第52話 視線の行方と暴かれる真実

「まず、俺たちがここに来る前の話からしようか」


 そう言って、テオフィルはシャーリーの腰から手を放さないまま、森での出来事を話し始めた。


「俺はここ五年ぐらいミュルミュールの森を浄化しようと活動していたのだが」

「「「五年?」」」

「「「浄化?」」」

「そこにこの娘と、魔女の婚約者が現れた」

「「「魔女?」」」

「「「婚約者?」」」

「この娘は森の外れで刺客に襲われ、一度殺されかけた」

「「「えっ!!?」」」

「それを魔女が助けて一命を取り留めた」

「あ、そうだったんだ」

「だから、その刺客の主犯もついでに連れてきた。それがこいつだ」


 あちこちで頻発している疑問も驚愕も納得も全て無視して、テオフィルはそう話を締めくくった。全員の視線を、何気にずっと足蹴にしていた男に誘導する。

 だが全員の気持ちは、それぞれの言葉に気を取られてバラバラだった。

 特にレノクール家の二人とイザークは、ジゼルの服を染める血糊に気付くと、話もそっちのけで慌ててジゼルの五体満足を確認し始めていた。


「姉さま、殺されたって何!?」

「ジゼル、服を脱ぎなさい。傷はどこ? ワトー!」

「お前、何でそんな大事なことを先に言わないんだっ」

「だ、大丈夫だよっ? 痛みとかも全然ないし」


 三人に寄ってたかられすっかり困り果てたジゼルが、慌てて首を横に振る。だが、確かにその動きに違和感はない。

 それを目の端で確認してから、ヴィオレーヌはテオフィルが踏みつけている男を検分した。

 左眉にかかる二本の古傷に、落ちくぼんだ眼窩。腰に佩いた空の鞘や装備、それに左右の指にある剣ダコから、その職業は大体推して知れる。

 それから再び全員の表情を見回し、ヴィオレーヌは結論を出した。


「さっぱり分からなかった」

「そうか」


 テオフィルが、文句を言うでもなく受け入れる。その余裕ぶりに思う所はあったが、ヴィオレーヌの次の言葉はもう決まっていた。


「なので、当事者らしきその男に一つ聞くとしよう」

「ッ」


 這いつくばる男のすぐ鼻先にダンッと靴底を押し付け、ぐっと顔を近づける。


「雇い主は誰だ?」

「…………っ」


 ヴィオレーヌの金壺眼に、男の視線が反射的にぎょろりと動いて戻る。その一瞬の動きを、ヴィオレーヌは見逃さなかった。


「相分かった」


 ゆらりと立ち上がる。

 それから、背後で固唾を飲んで待っている者たちに振り返った。


「ジゼル・レノクール」

「は、はい」

「この男が、お前にルシアンの暗殺依頼を持ちかけたので合っているか?」


 右手をイザークに、左手をソランジュに、正面をファビアンに守られながら、ジゼルはヴィオレーヌを真っ直ぐに見返した。


「はい。間違いありません」

「そしてこの男が、お前を殺そうとした」

「おっしゃる通りです。ルシアンを殺した私を魔獣に殺されたことにすれば、父も連座で殺せると言っていました。そうなれば、母と弟は公爵家に行くことを拒む理由がなくなると」

