06 言い訳を聞こうか

 白髪に近い老人がふたりして茶を飲んでいる光景というのは、一見したところ、とても平穏でのんびりしているように見える。

 だがそのふたりが、「最強の町憲兵」ことビウェル・トルーディと、彼が一目置く長年の相棒アイヴァ・セイーダであると知れば、とてもではないが、和やかだの安閑としているだのとは言えまい。

「聞いたぞ」

「何を?」

 細い眼鏡をかけたアイヴァが書物でも読んでいれば、それはどこか大きな学舎の教授か何かに見えたろう。若い頃から町憲兵と言うより学者のような感じがする男だったが、眼鏡を用いるようになってから、その印象はいや増していた。

「シュヴァイスだ。あいつは、口止めをしていたのはお前だと、吐いた」

「『吐いた』だって? 私と彼を犯罪人のように言うのか? 誰のおかげで協会から魔術師を紹介してもらえたと思っているんだ」

「そのことで恩を売り続けるのは、もうよせ」

「君が忘れているようだから思い出してもらうだけで、多重請求なんてした覚えはないよ」

 まだ二十代だった頃から、彼らのこうした応酬の雰囲気はほとんど変わらなかった。

 あるときは共に、あるときはそれぞれに、彼らはえんじ色の制服を着て、四十たびは巡った季節を送ってきた。

 失ったものもある。得たものも。

 変わったものもある。変わらないものも。

 アイヴァはもう何年か前に退役をしたが、十七年前に結んだ約束をたがえることなく、トルーディの「非公式の」相棒を務めてきた。

 トルーディは独り身のままだったが、アイヴァには妻も子も孫もあった。家族か秘密の仕事かという岐路に彼は何度も立ったはずなのだが、少なくともそれを口にしてトルーディを責めることはなく、君には私しか付き合えないのだから仕方ない、で済ませた。

 それに判りやすく礼を言うトルーディではなかったが、何かの折りには、感謝の言葉を正直に伝えた。

 彼らはそうして、過ごしてきた。

「まずは、現役からの言い訳を聞こうか?」

「何だと」

「誘拐団の一斉逮捕、これは久しぶりに我が古巣が手放しで褒められるものと思ったのに」

「お前に褒めてもらわんでもいい」

「私が判定をする訳じゃないよ。市民たちさ」

 当然だ、とアイヴァは鼻を鳴らし、それから首を振った。

「ならず者を二十人捕らえたって、裏へ繋がる肝心の頭を逃がしてしまったら、成果は半減、いいや一割もないね」

「判ってる。言い訳なんざ、ない」

 このときばかりはトルーディも、何ら反論をしないで神妙にした。

 あの夜の時点で、町憲兵隊の誤算は唯一、犬のことだけだった。もっとも、あの犬がただの犬ではない、超常的な生き物――まさしく「化け物」――であることを知っていた町憲兵はトルーディだけ。ラウセア、インヴェス、ザックらも「消える」ところを目にしたが、それ以上のことは彼らには判らなかった。

 トルーディは嫌そうに「魔術が関わるが、事件を魔術師協会に持っていかせないために魔術師を雇っている」というような話を少しだけ行い、説明をしたことにしていた。

 聞いた彼らが何も納得していなかったところで、表向きには、犬が逃げたからと言って、さしたる問題になりようがない。しばらくは巡回に野良犬捕獲用の網を装備していくよう、通達が回ってきた程度である。

 だが、ティオ。

 アーレイド町憲兵隊はあのあと、一団の首領級と見えた男の逃亡を許してしまった。

 それはアイヴァに言われるまでもなく、大きな失態であった。よりによって、そこを逃がすとは。

 警備が緩かったというのではない。

 こんな話をすれば、その場にいなかった者はみな、笑うだろう。

 犬が仲間を奪還にきたのだなど。

 そう、ユークオールは、首筋に人間のように包帯を巻いて、翌明け方の詰め所に乱入をしてきた。

 それを許した、という点では、彼らは大いに咎められるべきだ。いかに、獣の速度が人間よりも速く、彼らの剣を犬が怖れなかったのだとしても。素早く卓や椅子で柵を作っても、それを破られれば。果敢に剣を振るっても、それがかすりもしなければ。

 どれだけ努力をしたところで、無駄に終わったのであれば、町憲兵隊は責められるべきである。

 しかし、次の点だ。

 尋問中のティオが騒ぎを聞きつけて部屋を飛び出し――ここは、町憲兵の失態とも言える――ユークオールに触れた、その瞬間に、かき消えた。

 ここに関しては、町憲兵隊に為す術などなかった。

 背中に乗って走り去られでもした方がましだった、とトルーディは思う。そのようなことになれば、おかしな言い方だが、ということになる。

 理解のできない現象で大事件の首謀者を取り逃がしたなど、記録に残せと?

