03 案外、うっかりですね

「さて、今日は北街区ですね。自宅で護衛を雇うだけの余裕ある家が多いから、日常的な犯罪は起こりにくい。ただ、つまりは裕福な家が列をなしているということでもあるから、狙う盗賊ガーラも皆無じゃない」

 歩きながらラウセアは周囲を見回した。

「この付近の人々は礼儀正しくて、町憲兵を見かけると挨拶をしてくれます。顔を伏せてわれわれを避けるような人物がいたら、怪しいと思っていいです」

「そ、そんなふうに決めつけていいんですか」

 ザックが言うと、ラウセアは苦笑した。

「よくないですね」

「は?」

「よくないけれど、合っていることもある。この辺りの均衡が難しい」

「は、はあ」

 ぴんとこなくて、ザックは曖昧に返した。

 若い頃はラウセアこそが、やはりビウェルに「そういう決めつけはよくないです」と言い続けたものだ。だが経験を重ねれば、判ることもある。

 一方的に容疑をかぶせるのは相変わらず「よくない」と思うが、年上の相棒が「青二才が生意気を言うな」と怒鳴ってきた理由は、年を経るごとに判るようになっていた。

 しかし少年はそんなことを知らない。先輩は頭がいいから難しいことを言ってくるが自分には判らないな、などと思っていた。

「こんにちは、町憲兵さん」

「いい天気ですね」

「何ごともありませんか」

 ラウセアの言った通り、この辺りの住民はにこやかに話しかけてくる。小うるさい町憲兵連中だ、と眉をひそめられる下町とはだいぶ雰囲気が違う。

 もっとも、内心では同じように思っているのかもしれない。

 よくも悪くも礼儀をわきまえている、という訳だ。

 彼らは――主にラウセアが――それらに丁寧に挨拶を返しながら、巡回を続けた。幸か不幸か「怪しい人物」は見当たらず、彼らが帰途につこうとしたときである。

「ああっ!? ど、どうしようっ」

 かん高い悲鳴が聞こえてきた。ザックとラウセアは顔を見合わせ、声のした小道をのぞき込んだ。

 そこには金の髪を頭の高い位置で結わえた年若い少女がひとり、呆然と立っていた。

「……どうしました?」

 ラウセアが声をかける。少女はびくっとした。

「あ、ああ、町憲兵さん、こんにちは。いえ、町憲兵さんの手を煩わせるようなことじゃ……」

 見れば少女の足元には、衣服が散乱している。それから、転げている、空っぽの大きな籠。

「あれ? 君」

 ザックは目をしばたたいた。

「この前の」

「あ、あのときの!」

 少女はぱちんと手を合わせた。

「先日は有難うございました。悪い人を捕まえていただいて、本当に助かりました」

「いや、あれは」

 少年町憲兵は頭をかく。

「俺が捕まえたって感じでも」

「ああ、〈白い河〉亭の店員のお嬢さんですね」

 ラウセアも気づいた。

「ええと、元店員なんです」

 情けない声でチャルナは呟いた。

「元?」

「ええ、いろいろあって、クビになっちゃって」

「それは、お気の毒に」

 そうとでも言うしかないところであり、年嵩の町憲兵は言葉の通りに気の毒そうな顔をした。

「成程、それであの店にいなかったんですね。店主殿は、どうにもはっきりと言わなかったんですが」

 ドジばかりでクビにした――と町憲兵には言いづらかったのであろう、とラウセアは推測した。

「あ、お店にきてくださったんですか。じゃあ元兵士さんがいつ詰め所にくるか、決まったんですね?」

「それなんですが、彼は遠慮深くて、感謝状もお礼も要らないと」

 ラウセアは、ユファスに言った通りのことを言った。

「そうですか……」

 チャルナはがっくりと肩を落とした。

「楽しみにしていたのに」

「あー……これ」

 何となく歩み寄って、ザックは落ちていた布きれを拾い上げた。

「……洗い立て?」

 少女はこくりとうなずいた。

