第30話 失望と希望
時は遡って、ジゼルから腕輪を取り上げた翌日。
イザークは仕事仲間の伝手を使って、幾つかの魔道具店に当たりをつけた。
とは言っても、現代の魔道具店といえば過去の実績に縋って営業を続けているような店がほとんどで、内実は気休めのまじないや古いだけの道具、効果のない魔導書を置いているだけで、古物商と大差なかった。
「なんです、この手作りの。……魔除け? あぁ~、たまにあるんですよねぇ。ミュルミュール森林の材料で作ったとか、魔女の力が閉じ込められてるとか……ちょっとねぇ、これは鑑定できませんねぇ」
仕事の合間を縫って腕輪を見せれば、どこの店も失笑混じりにそう答えた。
結局二日かけて首都中の魔道具店を回ったが、真剣に取り合ってくれる所はなかった。
「それで、私の所に持ってきたのか?」
更に二日後、ふらりと兵舎に現れたリュカを掴まえて、イザークは腕輪の鑑定を頼み込んだ。
「魔法や魔道具について、王家ほど通達している所は他にないでしょう」
古来、王家を筆頭に貴族など古い血筋を持つ家には、魔力を持つ者が生まれることが多かった。逆説的に言えば、強い魔力を有するが故に支配者になり得たとも言える。
それゆえ、魔法や魔術が衰退の一途を辿る現在でも、王家では魔法に関する知識や技術が連綿と受け継がれていた。
最近で言えば、先代国王が有名な所だ。
先代国王は筋骨隆々の無骨な武人の出で、岩を拳一つで突き砕くほどの剛腕の持ち主だったが、その剛力こそが魔力を無意識に操作した結果ではないかという噂が流れた。
だがこれは王の威光を疑う類の推測でもあり、大きな声で広まることはなかった。
「まぁ、そうだろうな」
含み笑いをしながら、リュカは腕輪を手に取って表や裏の装飾を細かく見てみた。とは言っても、適当な木の皮を薄く削いで、それを交互に組み上げただけのもので、彫り込みもなければ、宝石の一つもない。
元は綺麗なオーク色だったろうが、生活する中で汗や泥汚れが染み込み、すっかり黒ずんでいる。価値がないと思われるのも同意だ。
「こういうことは、弟の方が得意なんだがな」
リュカは王家の中でもよく魔力を扱う方だが、それでも魔道具などがなければ魔法を発動することはできない。魔術が刻まれている魔剣を介して火を放ったり、斬った相手を凍らせたりする程度だが、そういった力ある武器は全て王家の宝物庫に眠っている。
対する弟は、体が弱く武芸などは一切向かないが、代わりに魔術を羊皮紙や道具に起こして、失せ物探しや結界の真似事などもするという。
「……少し、魔力を感じるな」
「本当ですか?」
「あぁ。魔除けというのは本当のようだ」
両手で包み込むように持ちながら言ったリュカに、イザークは期待していたくせに、素直に喜べなかった。ただの気休めなら、すぐにジゼルに返して終わりにできたのに。
(……くそ。私情を持ち込むな)
イザークはまだ自分の中に残る期待を打ち砕くため、更に踏み込んだ。
「その腕輪が、呪いを発しているということはないのでしょうか?」
だがこの答えは、イザークには予想外のものだった。
「どちらかというと逆だろうな」
「逆?」
「言ったろう。魔除けだと。手作りのようではあるが、きちんと魔障を防ぐようになっている。恐らく、この腕輪の持ち主もまた、呪いを受ける対象だったんだろう」
その言葉に、イザークはそれまで考えもしなかった可能性に初めて思い至った。
「まさか……ジゼルも、俺と同じ呪いを受けていたということか?」
「ジゼルというと、噂の婚約者殿か?」
「それは……便宜上です」
イザークの独り言ににやにやと口元を歪ませるリュカを軽く睨みながらも、イザークは事の経緯を大まかに説明することにした。
悪夢のせいで眠れないこと。子供の頃、魔獣に襲われてからそうなったこと。その時に居合わせたのが、ジゼルだったこと。
「となると、二人は同じ魔障を受けた可能性が高いな」
「では、この持ち主は犯人ではないと?」
「ただの被害者だろう。運命共同体と言った方が近いかもな」
「どういう意味です」
「お前が悪夢を引き受けていなければ、彼女は死んでいた可能性もあるということだ。或いは、その逆もな」
「な……」
大袈裟な脅し、と決めつけるには、リュカの碧眼はあまりに真剣だった。その眼差しに、嫌でもジゼルが長く臥せっていたという言葉をを思い出す。
貴族の方が魔力が強いということは、必然的に魔力耐性も高いということだ。平民と貴族で等分に魔障を分けたというのなら、ジゼルの苦痛はイザークのそれを遥かに上回っていたはずだ。
「平民の、しかも体の出来ていない子供が何年も続くような魔障を一人で受け続けていれば、衰弱死は免れない。腕輪を用意した者は、それを承知していた可能性が高い。少なくとも、魔法や魔力に関してある程度の知識があったことは確かだ」
リュカの言葉に、イザークは最早己の失敗を認めないわけにはいかなかった。
ジゼルがあの魔獣を放ったと言われ、肝心なことを失念していた。
『ジゼルが、魔女の封印を……?』
『そう! だから、イザークが眠れないって言ってたのも、あの女が原因じゃないかしら? きっとイザークに取り入るために、自分で呪いをかけたのよ』
数日前の朝、目を輝かせて自分の推理を披露したリリアーヌ。
イザークは、すぐにそんなわけがないとは、言えなかった。
それはイザーク自身が、一度抱いた疑念だったから。
リリアーヌを連れ出したことで折檻された後、一か月程も寝込んだイザークだが、その間も助けてくれた少女の安否が気になっていた。
だが覚えているのは同い年か少し年下の、栗色の癖毛と輝くような碧眼だけで、名前も家も分からなかった。それでも、子供連れで魔獣退治をする男と限定すれば多くはなく、オーブリーとギーの尽力で暫くして見つけることができた。
(最初は、無事を確認できれば、それで良かったのに)
だが無事だという報告が届いた時、イザークは既に悪夢に苦しんでいた。
最初は、同じ夢を見るという程度で、まだ眠れていた。強くなりたくて、こっそり警邏隊などの訓練所に出入りし始めた頃で、疲れていたのもある。相談したギーに、疲れれば夢は見ないと言われたのだ。
だが次第に夢の中の苦しみは起きた後も尾を引き、眠るのもままならなくなってきた。そしてついに、指先に紫色の痣が現れ始めた。
そこから呪いについて調べ始め、魔女や死についての伝承ばかりで頭がいっぱいになった頃には、侯爵家の人間を疑った。彼らには、イザークを排除する理由が十二分にあったから。
ジゼルが見付かったと報せを受けたのは、それらが空振りに終わり、疑心暗鬼が深まった頃だった。
森の近くに暮らす、お金に苦労している女の子。母は追放された元貴族。
(もし、彼女が助けてくれたのが、偶然じゃなかったら……?)