「そこに腹を立てる方が、私には理解できないが」

 アイヴァは苦笑のようなものを浮かべた。

「普通なら『責任がうやむやになりそうでよかった』と考えるところなのに」

「責任だと。誰かに責任があるとしたら、間違いなく俺じゃねえか。シュヴァイスを待機させておくくらい、しておくべきだった」

「術師は夜半過ぎまでの追いかけっこで疲労の極限だったろう。ほかの魔術師を雇うなんてあの時点では無理だったし、だいたい、無許可で魔術師だの神官だのを詰め所内に待機させられるはずもないじゃないか」

「お前は俺を蹴落としたいのか引き上げたいのか、どっちだ」

「別にどっちも望まないよ。事実の指摘をしているだけ」

 あとからああすればよかった、こうすればよかったと言ったところで何にもならない。事件のあらましを知る者は逃亡し、残ったのは、身寄りのない女子供を攫えば金になると言われて従った有象無象だけという、これが事実だ。

「私の方でも調べたが、春女たちが姿を消すという話はもう上がってきていない。亡くなった彼女らが、無事にラ・ムール河にたどり着けていますように」

 冥界に流れると言われる大河の名を口にして、アイヴァは追悼の仕草をした。

 残念なことに、攫われた者たちはみな、殺されていた。あの船には三体の、胸を食いちぎられた凄惨な死体があり、夜の内に湾の外に出て捨ててくる手はずになっていたと言う。これまで十人分の遺体がそうされたのだと、ならず者どもの自白をまとめれば、そういうことになった。

 春女。その子供。下町の孤児。親に勘当された家出娘。多額の借金が知れて勤め先を追い出される寸前だった使用人。ふらりとアーレイドを訪れただけの旅人。被害者はそうした人々だった。

 いなくなっても、誰も探さない。

 チャルナがザックやユファスと出会わなければ、この件は明るみに出なかった。

 だが、明るみに出ただけだ。

「この件は終わったんだろうけど、解決はしなかった。そういうことだね」

「終わってなんざ、いない」

「判ってるよ。君には終わってない。私にもだ。だが、書類に残す事件としては終わった。そういうことを言ってるんだよ」

「判ってる」

 トルーディは唇を歪めた。

「ところで、この件は知らせるの?」

「ああ?……まあ、一応な」

「長い文通だよねえ、本当に」

「好きでやってる訳じゃない」

「意地でやってるという訳だね」

「うるさいな」

「アーレイドはまだ安全じゃないという話を書かなければならないのは、つらいだろう」

「――そうだな」

 彼は認めた。

「俺が死ぬまでに、どうにかなるもんかな」

「どうしたの」

 アイヴァは片眉を上げる。

「弱気じゃないか」

「年を食ったなと思うことは、たまにある。だが仕方ない。当たり前のことだ。誰だって同じだと……思っていたが」

「ティオ、か」

それだレグル

 トルーディは息を吐いた。

「十七年前、あいつは十七、八かそこらだったはずだろう。十七年経って、せいぜい二十歳ぐらいのよく似た顔をした人物が、あのときのことを語る。犬の血が黒かったり消えたりすることより、俺が怖気を振るうのはそこだ」

 そんなことは有り得ない、同名の人物が過去の話を聞いているだけではないのか、と考えることは可能だ。だがシュヴァイスはそれを否定した。魔物と契約を結んで老化をとめるなどという戯けた話が、現実に存在するのだと。

「それが本当なら、もまた、同じ契約を結んでいる可能性がある」

「それだ」

 トルーディはまた言った。

「あのとき、あのクソ医者は俺と同年代だった。そう見えた。だがいまでも――四十ぐらいのままでいるなら」

 ぎゅ、と彼は拳を握った。

「俺には時間がなく、あの野郎にはある。そういうことになる」

「やっぱり弱気じゃないか」

 ふん、とアイヴァは笑った。

「私は君に、もう時間がないとは思えない」

「六十過ぎの男に、未来は開けているなんてふざけたことを言うなよ」

「開けていたっていいと思うけれど。まあ、一般的にはそうじゃないね。君なんて、成長するのは腹回りばかり」

 アイヴァはちろりとトルーディの腹部を見た。放っとけ、と町憲兵は顔をしかめる。

「でもその代わり、大きすぎるほどの可能性を秘めた若者たちがいる」

「連中を鍛える時間くらいならある、か」

 ふん、とトルーディも笑った。

「よし。それじゃシュヴァイスの話を俺でも判るようにまとめておいてくれ。あいつの言い方は判りにくくてたまらん」

「シュヴァイス術師はあれで、魔術師たちの言葉を使わないように、かなり気を使っているようだけれど。まあ、君には判りにくいだろうね」

「好きに腐せ」

 言うとトルーディは立ち上がった。

「今日の予定は?」

「いつも通りに決まってるだろう」

「親切に有難う」

 アイヴァは感謝の仕草などした。

「今日もアーレイドを頼むよ、ヴィエル」

「ああん? 翡翠ヴィエルだ?」

「いや、言い間違えた。ビウェル」

「は。訳の判らんことを」

「いつかシュヴァイスに聞いてご覧。面白いから。彼はとても、納得していたよ」

 眼鏡の奥の瞳を細めて、アイヴァは笑った。

「何だか知らんが、お前らが面白がることなら、俺には絶対に面白くないだろうと言い切れる」

 ひらひらと手を振って、街の守り石に似た響きの名を持つアーレイド町憲兵隊最年長町憲兵は、いつもの業務に向かった。

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