第31話 かつてのヒロインと叶えたい願い

 イザークの捨て台詞に、ヴィオレーヌはしばらくぽかんと口を開けるしかなかった。


「確かに、敬語は要らんと言ったが……」


 今日市中警邏隊の兵舎を訪れたのはただの気晴らしで、イザークのために足を運んだわけではないが、少なくとも頼まれた用事に答えてやったのだ。それを礼の一言もなく妙な忠告だけ言って去っていくとは。


「やはり、あいつが居なくなるのは寂しいな」


 くっくと、旧来の友の未来を思う。イザークが居なくなっても、騒ぐのはダリヴェ家だけだ。フェヨール家には、前国王の王女から続く男児がいる。


「いや、ルシアンは喜ぶかもな」


 ルシアンは次期オーリオル公爵だというのに、何故かイザークを目の敵にしていた。イザークなど、婚約者候補の対立にもならぬというのに。

 さてどうなるかと、一人兵舎の粗末な椅子に身を預ける。そこに、再び叩扉が響いた。


(今日はこんな所でも千客万来だな)


 苦笑しながら、扉の向こうに返事をする。返ってきたのは、意外な言葉だった。


「リュカ先輩。お客っす」


 アゼロだ。どうやら、上官にでも入り浸りすぎているのがバレたらしい。

 イザークと共に内緒でヴィオレーヌに稽古をつけてくれた上官は、今は別の屯所にいるが、ここにもたまに顔を出す。

 運が悪かったと思いながら「通せ」と答える。だが待っていたのは、お小言よりも厄介なものだった。


「やっとお会いできましたね」


 失礼しますと言って入ってきたのは、この地域では珍しい黒髪に、深い藍色の瞳をもった、三十代半ばの小柄な女性だった。年だけで言えば継母である王妃と大差ないはずだが、全体的にどこか無邪気であどけない雰囲気で、可憐という言葉がよく似合う。

 その容姿を、ヴィオレーヌは噂だけなら知っていた。


「そなた……」

「アレット・バイエと申します。お初にお目にかかります」


 二十年前の噂の『ヒロイン』ことアレット・バイエは、美しくお辞儀をしながら朗らかに微笑んだ。

 だがヴィオレーヌは、奇妙な符合に警戒心を強めていた。


(また、魔女か)


 イザークの悪夢に魔女の悪意があるのかは不明だが、無関係ではないだろう。そこに、再び魔女の関係者が現れた。

 かつて第四代目国王の末子ジュール・カディオ・バシュラール・セニュールに娘を嫁がせ、王宮に現れた魔女と結託し、王太子から次期国王の座を奪おうとジュールに反乱を唆した罪でその立場を落としたリュイヌ公爵バイエ家。

