第17話 王女とヒロイン

 突然の寒気に、ぶるり、とイザークは身震いした。


「……?」

「どうしたんすか?」


 隣を歩いていたアゼロが、俄かに顔色の悪くなったイザークに問いかける。

 ジゼルに絶叫されたあと、イザークはオーブリーからの伝言で自分の失言を悟ったが、ひとまず何も出来ないまま出勤していた。

 その恨み言のせいだろうか。

 後ろめたさから、つい正直に理由を話してしまった。


「いや、ちょっと背筋が……」

「風邪っすか?」

「いや、体調は良い方だ」

「顔色いいっすもんね。目の下の隈が心なしか薄いし」


 にひひっとアゼロが笑う。その顔を見て、イザークはやっと言うべきではなかったと後悔した。


「もしかして、成功したんすか?」

「……あぁ、まぁな」

「いやー、ついに先輩にも本命っすか。めでたいなぁ」


 アゼロには協力してもらった恩もある。秘密にするのは不義理と思ったが、アゼロの目に光る遊び心に、イザークはちゃきりと腰の剣を鞘から僅かに持ち上げた。


「婚約は言い触らして大いに結構だが、眠れないことをバラしたら刺し殺すからな」

「本気の目!」

「忠告だ」

「相変わらず、仲が良いな」


 逃げるアゼロの首を小脇に抱えていると、道の向こうから笑いを含む声がかけられた。

 市中警邏隊の制服に身を包み、ピシッと背筋を伸ばした姿は相変わらず凛々しいが、これでも数少ない女性隊員だ。美しい金髪を首の後ろで一つにくくり、吊り目気味の碧眼を少しだけ柔らかく細めている。


「リュカ先輩!」


 アゼロが、救世主とばかりに飛びついた。それをぽーんと軽くぶん投げるまでがお約束なのだが、イザークは久しぶりの登場にげんなりと口を開いた。


「なんであなたがここにいるんです……」

「議会のせいで人手不足なのを知らないのか?」


 市中警邏隊のくせに世情を知らないのかと、リュカが呆れる。だが呆れるのはイザークの方だった。

 次期国王選挙に向け、自分たちの血筋から国王を選出するために、幾つかの家が継承者の条件を変更しようと議会で揉めているのは知っている。

 条件とは、建国王の血を引く子孫のうち、男系男子だけでなく女系女子もまた対象とするということだ。

 現在、王位継承可能者は四人だが、そのうち現国王の嫡男である王太子は病弱で、王弟に至ってはもう何年も行方不明だ。これが女系女子の子孫が対象となれば、一気に十人以上増える。

 継承可能者が増えることは王家の血統の安泰に繋がるが、一方で各家の思惑が混ざり合い、消耗の激しい権力闘争も起こる。

 そのせいで、治安警備部隊の殆どの人員は継承可能者と選王家の護衛に割かれ、市中警邏隊はいつも以上に人手不足だった。 


「それは知ってますが、俺が言いたいのはそうではなく」

「都市の治安よりも貴族連中の命の方が大事と考える輩が多すぎて、困ったものだ」

「そうじゃなくて」


 と、イザークは声を潜めてリュカの隣に並んだ。


「あなたは守られる方でしょうに」


 リュカの本名はヴィオレーヌ・ディディエ・リュカ・セニュール。御年二十一歳になりながら一向に剣術遊びから足を洗おうとしない、困った第一王女殿下だった。

 だがイザークの言葉に、リュカは二ッと実に男らしく笑った。


「守ってもらうなら、せめて自分よりも強い者でないと意味がないと思わないか?」

「殿下が強くなりすぎなんですよ」

「切磋琢磨した相手が良かったんだろう」

「そりゃどうも」


 イザークが隠れて訓練兵の鍛錬場に出入りし始めた子供の頃、同じような理由で忍び込んでいたのがリュカだった。二人はお互いの立場も知らないうちから、一緒にここで鍛錬する仲だった。

 昔はリュカが女であることに気付かず、コテンパンに負かして散々に罵られたが、最近は打ち合いをしていないので、彼女の実力は分からない。


「寝不足でないお前になら、守られてもいいぞ?」

「無茶を言わないでください」


 兵舎ここでなければ軽々しく口も利けない相手に、イザークは相変わらずの我が儘ぶりだなと頭が痛くなってきた。

 まさかこのまま午後の警邏についてくると言うのではなかろうなと警戒していると、意外な話題を振られた。


「実は最近、アレット・バイエが会いたいと言ってきてしつこくてな。面倒だから逃げてきた」

「アレット・バイエ……というと、あの?」

「そう。二十年前の主人公ヒロインだ」


 リュイヌ公爵バイエ家といえば、五つある選王家の一つだが、数代前の失態のせいで発言権を失ったお飾りの選王家として有名だ。

 だがその名を再び有名にしたのは、二十年前のフェヨール家令嬢の婚約破棄の一件だった。

 ソランジュ・フェヨールと幼少から婚約していた、前国王の亡き王弟の忘れ形見であり、数少ない男系男子の王族であるラフォン・セシャン・ミユリー。彼と大恋愛を繰り広げ、最終的には強大なフェヨール家を退け、妃の座を手に入れたバイエ家の娘。


