第48話 長の因縁と対決
「ふざけないで!」
女の金切り声が聞こえて、イザークは真っ先にリュカの心配をした。
だが声が違う、と冷静になる。
代わりに、襟首を捕まえていた老主治医が顔を蒼褪めさせた。
「お、奥様……」
そんな中、最初に動いたのはソランジュだった。シャーリーに目配せして階段を駆け上がり、迷うことなく奥の部屋に向かう。
イザークは老主治医から話を聞き出したかったが、先程の声のことも気になる。
嫌がる主治医を無理やり同行させて、扉の開いている部屋に辿り着き、驚いた。
ファビアンがいたこともそうだが、ギーが調べたところ不仲だという話だったソランジュと継母のアメリーが手を握り合っていたのた。
ドアの外で様子を見守っていた母に目で問えば、しぃ、と唇の前で指を立てられた。
(なんなんだ……母親ってのは謎の生き物なのか?)
途中から見聞きしたイザークからすればほとんど混沌とした室内状況だったが、母は何もかもお見通しのように満足げな顔をしていた。しかも引きずってきたはずの主治医は、何故かドアにしがみついてボロボロ泣いている。
「あぁ、お嬢様……っ、やっと、やっと……!」
「…………」
益々意味が分からない。
だが話がジゼルのことに及び、ついにイザークは情緒も感傷も蹴散らして家族の問題に割り込んだ。
「貴様……王女殿下につき従っていた者だな。無礼だぞ」
国王に対等に意見を言える数少ない選王家の雄が、何の肩書きもない小僧を毛虫のごとく見下す。
今までであれば、自分の立場に卑屈になって、口を利こうとも思えなかったろう。
だが今は、ジゼルの安否がかかっている。引く気は微塵もなかった。
「ルシアンを殺すようジゼルを脅したというのは本当か」
「なっ……!」
突然の糾問に、アメリーが両手で口を押える。みるみる蒼褪め、夫の胸に飛びついた。
「あなたは、何ということを……! ソランジュの娘に何故そんなことを……!」
「必要なものを必要な時に動かしたに過ぎん。お前が口を出すことではない」
全力でシャツを握り締める手はしかし、あっさりと剥がされ押しのけられる。そのよろめいた体を支えるが、アメリーは感謝する余裕もなく誰かの名を叫び散らした。
「ワトー! ワトーはどこ!? ルシアンの容態は……ッ」
「そんなことはもうどうでもいい。ジゼルをどうするつもりだ」
最悪の結末に取り乱すアメリーをドアの方に押しやって、改めてベルトランに対峙する。
身長で言えばイザークの方が高いはずなのに、何度向き合っても見下されているようにしか思えない。
気圧されてはならないと、更に問いを重ねようとした時、
「兄上。マルスランが参りました。どちらか!」
「!」
最悪の声が飛び込んできた。
「……やっと来たか」
ベルトランが、遅いと言いたげに視線を外に向ける。
イザークは、途端に硬直する体を自覚した。
(くそ……! 予測できたことだったのに)
早く思考を切り替えろと、自分を叱咤する。だがそれよりも早く、マルスランがこの部屋に辿り着いた。
「なんだこの大人数は……」
入口に集まる者たちを邪魔そうに一瞥してから、室内のベルトランを見つけ喜声を上げる。
「兄上、良い報せがある……と言おうと思ったが、さすが兄上だ」
「何のことだ」
丁度喜劇の佳境に居合わせたように苦笑するマルスランに、ベルトランが表情を変えずに問い返す。
マルスランは、分かっているだろうでも言うように、大袈裟な身振りでドアのすぐ傍に立つソランジュを指差した。
「ソランジュだ。その様子では、少しは会話も交わしたのだろう。相変わらずの厚顔無恥な不遜ぶりではなかったか?」
「あぁ。二十年も経ったというのに、何一つ変わっていない」
「そうだろうとも。私も先程出くわしたのだ。我が家で大切に預かっている女を無理やり連れ出し、我が家に泥を塗ってくれた」
そう吐き捨てながら、マルスランが壁際にいるシャーリーを忌々しく睨みつける。そのあまりに恥知らずな言動に、イザークは強張っていた体をおして口を挟んでいた。
