられてユファスは初めての城内を歩きながら、簡単な手続きについて説明を受けた。

「話したように、下厨房ってのは使用人用の飯を作る場所だ。新人の採用自体は俺の胸先三寸だが、雇ったらきちんと届け出が必要だ。給金は俺が出す訳じゃなく、城が出す。ま、その辺はお前さんもよく知ってるな」

 月に一度、給金が額面上で加算され、必要になれば窓口に行って必要な分だけ受け取る。こうした仕組みがユファスの経験してきたエディスン城での制度と同じであることは、旅の間に話をして判っていた。

「利用できる施設や部屋については、あとで誰かに案内させる。何か質問はあるか」

「食堂に来るのは使用人と言っても、王様たちにお仕えするような人たちだろう? 失礼のないように接するべきなのかな?」

 エディスンには軍兵用の食堂があったから、王族に仕える者たちと一緒になることはなかった。「偉い人に仕える人」がどんなものか、彼は知らなかったのだ。

「わざわざ無礼を働く必要はないが、別に普通でいい。他人に丁重にするのは奴らの仕事であって、俺らは飯を作るだけだ。まあ、たまに変わりもんの騎士コーレスがくるが、あれにも礼儀は不要。そいつを目当てにやってくる女どもに親切にしておくことは、何かいいことを招くかもしれんが」

 トルスはにやっと笑ったが、そのあとでこほんと咳払いをした。

「あー、惚れたはれたは自由だが、仕事に支障をきたすのは許さんからな」

「了解」

 ユファスは笑って応じた。

 穏やかな性格の彼は女性に評判がよかったが、その評判は「安心できる人」という類であり、仲のよい女友達ができることはあっても熱烈な恋愛関係などを持ったことはなかった。

(たぶん、これからもないんじゃないかな)

 と、二十歳前後の若者としてはずいぶんと冷淡なことを考えた。

 自虐であるとか諦めているとか言うのではなく、興味がないと言うほどでもない。ただ、「もし好きな女性ができたら恋人関係になりたいと思うこともあるだろう」というような成り行き任せ、受け身の態勢であるだけだ。

「とにかく、顔見せと行こう」

 ここだ、と言ってトルスは無造作にひとつの扉を開けた。そうして料理長の帰還を知った職場の仲間たち――言うなれば隊長を迎える部下たちに行き会った、という訳だ。

「俺のいない間、抜かりなかっただろうな。もしどこかから苦情のひとつも耳にしたら、犯人は一旬連続で床磨きを課すぞ」

「苦情だなんてとんでもない」

 料理人テイリーのひとりはにやにやした。

「口うるさい料理長がひとりいないだけで、雰囲気も味もずっとよくなるもんだと大好評さ」

「馬鹿野郎」

 その軽口をトルスは一蹴した。

「なあ、トルス。それで、そいつ誰?」

 料理長が不在だった理由は、厨房の誰もが知っていた。呑気な旅行などではなかったのだから誰も土産話など求めず、その代わりに当然の説明を求めた。

「もしかして新人か?」

「おいおい、まさか」

「母親の墓参り行って、新人捕まえてくる奴があるか?」

「生憎と、そのまさかだ」

 料理長は手を叩いた。

「この阿呆は、ユファス。どれくらい阿呆かと言うと、俺の素性を口先ひとつで信じ込み、遠いエディスンから、こいつがそれまで聞いたこともなかったこのアーレイドの街までついてくることをたった五トーアで決めたくらいだ」

 五秒は言い過ぎだが、ユファスは黙っていた。

「こいつに詐欺を働くのは簡単だが、自制しろよ、てめえら」

 おうよ、などと笑い声が返ってきた。

 ユファス当人としては、それほど単純なお人好しであるつもりはない。実際のところトルスは通行証を身分証代わりに示し、身元を明らかにした。偽物という可能性もあったし、ユファスも考えなかった訳ではないが、それこそ「隣の街区までちょっとこい」ではなく「アーレイドまでこい」と言う詐欺師もいないだろうと判断したのである。

 だが彼は苦情も抗議も差し挟まず、一緒になって笑った。

 乱暴な口利きにも、特に驚かなかった。アーレイドまでの旅路でトルス料理長の性格は何となく判っていたというのもあるし、軍ではもっとずっと聞くに堪えない罵詈雑言が日常茶飯事であったからだ。

 ユファスは自分から率先してそうしたことを口にはしなかったが、他人がそうしたからと言って眉をひそめることはないという、よく言えば柔軟、悪く言えば大雑把な感性を持っていた。

「最低限の知識と経験はあるようだ。ただし、専門職として料理人をやってた訳じゃない。その辺りを踏まえて、何か指示をするときは過不足なくやるように」

 トルスは、具体的なような曖昧なような紹介を終えた。

「しばらくは見習いだな。バール、お前が面倒を見てやれ」

「はいよ、料理長」

 バールと呼ばれた、暗めの金髪をした若者が返事をしながら敬礼の真似事をした。ユファスよりひとつふたつ年上に見える。

「以上。夕飯の支度に戻れ。ユファスはあとちょっと俺につき合え。まだ説明することがある」

「はい、料理長」

 彼は真剣に返事をしたが、それは苦笑で迎えられた。

「適度な緊張は必要だが、無駄な緊張は疲れるだけだぞ。バールの敬礼はほんの冗談。仕事中は確かに俺はお前たちの隊長みたいなもんだが、軍隊じゃないんだからな」

 その言葉に一瞬、若者はきょとんとした。と言うのも、彼としてはごく普通に返事をしたつもりにすぎなかったからだ。

 だが彼は、「別にそんなこと思ってませんけど」などと言う代わりに、了解と笑って――敬礼をした。トルスは目をしばたたく。

「この野郎。おとなしそうな顔のくせに、案外生意気だな」

 顔をしかめて料理長は言い、ユファスはやはり笑った。

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