第33話 幼い甘えと拙い逃げ

「事情を確認して、すぐ戻ってきます。心配ありませんから」


 配慮の足りない(或いは最初からする気のない)使者のせいで話の内容が聞こえてしまった母に一言そう言い置いて、ファビアンは家の前に横付けされていた、公爵家の紋章がわざとらしく刻まれた馬車に乗り込んだ。

 その道中で受けた説明は、手短すぎて到底理解できるものできなかった。

 曰く、ジゼルが昨夜の内に公爵邸に侵入、ルシアンを刺殺しようとしたが、完全に息の根を止める前に気付かれ逃走。動機は不明。現在公爵邸の私兵を動員して捜索中。

 この内容に、ファビアンはオーリオル公爵邸に到着した途端、応接室で待っていたベルトランに掴みかかった。


「姉さまに何をした!?」


 だがその幼い手は、届く前に傍らに立つ従者に呆気なく押さえ込まれた。


「儂は何もしておらん」


 床で足掻く孫を冷然と見下して、ベルトランは立ち上がりもせず言った。その冷静沈着なさまに、ファビアンの中の疑念は確信に変わった。

 その皺深い細面に疲れは見えても動揺はなく、白髪交じりの栗色の髪は一糸の乱れもなく撫でつけられている。とても、唯一の嫡男を殺されそうになった父親の様子ではない。


「よくも、のうのうと……!」

「そもそも」


 と、ベルトランが嫌味たらしく口を挟む。


「彼女に何かをしたというのであれば、今まで共に暮らしていたお前たちではないのか?」

「なっ!?」

「毎日召使いのように家事を押し付け、父親の代わりに働かせ、何もしない母親の世話をさせていたのは誰だ? 幼い時分から父母の至らなさの尻拭いをさせ、家の全ての苦労を一人に背負わせておいて……万策尽きた者の取る行動などそう多くはないと、容易に想像できる」

「…………!」


 その言い方は、悪意と侮蔑が多分に含まれていたが、事実と乖離しているとは、とてもではないが言えなかった。

 姉が悩んでいたことは知ってる。いつも金策のことで頭を悩ませ、朝から晩まで走り回っては一人苦しんでいた。

 ファビアンは、それを知りながら今まで深く追及しなかった。


(……甘えて、いたんだ)


 自分の元に現れた公爵の使者。一度断って、それ以来何もなかったから、諦めたのだろうとすぐに忘れてしまった。だがその程度で諦めるなら、初めから接触するはずがなかったのだ。

 ファビアンが断ったのなら、次はどこに行くのか。少し考えれば、分かることだったのに。

 それは、自立心が育ち始めた十二歳の少年には、あまりに酷な現実だった。

 自分の愚かさと、それ以上に、眼前の老人の狡猾なやり口に腹が立つ。


「姉さんに何を吹き込んだ……!?」

「自分のことは棚に上げて、随分身勝手な言い分だな」


 ファビアンの糾弾に、しかしベルトランは多分の呆れを滲ませて続けた。


「ソランジュはこんなことも教えていないのか」

「な、何を……」

「多少危険ながら建設的な助力を申し出ることと、何の手立てもなく『ごめん』といじらしく謝るだけのことと、何が違うというのだ?」

「っ」


 ファビアンは、何一つ反論できなかった。

 姉を心理的に追い詰め、平気なふりをさせて金策に走らせたという結果だけ見れば、確かに何も変わらない。自発的か脅迫かなど、些事なのだ。


「よく考えよ。ここが分水嶺だ」


 まるで出来の悪い生徒を諭すように、ベルトランは言う。


「今お前がこの家に養子に入れば、姉を全ての苦労から解放できる。家族のために体を壊すほどに働く必要はなくなる。そうなれば、やっと自分のしたいことができるだろう。それこそが、今まで姉にかけてきた苦労の恩返しと言えるのではないか?」


 寡黙なベルトランに似つかわしくない長舌は、額面通りに受け取ればファビアンたち家族を心配しているように聞こえる。

 だがファビアンを見下す母と同じ淡褐色ヘーゼルの瞳は、まるで無自覚な罪人を詰るごとく、敵意すら滲むようで。


「お前が養子に入るのならば、ルシアンのことをこれ以上騒ぎ立てる必要もなくなる。犯人の追跡はある程度のところで切り上げてもいい」


 自分の息子の生死がかかっているというのに、ベルトランの言いようはどこまでも家の損得しか見えないかのようだった。


(そうやって、母さまの時も、切り捨てたのか)


 言いたい言葉が次から次へと溢れて、はらわたが煮えくり返る。

 けれどどんなに睨み付けても、歯を食いしばっても、意味はなかった。

 貴族とはそういうものだと、頭では分かっていたのだ。その理屈と駆け引きに負けた方が、絡め取られる。


「お前の決断が、姉を救うのだ」


 その言葉に抗う術を、ファビアンは何一つ持ち合わせてはいなかった。




       ◆




 一刻も早くジゼルからもう一度事情を確認しようと考えていたイザークは、空振りに終わったあともジゼルのいそうな場所に手当たり次第寄っては確認していた。

 だが結局侯爵邸に戻るまでにその足取りを確認することはできなかった。少なくとも、ジゼルに泊まりの仕事を頼んだ者は見つけられなかった。


(どういうことだ? 新しい仕事で、いきなり泊りがけの仕事などあるか?)


 どうにも腑に落ちない。

 だがこうなると、夜にジゼルが来てくれるのを待つしかない。


(だが、来るか……?)


 あんなにも酷い態度で詰め寄った挙げ句、大事な腕輪を取り上げたのだ。二度と来ない可能性の方が高い。

 ここでイザークが躊躇えば、二度と会えないかもしれない。そう思うと怖くて、腕輪を弟に預けることが出来なかった。


(オーブリーにも頼むか)


 調査や荒事はギーが得意なのだが、ずっと王弟を探しているマルスランの私兵に張り付くように言ってあった。この前は経過報告に戻ってきただけで、すぐにまたミュルミュール森林に向かったはずだ。

 思い立ったが吉日と、執事室に足を向ける。

 侍女のニネットが飛び込んできたのは、その矢先だった。


「イザーク様、先程本館にて聞いた話なのですが……」




       ◆




「今日は、きっと王女殿下にお会いできるはずだから、ちゃんとお願いしてみるわ。だからもう少し、いい子で待っていてちょうだい?」


 今朝、そう言って出かけて行った母の後ろ姿を思い出すたびに、罪悪感が募る。

 母は、いつも子供たちの望みをできるだけ叶えようと、努力してくれる人だった。

 長姉はおっとりしながら自分中心に生きる人で、次姉は自由闊達を絵に描いたようなトラブルメーカーだったが、それでもジュストほど母を苦しめてはいなかっただろう。

 ジュストは生まれてから七歳になる今まで、ずっと一つの願いを抱えていた。それは物心つく前からのことだったが、母は子供たちに昔語りをした自分のせいだと思い詰めていた。

 いつも、母に全てを話してしまおうかと葛藤した。だが本当のことを話せば、母は益々責任を感じて無謀な行動を取りかねない。

 だからこそ、ジュストは己の力だけで、この問題を解決しなければならなかった。

 今度こそ。


「……ごめんなさい、母上。行ってきます」


 届きもしない謝罪で幼い自分の心を慰めながら、ジュストはその日も、家族に内緒で屋敷を抜け出した。

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