08 よく平然と言えるもんだな
「もう、そこまでの話に? 隠れて、ずっとつき合ってたのかい?」
「それがよ」
バールはまだ言いにくそうだった。
「少し前のことなんだけどな。故郷の弟から手紙がきて。親父が倒れたらしいんだ。お袋も、店の切り盛りと親父の看病とで参ってるって。俺……」
先輩料理人は息を吐いた。
「嫁さん連れて、故郷に帰ろうかと」
「そう、か」
バールはチャルナの件を告白すると同時に、近々この下厨房を去ると、そうしたことも口にした訳だ。
「トルスには話してある。でもまだ、ほかの奴らにはまだ内緒な」
頼むようにバールは手を合わせ、ユファスは曖昧にうなずいた。
「……バール。ひとつ、いいかな」
「ん」
「チャルナのことは、本当に好いてるんだよな?『嫁さん』になるなら誰でもいい訳じゃなくて」
「ったりめえだろ」
バールは顔をしかめた。
「誰でもいいなら、いちいちザックと張り合わねえよ」
むっとしたようにバールは言ったが、照れ隠しのようにも見えた。
「シャンシャのこともよ。姉貴も妹もどっちも望むなら、一緒に連れて行けると思ってる。ま、本人次第だけどよ」
「そこまで考えてるなら、僕が言うことは何もないよ」
ユファスは肩をすくめた。
どうやら、かなり本気で話を進めるつもりらしい。と言おうか、妹を引き取るかどうかまで考えているということは、チャルナに断られないだけの自信があるということ。
(つまり)
(ザックが一段目に足をかけようかどうしようか迷ってる内に、バールがさっさと昇っちまってたってことか)
少年町憲兵には気の毒だが、ザックとチャルナが既に恋仲のところを邪魔した訳でもないのだ。思えばバールは最初からチャルナを可愛いと言っていたし、積極的に〈麻袋〉を紹介していた。この展開も、致し方あるまい。
「余計な世話とは思うけどよ、冬至祭にはお前も誰か誘えよ。何なら、誰か見繕って紹介する」
「要らないよ、そんなの」
「そう言うなよ」
バールは頭をかいた。
「俺ぁ、自分がチャルナに惚れなかったらまじでお前を推すつもりだったんで、ちょっとばかり罪悪感があるんだ」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ」
ユファスは笑った。
「僕がチャルナにそういう気持ちを抱いているなら、いまからだって君に負けまいと頑張るよ。でもそうじゃないんだから、おかしな気を回すなって」
「でもよ」
少し迷う風情を見せて、それからバールはぼそりと言った。
「チャルナはお前のこと、好きだったんだぜ」
「そんなことないって」
気軽にユファスは手を振った。
「ザックもそんなふうに言ってたけど」
「おい」
「ん?」
「チャルナを見てる男ふたりが揃ってそう言うのに、よく平然と言えるもんだな」
「だって、勘違いだと思うもの」
彼は肩をすくめた。
「仮に、チャルナが僕を好いていてくれたとしても。そのこと自体が勘違いだよ。僕が、妹のために頑張る彼女に親近感を抱いたように、弟の話で、彼女も僕に似たものを覚えたとか、たぶんそんな感じさ」
「お前な」
「何」
「……いや、いい」
バールは深々と息を吐いた。
「お前がそんな人間で、俺は助かったんだし」
鈍いと言うのとは、少し違うだろう。少女の好意を否定する訳ではないのだ。
ただユファスは、たいていの若者が持っている、「相手を欲する」気質に薄い――という辺りだった。
もともとそうした性質の持ち主であったが、例の事件から、それには拍車がかかっていた。
この街を深く愛する町憲兵の姿を目撃した若者は、誰かを守る、愛するということにはものすごい覚悟が要るものと、そう感じるようになってしまっているのである。
当人には、そんな価値観を育てたつもりはなかったし、誰かが指摘したとしても「そんなことはない」と答えただろうが、影響を受けたことは確実だ。
ユファスのこの価値観は当分、彼の恋愛事情の根幹となる。
「でも、そうか」
残りの箱を棚に収めながら、ユファスはまた言った。
「寂しくなるな」
「今日明日の話じゃねえよ」
バールは顔をしかめた。
「それに、チャルナに振られたら、ご破算だ」
「振られると思ってる?」
「いいや」
友人は自信たっぷりに笑った。これはもう、ザックに勝ち目なし、だ。
「チャルナを幸せにしろよ」
「おうよ」
バールはにっと笑った。
「ただ、ユファスよ」
「何」
「お前、誰でも彼でも弟妹にする癖だけは、どうにかしろよ」
「癖じゃないよ、別に」
「いいや、癖だ。悪癖だ。そのままだとお前は、お兄さんを気取ってる内に独りで爺さんになる」
「気取ってるつもりもないけど」
「いいや。とにかく考え直せ。頼むから」
「どうして頼まれないといけないんだい」
「俺のせいでお前の数少ないチャンスをつぶしたからだろうが」
「少なくないよ、言っておくけど」
「……何?」
「この前、オーディルに誘われたし」
「えっ、まじか? オーディルってあれだろ、トゥーリー大臣の、生え抜きの侍女のなかでも評判の美女」
「うん、そう。断ったけど」
「おいっ」
「だって、仕事があったから」
「お前、もう少しガレンに何か教われよっ」
「ガレンの見解を言おうか?」
ユファスはにやっと笑った。
「それ」
と、彼はバールの指先を指す。
「バールがぼうっとして怪我をするなんて珍しい、あれは絶対、女のことを考えていたんだと」
「……あの野郎」
「あ、判った」
不意にユファスは言った。
「何だよ」
「求婚の言葉とか、考えてたんだろう」
「な、何を根拠に」
「僕も、らしくないなあと思ってたんだ。そうか、成程」
「うっせえよ」
「で、いい言葉は思いついたの?」
「放っとけ。クソ、決まってから言うんだったぜ」
ぶつぶつとバールは呟いたが、これは間違いなく照れ隠しであった。
変わっていくな、とユファスは思った。
アーレイドにやってきて、馴染んできた景色も、変わっていく。
(でも)
(幸せな方向に変わるなら、悪いことじゃない)
(……やっぱりザックには気の毒だけれど)
仕方ないな、と思わざるを得なかった。
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