「何が大切だ! 離れに閉じ込めて、捕まえてきた王弟の餌にするために飼い殺しにしているだけのくせに!」
母がソランジュと一緒にいる理由は、やはり分からない。だがあんなにもあけすけに笑った母の顔を、イザークは初めて見た。ソランジュが無理やり連れてきたのでないことだけは明白だった。
だが。
「何故お前がここにいる」
ひたと睨まれ、再び体が強張った。毎日殺される寸前まで扱かれていた記憶が、こんな時にまで蘇ってイザークの行動を制限する。
「お前はここにいていい身分ではない。即刻出ていけ」
「……ッ」
「シャーリーも、とっとと戻ってこい」
固まったイザークなど最早視界にも入れず、マルスランが母に手を伸ばす。
「……っ、母上!」
止めなければと、必死で床を蹴る。だがイザークの手が届く前に、
「その汚い手を、わたくしのお姉様に近付けないでいただけるかしら」
ソランジュが、当たり前のように母を背に庇って立ちふさがった。
「……またお前か」
マルスランが、皺の浮かび始めた細面を醜く歪める。かと思ったら、予告もなくその青白い頬を平手打ちした。
「っ」
「ソランジュ様!」
「母さまっ!」
パァンと、鋭い音が広い室内に響く。ソランジュがふらりとよろめき、母が慌てて抱き留める。
マルスランはそれを見もせずベルトランを振り返ると、ダリヴェ家では見せたこともない笑みを浮かべて言った。
「兄上。この通りなんだ。おりよくここにいることだし、これを機に重い処罰を与えてくれないか」
「……ふむ。処罰とは、何に対してだ?」
「無数にある!」
重々しく頷くベルトランに、マルスランが快哉を叫んだ。
「兄上に閉じ込めておくように言われたシャーリーを勝手に連れ出したことや、ダリヴェ家に恥をかかせたこともそうだ。断りもなく首都に戻ってきてその汚名を市井に広めたこともフェヨール家の名を貶めているし、何より二十年前のことだ。追い出しただけではまるで足らん」
イザークの前では決して見せない饒舌で、ぺらぺらと罪を列挙する。だが最後の一つは、ベルトランの
「……儂の裁断に異議があるのか」
「そうではないが、ちょうどそこでソランジュの罪を語るに最も適任な者に会ってな」
言いながら、ドアに視線を流す。その言葉を待っていたように、新たな人物がおずおずと現れた。
「アレット・バイエ……!」
アレットの登場に、イザークはそう言えばと記憶を掘り起こす。
確か、リュカに伝言に走った時、この人物も兵舎にいたような気がする。すっかり失念していた。
だがその驚きは、背後でゆらりと立ちのぼった殺気に簡単に塗り潰された。
「……バイエ家の、卑しい
それまで僅かにも感情を見せなかったベルトランが、仇敵でも見るようにアレットを睨みつける。
実に三十年以上も国王や他の選王家と渡り合ってきたベルトランの放つ凄味に、アレットはたちまち悲鳴を上げてマルスランの腕に縋りついた。
「は、話が違います、侯爵さま! 私は、ただ王女殿下にお会いしたいと……」
「そんなことはどうでもいい。早く兄上に、ソランジュから受けた悪行の数々を言上しろ」
その居丈高な物言いに、室内にいた全員の視線がアレットに集まる。当のアレットはというと、みるみる血の気が引き、その顔は土気色だった。
ベルトランから逃げるように皆の顔色を窺い、答えを求めるように最後にソランジュを――その腫れた頬を見る。その瞬間、迷いが消えた。
「……では、僭越ながら申し上げます」
意を決して、口を開く。
そこに、高らかな足音が重なった。
「その前に、私の用事を差し挟ませてもらっても良いだろうか」
そう威風堂々と割り込んできたのは、生死の境をさ迷っているルシアンの元にいるはずのリュカ――ヴィオレーヌ第一王女殿下だった。
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