04 それぞれだよ

 一見したところ、ユファス・ムールという若者は、決して気が強そうではなかった。

 顔立ちも柔和であるし、言葉遣いや態度も乱暴になることなく、本当に軍兵の経験があるのかと誰もが疑ったくらいだ。

 だが生憎ととでも言おうか、それは本当である。

 厨房の仲間たちとて、何もユファスを嘘つきだと思っていた訳ではないのだが――彼が軍役を退いた理由が戦闘時の負傷である話をすれば仰天された。

 「疑ってたんじゃないが、本当だったのか」という感想は矛盾をはらむのだが、そう口にした側にとっては適切な言葉だったのだろう。彼らにとっては、ユファスが「嘘をつきそうにない」ことと「軍兵上がりである」ことこそ、矛盾しているように思えたのだ。

 しかし両親を亡くして弟の面倒を見るためだったというのが最大の動機と知れば、同僚たちは大いに納得をした。

「俺にも弟がいるよ」

 その話を聞いたバールは、しかし不思議そうに首をひねった。

「でも俺は俺だし、弟は弟。面倒見ようとか、別に思わないけどなあ」

「それぞれじゃないか?」

 ユファスの方では、何も不思議なことはないという調子で肩をすくめる。

「うちは両親を亡くしているし、弟は成人前だし」

「まあ、うちはふた親、揃ってるけどなあ。親が面倒見てくれるから大丈夫とか、いちいち考えないぜ」

「だから、やっぱり、それぞれだよ」

 ユファスはそんなふうに返した。

「僕は弟の親代わりを心がけたけれど、現実には僕は兄であり、親じゃない。倫理的には義務が存在するけれど、法律的にはない。だからと言って、僕は倫理観に基づいてティルドを養おうとした訳でもなく、ただ、そうしたいと思っただけ」

「ふうん」

 バールはぴんとこないようだった。

「俺なら、法律的に罰せられない限りはご免だな」

 ひとそれぞれ、兄弟それぞれ、である。

 彼らがそんな話をしていたのは、ユファスが見習いをはじめて一旬ほど経った頃のことだった。

 新しい仕事はずいぶんと勝手が違って、ユファスは毎日、トルスから怒声を浴びた。

 「野菜の切り方が揃ってない」「皿洗いも満足にできないのか」「ダル芋と赤芋の区別もつかないような奴は死んでしまえ」――仕事中の料理長は実に容赦ない。繊細な若者であれば傷ついて落ち込み、夜中にこっそり荷物をまとめて故郷へ帰ってしまうかもしれなかった。

 しかしユファスは、トルスの厳しさは仕事に誇りを持つ故だと理解していた。エディスン軍の厳しいガリアン小隊長と同じだ。

 ちょっとつついただけで泣くような兵士では、有事の際に役に立たない。エディスンを守るために、隊長は新兵たちにつらく当たった。

 用意する食事の質が落ちたことを新人のせいにはできない。下食堂にやってくる使用人たちのために、料理長は料理人に厳しかった。

 そうと判っても耐えられない者には耐えられないが、ユファス青年は見かけによらず、打たれ強いところがあった。

 反省するところは反省し、無駄に落ち込むことはしない。

 トルスが勢いにまかせて怒鳴っているだけだと気づけば、はいはいと受け流す術もすぐに身につけた。

 作業中のトルスはそんな態度が生意気だとやはり怒鳴るのだが、一段落してからあまりに言い過ぎたと思えば、彼のような新人にもきちんと謝ってきたりする。これは、上下関係に厳しい軍隊では、冗談でもなかったことだ。