「洗濯屋から取ってきたんですけど、ふらついて、落としちゃって。どうしよう、またこんな失敗。また、クビになっちゃう」

 ますますチャルナは、肩を落とす。

「大して汚れてないじゃないか」

 土の上に落ちたと言うのでもない。ここはきれいな石畳だ。ザックは上等そうな上衣をためつすがめつしたが、汚れがついたという感じはしなかった。

「大丈夫。ちょっと砂を払えば、落としたなんて判らないよ」

「そ、そうかな」

「平気平気。ほら」

 ぱたぱたと服を振って、少女に渡す。彼女が躊躇いがちに服を籠に戻すのを見ると、また次を拾って同じようにした。

 ラウセアは少し迷っていた風情だが、苦笑いのようなものを浮かべて後輩と少女を手伝う。ほどなく、籠は洗濯物で埋まった。

「ほら、元通りだろ?」

 少年町憲兵は笑って言った。少女も笑みを返す。

「有難う」

「帰るまで気をつけて。今度は泥の上に落とす、なんてことのないように」

 冗談を言ったつもりだったが、チャルナは困った顔をした。

「やりかねないのよね、私」

「……気をつけてね」

 妙に心配になって、ザックはしみじみと言ってしまった。有難う、と少女はまた言う。

「それじゃ、よい一日を!」

「君もね。……あっ、気をつけて」

「え? きゃっ。す、すみませんっ」

 彼らを振り返りながら歩き出そうとしたチャルナは、向こうからきた人物にぶつかってしまった。相手の虫の居所が悪ければ怒鳴られるだろうが、幸いにしてそうではなく――或いは、町憲兵がいることに気づいたのかもしれないが――彼女は笑って許された。

「大丈夫かな」

「送っていきたいですか?」

「えっ、いいんですか?」

「あんまりよくないですね」

「……どっちなんですか」

「君がどうしたいのかな、と思ったんです。可愛い子ですね」

「うん……すごく」

 どうやらたいそうなうっかり者だが、顔立ちはとても可愛らしかった。そうした判断は人それぞれだが、少なくともザックにはそう思えた。

「新しい勤め先くらい、訊けばよかったかな」

「仕事中ですよ、ザック」

「あっ、すみません」

「正直でけっこうですけど。あなたも案外、うっかりですね」

 口にしなければいいのに、というところだろうか。

「人に親切にするのはいいですけれど、失敗を隠すように勧めるのは、あまり感心しないです」

「……あ、そこか」

 確かに、制服を脱いでいればともかく、人々の規範となるべき町憲兵の言動ではなかったかもしれない。

「もっとも、あれくらいで解雇というのは確かに可哀相ですし。報告書には、割愛していいですよ」

「あ、有難うございます」

 暗に「うっかり書くな」と忠告してくれた訳だ。減点の対象になりかねない。

「でも、ラウセア」

「何です?」

「報告書の捏造を勧めるのはいいんですか」

 皮肉でもなく純粋に疑問に思って尋ねると、ラウセアは笑った。

「書くべきこととそうじゃないことがある。基本的には、教わったように何でも書きなさい。抜けていることがあったら、私が訂正を入れます」

「は、はあ」

 基準が判らない。

「ですから、報告書は本来、書きすぎるくらいでいいですよ。でもいまの場合、何の裏もないただの親切だと判っていますから。公的な記録に残さなくても、私がちょっと罰を与えるだけで充分です」

「罰、ですか」

 ぎくりとする。

「ちなみに、何を」

「そうですね。帰ったら、剣の手合わせでもしましょうか」

「……うわあ」

 優しい顔をしているが、ラウセアは隊で一、二を争う剣の名手である。

「お、お手柔らかに、お願いします」

 真剣に言えば先輩は優しく笑って、「それでは罰になりませんね」と答えてくれた。

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