(ジゼルの母親を追い落とした張本人、か。こんなタイミングで名前を聞くとは、何の因果か)


 ラフォンは継承可能者だが、後ろ盾である母の実家のミユリー伯爵家にさほどの力はない。信仰心は強く、選王権を持つ二人の大司教とは親交があるようだが、今回の法案にも影響力はないだろうが。


「で、その主人公が、王女殿下に何の御用で?」

「後ろ盾もない我が儘無礼な利かん坊の王女に出来ることなど何もないのにと?」

「そんなことは言ってないでしょう」

「冗談だ」


 ハハハとリュカが笑う。内心では冗談でもないだろうにと思いながら、イザークは何も言わなかった。ただの庶子であるイザークに、出来ることなど何もないからだ。


「今更、また権力でも欲しくなったのかな」

「さぁ、どうでしょうね」


 疲れたように呟くリュカに、イザークは当り障りなく返した。

 王宮では、リュカには居場所がない。そこに更に厄介事が持ち込まれそうで、嫌になってここに来たのだろう。リュカはいつも嫌なことがあると、気晴らしにここで剣を振るう。


「ラフォン大叔父も大変だ」


 ラフォン夫妻は仲睦まじいとは聞くが、あんな大恋愛の上にフェヨール家を敵に回したのだ。不仲だとしても秘密にするだろう。

 まぁ、当時の真相をどちらも知らないのだから、全て憶測の域を出ないのだが。


「結婚は、どこも大変なようですね」


 自分の両親しかり、ジゼルの両親しかり、王女の両親しかり。


「全くだ。一生したくないな」


 イザークも、それには全く同意見だ。だが当の王女にそれが通用するはずもなく。


「何人もから求婚されてるって話、有名ですよ」

「貴族の子息を手玉に取る悪女か?」

「……ま、そんなところです」


 くっくと笑うリュカに、イザークは誤魔化すのも諦めて頷いた。

 有名な所で言えば、王妃の生家であるヴァレスク公爵クロード家と仲の良いアニール侯爵デュガ家の次男に、オーリオル公爵フェヨール家の息のかかったエスピヴァン侯爵ダリヴェ家の次男。他にも血の保管庫とも呼ばれるヴァンデベルグ公爵クチュリエ家の嫡男など、選王家の子息がずらりと名を連ねている。

 法案が通らなかった場合、弟である王太子が次期国王として最有力だが、求婚者たちも遠縁ではあるが建国王の血が入っており、王女を妻に出来れば有力な対抗馬となり得る。そしてもし法案が通った場合には、女王の夫として、王配としてやはり権力を手に出来るという計算だろう。

 だが実際の噂といえば、軟弱者とは婚約しないと公の場で啖呵を切ったせいで、少し腕に覚えのあるやつがいちいち絡んできてはそれを返り討ちにして喜んでいるというものだろう。ついたあだ名が、野蛮王女。


「権力とは、げに面倒臭い代物だな」

「全くです」

「だが血筋で言ったら、お前だって私に求婚しても良いんだぞ?」


 からかうように、リュカが核心に触れる。

 冗談で返せれば良かったが、イザークは表情も作れず固まってしまった。


「あれ。先輩、顔が怖いっすよ」


 やっと戻ってきたアゼロが、固まったままのイザークの視界で手をひらひらと振る。


「リュカ先輩、またやりすぎましたね?」

「悪い。勘気に触れた」

「やめてくださいよー。被害被るのオレっすよ?」


 ハハハと、リュカが罪悪感もなさそうに笑う。

 そのまま、イザークの肩をポンと叩いて道を分かれる、その去り際。


「だが、お前が本気になれば、ほとんどの連中は諦めてくれると思うんだがな」

「……できるかよ」


 放たれた言葉に、イザークは苛立ちを隠しもせずそう答えた。

 王位継承権の放棄も宣言せず、恋人も見捨てて消えた王弟の子供になど、何もできることなどないのだ。昔も今も、これからも。

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