 いい職場に恵まれたようだなと彼は思っていた。

 給金はエディスン時代よりも下がったが、独り者には十二分である。食事と部屋は提供されるし、毎晩のように飲み屋に連れていかれた兵士時代より、金は貯まりそうだった。

 もっとも、貯めたところで使う当てもない。

 恋人でもできて家庭を持ちたいということになれば話も違ってくるだろうが、少なくとも現状、新しい生活にいち早く慣れようと必死なユファスにそういった余裕はなかった。

「バール、ユファス」

 声をかけられて若い料理人たちは振り返った。見れば彼らより年上の先輩料理人ディレントが小走りにやってくるところだ。

「悪いがお前たち、街まで行って、ソル親父から荷物を受け取ってきてもらえないか」

「ソル親父?」

「東区の刀屋だよ」

 バールが説明した。

「何? 包丁、入れ換えんの?」

「研ぎすぎて小さくなりすぎたのが何本かあるだろ。あれらを引退させる前に、新しいのを手に馴染ませておきたいと我らが料理長のお言葉」

「それくらいなら、俺ひとりで取ってくれるぜ」

 バールは言ったが、ディレントは首を振った。

「ついでにユファスに街を案内してこい、と。本番に間に合えば、今日は下準備を免除」

「お? まじ? そりゃ役得」

 ぱちんとバールは指を弾いた。

「でも、いいのかい?」

 ユファスは心配そうに言った。

「僕が抜けても大勢に影響はないだろうけれど、バールの早技がないと時間がかかるんじゃ?」

「昨夜の片づけの前にやったことを忘れたのか?」

「……ああ」

 ユファスは思い出した。

「肉を漬け込んだね。今日はあれを使うのか」

その通りアレイス。真夏は冷室に保存していても危ないからやらないが、そろそろ大丈夫だ」

「あれ?」

 ユファスは瞬きをした。

「ああいうのって、保たせるためにやるんじゃないのか?」

「場合によってはそういうこともあるが、ここではそうじゃない。保存が効くほどには濃い味付けじゃないし、古くなったものをごまかす意味でもない。……お前さん、ここをどこだと思ってるんだ?」

「王城都市の、王城だね」

 大陸の西半分を占めるビナレス地方に「王城都市」はたくさんある。数え切れないほどの街町を統制下に置く都市もあれば、一都市だけで独立しているところもあるから、多様だ。

 極端な話をするなら、ビナレス有数の大都市エディスンでならば下級貴族の館程度に思われるものが「王城」である街もある。

 だがその規模にかかわらず、どの都市にも、それなりの財産と誇りが存在する。

「判ってるんじゃないか。ここじゃ、いちばん下っ端の使用人だって、直接お偉いさんにつながり得る。腹ぁ下させる訳にはいかんのよ」

 下町の食堂だって客の腹を下させようと思う訳ではないが、使える資金の違いということだ。

 もっとも、トルスは決して食材を無駄にしない。以前にはもっと食材使いの荒い料理長もいたが、下町出身の彼は食物を余らせて腐らせるようなことを嫌うし、出る皿の数を見誤ったときは賄いか、或いは翌日の朝飯までに上手に混ぜ込んでしまう。

 トルスが献立を決めるようになってから、下厨房の食事事情は向上していた。以前の料理長だって悪い訳ではなかったのだが、改善の余地があったという辺りだ。

「んじゃ、行ってくるわ。行こうぜ、相棒」

「相棒? 何だ、それ?」

 ユファスは首をかしげる。

「何って。ちょっと言ってみたかっただけ」

 バールはにやっと笑い、ユファスは片手を上げた。

「了解、相棒。僕を探検に連れ出してくれ」


 空は曇っていた。

 太陽リィキアが厚い雲の向こうに隠れれば、秋の肌寒さは増す。

 ユファスは無意識の内に、両腕をさすっていた。常夏の北方に生まれ育った彼は、肌寒い気候というものに慣れていなかったのだ。

「何だ何だ」

 それを目にとめてバールは呆れた顔をした。

「寒いのかよ?」

「少しだけね」

 ユファスは正直に言った。

「エディスンじゃ、制服以外で袖の長い服を着ることはなかったから」

 なかにはきつい陽射しを避けるためにこそ、そうした衣服を身にまとう者もいた。だがそれは珍しい方だ。彼の持ってきた私服は、袖の短いものばかりだった。

「へえ。やっぱ北っていっつも暑いのか」

「うん。僕にはそれが普通だったけど」

「俺にはここが普通だけどな。聞くところによると、アーレイドってのは極端に暑くも寒くもならない、いい街なんだと」

「へえ」

 と、今度はユファスが返した。

「……うん? と言うことは、もっと寒くなるってこと」

「そりゃ、なる。まだ秋だぜ? 冬になれば、たまにだけど雪も降る」

「雪!」

 北の若者は目を見開く。

「お芝居でしか見たことがないよ」

「ははっ、それじゃ楽しみにしとくんだな」

「その前に、冬用の服を買わなけりゃね」

 何も冗談を言った訳ではなかったが、バールは笑った。

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