第35話 嘘吐きとお人好し

 侍女のニネットから事情を聞いた時、イザークはまず真っ先にリュカの元へ向かった。


『オーリオル公爵の御嫡男が、賊に襲われたと……!』


 オーリオル公爵は、ジゼルとも繋がりがあるが、嫡男ルシアンと最も懇意にしているのは他ならぬリュカのはずだ。

 一方的に何度も告白されては振り、玉砕しても諦めない所を、リュカは至って迷惑と言いながら楽しげに話していた。


『あいつは、いつまで経っても私を幼い女の子だと思っている節がある』


 それは、子供の頃にはリュカのことを男と勘違いしていたイザークに対する嫌味だったが、そう語るリュカはやはりどこか嬉しそうだった。

 だから走った。ジゼルのことも心配ではあったが、居場所が分からないのであれば、伝えようもない。

 そうして話を聞いたリュカは、そのまま兵舎の馬を借りて公爵邸に乗り込んだのだ。


(あいつがあんなに取り乱したの、久しぶりに見たな)


 イザークは従者の顔をして公爵邸に入ったが、さすがに二人の面会を邪魔する気はなく、部屋の外で待機することにした。


(公爵のあの様子では、命に関わるほどではないのか……?)


 入口には衛士が立っていたし、屋敷にも全体的に緊張感があるから、まだ下手人は捕まっていないのだろう。侯爵邸で噂が流れていたのは、単にベルトランがマルスランに助力を願っただけか。

 二人は実の兄弟で、私兵の実力で言えばダリヴェ家の方が質が良い。その内、マルスランも公爵邸に顔を出すかもしれない。その前に、ここから立ち去るべきだ。

 だが、リュカを一人にもしておけない。ベルトランがルシアンの件を伏せておくつもりならば、王宮にリュカの護衛を寄越すよう依頼することはまずないだろう。

 それに、ルシアンの安否くらいは知っておきたかった。でなければ、今夜来るかもしれないジゼルに伝えても、不安を煽るだけになってしまう。

 さて、どこから聞き出そうかと思案していると、扉が開いた。ベルトランだ。リュカはいない。


(看病なんか、したことないだろうに)


 室内に残ったらしいリュカに目線を向けていると、淡褐色ヘーゼルの瞳に睨まれた。慇懃に一礼しておく。

 その背を見送りながら、イザークは淡い怒気が湧くのを自覚した。


(選王家の嫡男でも、こんなもんなんだな)


 正嫡として将来が約束されているはずの立場なのに、蓋を開けてみればそこに愛情はなく、政争の道具としか見られていない。

 リュカも同じだ。この国で最も高貴な血を引きながら、母を失い、腹違いの弟が生まれた途端に、父親から忘れ去られた。今では、病弱な弟の予備スペア扱いだ。

 父親がそばにいても、こう・・なのだ。

 夢を見ろという方が愚かしい。


(リュカは、もう、結婚しないかもな)


 ルシアンは、婚約者候補ではない。継ぐべき家があるからだ。

 だがルシアンを失えば、リュカはきっと決定的に何かを失う。そんな気がした。




       ◆




 靴が突然鉛に変わったかのように、足が重かった。


「もうすぐ……もう少しなのに……」


 何度も自分を叱咤する。だが意思と願いに反して、ジュストの体は重くなるばかりだった。

 泣きそうになりながら、ずっと向こうに見える深い緑色の樹頭を見上げる。

 屋敷は、俗に貴族街と呼ばれる旧市壁内にあった。朝に屋敷を出たが、もう日は随分高い所にある。半日かけて、やっと新市壁を越えられた。

 だが、そろそろ限界かもしれない。

 今までも、幾度となくミュルミュールの森へ行くことは試みた。子供の足だけでは到底不可能だと分かっていたから、いつも人目のない所まで歩いては魔法で移動するという方法をとった。

 だが小さな七歳の体では、魔法の連続使用も、長距離の徒歩移動も負担であることに変わりはなく、いつも平民街を出るまで持たなかった。

 母は、最初に森の近くを馬車で通ってくれたが、以降一度も許してはくれなかった。


『バイエ家の人間は、森に近付いてはいけないから』


 申し訳なさそうに言われたが、もうそんなことは関係ない。

 眠る度に、夢を見るのだ。

 早く助けに行かなくてはと、さめざめと泣く男の声を。

 私は嘘つきだ、卑怯者だと、自分を責める声を。

 その声は、夢のくせにいつも見えない不安となってジュストを追い立てた。

 ジュストが何かを忘れていると。約束を果たしていないと。早く迎えに行けと責め立てる。

 夢は日に日に生々しくなって、知らない感情ばかりをジュストに押し付けて、目が覚めると泣いているということを繰り返した。

 ジュストは幼心に、それが自分を呑み込む怪物のように感じて、酷く恐れた。


『ぼくは、ぼくじゃないの……っ?』


 訳の分からないことを言って母に泣きつき、一緒に寝てもらう日が増えた。

 その一方で、不意に何もかもを理解していると思う時もあった。

 自分はジュストではなく無念の内に死んだ男で、ジュストとして生まれ変わったのはたった一つの使命を――約束を果たすためなのだと。

 そう気付いた時には、当然のように魔法が使えた。魔術や魔道具を介さずとも、体内の魔力を感じ、意思を通せば、魔法が使えると気付いた。

 だが同時に、今の時代には魔法を使える者の方が少数であることも知り、その力を隠した。今度こそ、上手くやらねばならない。

 そうでなくとも、この体はまだまだ幼く、何もかも思い通りに動かないのだから。


(この体は、すぐに泣くからいけない)


 視界に入る、肉付きの良い短い指を睨みながら、もう少しと体に力を入れる。足が痺れて痛いが、少し休めば体力も魔力も回復する。回復したら、今度は森の中まで一気に飛ぶ。そのために、今日は朝一番に出たのだ。

 体を引きずって、近くの木を目指す。堪えても歯を食いしばっても、涙が出そうだった。


「……早く、大人になりたい……」


 子供ではないはずなのに、馬鹿みたいに子供みたいな願いで、嫌になる。

 そこに、影が落ちた。


「大丈夫?」

「っ?」


 ハッと顔を上げれば、心配そうな顔がジュストを覗き込んでいた。

 栗色の癖毛に、澄んだ碧眼。知らない女性だ。けれど、見覚えがある。


「迷子? 市外区の子だったの?」


 言いながら、女性が辺りを見回す。保護者がいないか探しているのだろう。正直に言えば、市壁内に戻されてしまうかもしれない。

 ジュストが言葉に迷っていると、女性は意外なことを言った。


「前にも町でぶつかった子だよね? 体が弱いの?」

「え? あぁ……」


 言われて、ジュストは数日前のことを思い出した。確かに、あの時の女性だ。目の下の隈が前より酷くなって、雰囲気もどこか疲れているようだったから、気付かなかった。

 何より、以前に感じた魔女の気配が、ない。


(どうして……)


 だが、違和感の正体を探している余裕はなさそうだった。


「どうしよっか……。家まで一緒についていってあげたいけど、私も今はちょっと立て込んでて……」


 女性が、悩みながら周囲の農村を探す。前回もそうだったが、根本的に人が好いのだろう。

 ジュストは考えるよりも前に、嘘をついていた。


「森に入れば、治ります」

「……え?」

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