第2話 悪夢とお肉
――……けて……
がらんどうの暗闇の中、遠く、声がする。
――……ら、だして……
その声はか細く弱々しくて、いつも何を言っているのか聞き取れない。けれどそこに込められた想いは地を這うように強く重々しくて、ひとたび捉えてしまった耳は、それを拒絶することができなくなる。
――……やく、ここから……
切実な願い。
身を裂くような祈り。
或いは、
そして、それは。
――……苦しめ
渦のような毒々しい悪意となって、逃げようとする足元から這い上がり、絡めとり、一歩も進めなくなる。胸を掻き毟られるような息苦しさが全身に巡り、息が出来ない。
寂しい。
怖い。
苦しい。
痛い。
まとまりのない幾重もの恐ろしさが払っても払っても体中に纏わりつき、気付けば、
(ッ!?)
見下した胸が、ずたずたに裂かれてごぼりと溢れるほどの鮮血で真っ赤に染まっていた。
痛い。
(あぁ……!)
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
痛くて堪らなくて、けれど倒れ込んで藻掻くこともできなくて、縋るように顔を上げる。すると真っ暗な闇の先に一つ、小さな背中が見えた。
子供だ。小さな背中が、苦しそうに屈みこんでいる。
その背中が、ぐぱりっ、と袈裟懸けに裂けた。どぱっと、血が壊れた噴水のように溢れる。
(ヒッ……!)
そこからはもう、声にもならなかった。少女のようだったものは割れた風船のように鮮血をまき散らして爆ぜ、足元に血がどくどくと流れ込んでくる。
すると次には、血に沈んだ足ががくりと支えを失ったようにバランスを崩し、体がどんどん沈んでいく。抗えない。
こうなったら、もう逃げられない。
このままでは、また、
もう何年も続く、逃れられない絶望に、今日もまた死を予感する。
その時。
――お肉!
この悪夢では聞いたこともないハキハキした明るい声が、そう言った。
(……は?)
意味が分からなくて、真っ暗なはずの辺りを見回す。
いつもなら、このままこの暗闇を赤黒い血溜まりが呑み込んで、自分も飲みこまれて、結局まともに眠れないまま目が覚める、はずなのに。
(息が、できる……?)
訳が分からない、と困惑している先から、体中に張り詰めていた力が不意にぽろぽろと抜けていくような感覚が訪れた。
何故、と思考するよりも圧倒的な速さで、今まで溜まりに溜まった眠気が泥沼のように襲い掛かる。
だがそれは今まで十年以上苦しんできた不快なものとはまるで違い、あたかも揺り籠に守られる赤子のように安らかな心地だった。
だから。
――…………っ
いつもの声も聞こえないほど深くふかく、イザークは久方ぶりの眠りに落ちた。
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