疑念は、呆気なくイザークの罪悪感を呑み込んだ。そこに女性に対する偏見も加わって、結局ジゼルに会いに行くことができなかった。
だからぶつかった相手がジゼルだと知った時、イザークは雷に打たれたように困惑した。ジゼルと初めて言葉を交わす時、本当は心臓が凍りそうなほど緊張していた。
だから、ジゼルがイザークの顔も覚えておらず、頓珍漢な奇行を繰り返し、悪夢や呪いについて話しても困惑するばかりのジゼルを見て、心の底から安堵した。
彼女のどこまでも真っ直ぐな言動が、彼女が呪ったのではない証左に思えて、いたのに。
『ね? だから、もうあんな女なんかやめて、目を覚まして、イザーク?』
リリアーヌが、凝りもせず
『……いい加減、放してくれ』
『え? なぁに? 聞こえな……』
『色狂いの低能女が、薄汚い体で、俺に触れると言ったんだ』
吐き捨てるように言って、ついにリリアーヌを突き放した。その日の仕事終わりに待っていたのは、稽古ではなく折檻だった。お陰で今もって体中が痛い。
(こんなことで嫌ってもらえるのなら、最初からこうすれば良かったな)
そうすれば少なくとも、ジゼルを疑い、傷付けることはなかった。
「……もっと早く、殿下に相談すべきでした」
己の愚かさを噛みしめながら、深々と頭を下げる。その姿に、椅子にふんぞり返りながらリュカは笑った。
「お前の良いところは、無駄口を叩かぬ忍耐強い所だ。そしてお前の悪いところは、何でも一人で抱え込んで、他人を信用しない所だな」
それは結局同じ意味ではと思ったが、イザークは黙って受け止めた。畢竟、どちらでも間違ってはいないのだから。
「この腕輪を調べれば、呪い……魔障は解けるでしょうか?」
イザークは、リュカから腕輪を受け取りながら、一縷の望みをかけて最後にそう尋ねた。だがリュカは、苦笑しながら正論を述べた。
「それで解けるなら、その者はそもそも腕輪など与えはしないと思うが?」
確かに、ジゼルの父親が何者かは分からないが、呪いを解く術を持ち合わせていないことは推察できる。
(結局、この呪いはどうすることもできないのか)
呪いが解ければ、母を連れて逃げてもどうにか生き延びられると思っていた。だがその希望が打ち砕かれた今、イザークはこの先の未来を思い描く気力すら失った思いだった。
「それで、お前はその腕輪をどうするんだ?」
項垂れて部屋を出ようとするイザークの背に、リュカが好奇心を覗かせて問う。それに一瞥を返しながら、イザークは当然の言葉を返した。
「別に、呪いが解けないのなら持っていても仕方がない。返します」
「返す? お前が持っていては、魔除けの効果は得られないのか?」
「!」
その指摘を受けるまで、イザークは愚かにもその事実にとんと思い至らなかった。
(そうか。必要だったのは、ジゼルではなく……)
ジゼルから腕輪を奪った後、色々と考えることがあって寝付けずにいたが、それでも短い時間に落ちた眠りにあの悪夢はやってこなかった、気がする。
(これを、奪ってしまえば……)
イザークの念願が叶う。
悪夢を払いのける腕輪さえあれば、イザークは命の終わりに怯えずに済む。
命に期限がないのなら、貯めた金で母を連れていつでも逃げ出せる。
侯爵邸に縛られ、いつマルスランが
もう、お前たち
「お前と会えなくなるのは残念だ。私のくだらない話に付き合ってくれる、数少ない友人だったのに」
握り締めた腕輪を凝視するイザークの横顔を眺めながら、イザークの子供の頃からの望みを知っているリュカがしみじみと言う。
だがイザークは、そんなことに返事をしている余裕は最早なかった。目の前のドアに小走りで向かう。
「俺、行きます」
「おい。これが最後だというのに、別れの言葉もなしか?」
その背を冗談交じりに引き留められ、イザークはもう少しで王女相手に暴言を吐く所だった。
(うるせぇな、今それどころじゃないんだよ!)
だがここでそんな言葉を言うのは、恩を仇で返すというものだ。そもそも、腕輪を見てもらった礼もろくに言っていない。
イザークは焦りを唾とともに飲みこむと、ドアを開けながら丁寧にリュカを指差した。
「俺がお前に言えるのは、面倒な条件はとっとと取り下げろってことだけだ。じゃあな!」
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