「成程。一案ではあるな」


 ジゼルの説明に、ヴィオレーヌは満足げに頷いた。テオフィルの大雑把すぎる主観だけの説明よりも、よほど聞きたいことが入っていた。


「それで」


 と、ヴィオレーヌはベルトランに視線を移しながら、続けてジゼルに問うた。


「その男は雇い主について喋ったか?」


 この問いに、室内のほとんどの視線がベルトランに向けられた。その一挙手一投足を見逃すまいと皆が息を潜める。

 ジゼルもまたベルトランの淡褐色ヘーゼルの瞳を見上げながら、慎重に口を開いた。


「いいえ」


 その答えに、あちこちから落胆の吐息が漏れる。

 だがヴィオレーヌは、その中に紛れたたった一つの安堵の吐息を聞き逃さなかった。


「そうか」


 ヴィオレーヌは、やっと得られた確信と共に破顔した。


「良かったな。どこのならず者を雇ったかと思ったが、見た目に反して随分な忠義者ではないか。――マルスラン・ヴァンデュフュル・ダリヴェよ」

「な!?」


 出し抜けに名を呼ばれ、マルスランが面白い程大袈裟に反応した。

 それはそうだろう。下手人は口を割っておらず、誰もがベルトランに疑いの眼差しを向けている。自分など眼中にないとでも思っていたのだろう。

 だが男に問いかける前に全員の立ち位置を把握していたヴィオレーヌは、男の視線が一瞬動いた先を正確に把握していた。

 そしてジゼルの答えに最も緊張し、安堵したのもまた、ベルトランではなくマルスランだった。

 勿論、相手は堅蔵などと言われるほど顔に表情を出さないベルトランだ。その読みだけでは甘いと言わざるを得ない。

 だが、ジゼルの答えに油断していたマルスランは違う。


「何故私になるんだ!? こんな小娘を殺して、私に利益など一つもないではないか!」


 見込んでいた話の流れががらりと変わり、マルスランは冷静にとぼけることも忘れて怒鳴り散らした。


「大体、この小娘がルシアンを殺した事実は変わらないだろう! 証拠もなく私を糾弾する前に、この娘を縛り上げるのが道理ではないのか!」

「一理あるな」


 忌々しげにジゼルを指差すマルスランに、ヴィオレーヌが重々しく頷く。それはどこか同情的でもあり、そして。


「それが事実であるならば、の話だがな」


 ドアの外を向いた碧眼は、奸計を成功させた悪女のような狡猾さがあった。

 マルスランが、その視線に気付いて顔を向ける。そして、驚愕に目を見開いた。


「な……!?」


 その双眼に映っていたのは、何故か右頬を赤く腫らしながらも、しっかりと自らの足で歩いた部屋に入ってきたルシアンだった。


「ルシアン……!」


 その姿に、真っ先に駆け寄ったのはアメリーだった。


「無事だったのね! あぁ、どれだけ心配したことか……!」


 息子の顔色を確かめるようにその頬を手挟み、肩や腕に触れ、しっかりと温かみがあることを確認して抱き締める。

 その様子を見ながら、イザークもまたルシアンが重傷でなかったことに安堵した。

 だがこの三人以外は、ルシアンの登場に動揺を見せなかった。

 どころか、ジゼルはその姿を見て莞爾と微笑んだ。


「無事で良かった、ジゼル」

「ルシアン叔父さんも……と思ったけど、その頬、どうしたの?」


 ジゼルの笑みに朗らかに返すルシアンに、ジゼルはちょんちょんと自分の頬をつついて尋ねる。するとルシアンは、言いにくそうに眉尻を下げた。


「これは、ちょっとね……」

「当然の報いだ」


 ルシアンが濁した言葉尻を、何故かヴィオレーヌがふんすと引き継ぐ。ジゼルは何となく察した。

 それから、ルシアンは協力してくれたワトーに目配せしてから、ついにベルトランに向き直った。


「やはり、お気付きだったのですね、父上」

「えっ」


 ジゼルを筆頭に、イザークやアメリーが驚きの声を上げる。

 驚いていないのは、ルシアンの顔と事情を知らない者たち。そして、ベルトランとソランジュだけだった。


「末期の人間の顔は、見飽きている」


 ベルトランは、やはり表情を変えないままそう応えた。

 それは部外者からは皮肉にも聞こえたろうが、前妻の最期を看取ったことを知っているルシアンには、重い一言だった。


「……申し訳ありませんでした」

「良い。お前の手腕を見るのも目的の一つだった」


 父の封じていた心の傷を抉る真似だったと謝罪すれば、ベルトランは淡々と手を振った。

 ルシアンはそれを受けながら、内心で舌を巻いた。

 一つ、ということは、ルシアンがどう動くかを注視しながら、他にも幾つかの目的を同時に果たそうとしたということだ。

 だがそれが何かと問う前に、蒼褪めたマルスランが声を震わせた。


「ど、どういうことだ、兄上……! 気付いていたとは……ルシアンが助かると知っていたのか!?」

「まだ気付かんのか。ジゼルがルシアンを実際に手にかける必要などないということに」

「は……?」

「狂言だ。黒幕おまえを陥れるための」

「そんな……!」


 開いた口が塞がらないとばかりに、マルスランがその先を詰まらせる。

 それを憐みを込めて見下しながら、ベルトランは部屋の外で蚊帳の外にされていた護衛にマルスランを拘束するよう指示を出した。他にも騒ぎを聞きつけて集まってきていた護衛たちと協力し、マルスランを別室に連れて行く。

 その背を物言いたげに見送りながら、ベルトランは改めてルシアンに向き直った。


「二人の目的は、儂の本音を知るためだったようだがな」

「そこまでご承知だったのですか」


 ルシアンは、脱帽とばかりに肩を竦めた。やはり父を出し抜くことはできなかったかと、落胆が胸に満ちる。


(結局、僕は父上の掌の上で生きるしかないのか)


 そう、子供の頃から根付いた諦念が、ルシアンの前途に影を落とした時。


「冗談じゃないわ」


 後ろにいたソランジュが、不機嫌も露わに割り込んだ。

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