 魔女を魔女たらしめた、その末裔。

 ヴィオレーヌは深い嘆息とともに、先手を打つことにした。


「先に断っておくが、私はお前のような女に甘い汁を吸わせてやる力は一つも持っていないぞ」

「まぁ。王女殿下ともあろうお方が、権力欲の権化などという噂をお信じなのかしら?」


 ころころと、アレットは笑った。その笑みに、予想したような怒りや焦りは見えない。

 百戦錬磨の嘘吐きなのか、或いは可憐な見た目に反して剛の者なのか。

 ヴィオレーヌは、兵舎内だからと剣を携帯しなかったことを後悔しながら、なおも挑発を続けた。


「二十年前、強引なやり方で婚約者を奪ったのも、バイエ家の再興のためだったと聞いているが?」

「王女殿下は単刀直入ですのね。それで、バイエ家は権力を取り戻しましたかしら」


 その答えは、ノーと言わざるを得ない。選王家という肩書きは残っているが、未だにバイエ家は他の選王家に何一つ敵わない。


「つまりその後の方策が上手くいかなかったと?」

「そうとも言えますし、違うとも言えますでしょう」


 にこにこと、アレットは笑い続ける。この段階で、既に貴族的会話では勝ち目がないことは明らかだった。それにもう面倒臭い。

 ヴィオレーヌは、頬杖をつきながら本題を促した。


「まだるっこしいのは嫌いなんだ」

「では早速お願いを申し上げます」


 鋭く睨めつければ、アレットもまた柔らかな笑みを消して真っ直ぐにヴィオレーヌを見つめ返した。


「ミュルミュール森林への、バイエ家の立ち入りを許可して頂きたいのです」


 それは、ヴィオレーヌが予想していたどの要求とも違うものだった。

 ミュルミュール森林は御領林として王家直轄地であるが、そもそも侵入すれば命の危険がある場所ということで、ほとんどの者が自ら立ち入るような場所ではない。

 あの森に用があるのは、それを生活の糧にしている者――森の浅い場所での茸や山菜取り、薪拾い――本当は許されないことだが――、そして森の奥から時折出てくる魔獣などの害獣討伐くらいだ。

 それでも敢えてバイエ家を名指しで立入禁止にしているのは、やはりジュール王子の反乱教唆が理由だった。


「何故それを私に?」

「陛下には、既にもう二十年近くもお願い申し上げております。けれど許可どころか、一度も話を聞いていただけておりません」


 だろうなと、ヴィオレーヌは鼻で嗤った。バイエ家が魔女に近付いて、善行でもするのかとは、誰も思わない。


「王家のはみ出し者なら、懐柔できるとでも?」


 皮肉とともに返す。さぁどんな追従をするかと楽しみにするが、返されたのは再び予想外のことだった。


「殿下が、魔女についてお調べになっていると知ったためです」

「…………」


 誰から聞いた、とは言わなかった。ヴィオレーヌが魔女について調べ始めたのは、もう何年も前のことだ。完全に隠しおおせるなどとは思っていない。

 だがやはり、冷静なつもりでいた感情は沈んでいく。


「バイエ家は、まだ魔女の力を利用したいのか」


 どんな病も治すと言われた魔女。医学と薬草に長け、強い魔力を持ち、人心を掌握する術さえ巧みで、王宮を掻き乱し王子を誘惑した女。

 魔女の力があれば、バイエ家は王家を揺るがすこともできるかもしれない。特に今は、王太子である弟の病弱さもある。利用する価値は大いにある。

 だがこれに、アレットは余裕を見せるどころか、悲痛に顔を歪めて首を横に振った。


「いいえ……いいえ、決して。私はただ……魔女に会いたいだけでございます」


 その微かに震える声は、初めて本当のアレットを見せたように思えた。

 だがそれでも、絆される理由にはなり得ない。


「魔女に会うだと? 封印を解いてか?」

「必要であれば」

「尚更許可できないな」

「殿下がお許しくださるなら、バイエ家は法案に賛成し、殿下を支持します」

「日和見をやめるのか? だがそうなれば、今度こそ潰されるぞ」

「それでも、叶えたい願いがございます」


 決然と、アレットが言う。その瞳が、先程のイザークと重なって、ヴィオレーヌはすぐに皮肉を返すことができなかった。


『この腕輪を調べてほしいのですが』


 諦観の中に燻る一筋の希望、それが愚かだと知りながら縋る他ない、憐れな瞳。

 とても、ただの権力欲と切り捨てることはできなかった。

 その束の間の沈黙に、アレットは言葉を継いだ。


「殿下も、なのではございませんか?」

「……何だと?」

「フェルディナン第一王子殿下のことでございます」

「――――」


 一切の皮肉や装飾を用いることなく、アレットがその名を出す。

 叶えたい願いが、ヴィオレーヌにもあるだろうと。


(そんな大層なもの、私は持ち合わせていないんだがな)


 ひたと向けられた藍色の瞳の仄暗さに、ヴィオレーヌは苦笑するしかなかった。

 その脳裏では、イザークが言っていた呪いという言葉が想起されて消せずにいた。

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