第51話 三つの再会と二つの詮議
その時に起こったことを、恐らく誰一人、正確に把握することはできなかったろう。
まず、ヴィオレーヌが乱入してすぐ、その変化は起こった。
空気が揺らぐような、目に見えない何かが室内を取り巻くような、不穏な気配を幾人かが感じた次の瞬間、中空から五人もの人が降ってきた。
「!?」
「ぐえっ!?」
近くにいたベルトランとマルスランは、咄嗟に背後に跳んで難を逃れた。
だが中心地にいたイザークだけは、頭上からの出現に気付くのが一瞬遅れ、見事に押し潰された。
「え、えぇぇ!? なんなの、何が……き、気持ちわる……っ」
イザークを押し潰した張本人は、突然のことに目を白黒させながら辺りを見回したと思ったら、口を押えて「おぇ……」と何やら吐き気を呑み込んでいる。
その姿を、まず二人の人物が凝視した。
「ジゼル?」
「姉さま!」
ソランジュがぱちくりと驚き、その傍らにいたファビアンが子犬のように駆け出して飛びついた。
「え、ファビアン? と、母さま? 二人ともなんで……っていうか、ここ、どこ?」
ジゼルは、先程まで森にいたはずなのに突然二人が目の前に現れ、すっかり混乱した。
そしてそれと同様のことが、傍らでも起きていた。
「ジュスト……? あなた、どうして……今、どうやって現れたの?」
「母上? 母上こそ、どうして……」
夜色の髪に星の瞳をした女性と固く手を握り合いながら現れた息子に、アレットはすぐには現実を受け入れられなかった。
今日こそはジュストに良い返事ができるようにと、自宅で別れたのは今朝のことだ。最近は疲れて調子が悪そうだから、きちんと休んでいるように言ったばかりなのに。
だが最も驚愕に囚われていたのは、シャーリーだった。
「あなた……まさか……そんな……」
最後の一人の襟首を無造作に捕まえている男に、シャーリーは目を奪われて離せなかった。
草臥れて裾が擦り切れている外套や、使い込まれて古びた皮のブーツ、黒ずんだ無骨な長剣は、どれも根無し草の傭兵や冒険者のよう。伸びるに任せた長い金髪や無精髭には面影がある気もするけれど、年齢が違いすぎる。
だから違うはずだ。
けれどこの群衆の中、一瞬で自分を見つけ、ひたと向けられたその碧眼には、その全ての否定を打ち捨てて余りある確信があった。
「テオ……!」
「やはりシャーリーか!」
感極まって名を呼べば、テオフィルも捕まえていた男を無造作に放り捨て、シャーリーに全力で抱き着いた。
「どうしてここにいるんだ? まさか俺の愛が強すぎて、術を邪魔してしまったか? それにしても、お前は一段と美しくなったな」
「あなたこそ、どうして公爵邸に……それに美しいのはあなたの方よ。まるで年を取っていないみたい」
「俺の愛する女は相変わらず口が達者だな。……息災だったか?」
「……えぇ、もちろん」
涙ぐみながら、二人が互いの温もりを確かめるようにその腕に力を込める。
その二人の姿に、唖然と口を開ける者がまた一人。
「テオ……? まさか王弟テオフィルなのか!?」
わなわなと震えながらそう叫んだのは、長年テオフィルを探していたマルスランだった。
「な、何故突然現れた!? 森にいるはずではなかったのか!?」
「おぉ。これはエスピヴァン侯爵閣下。森ではどうも」
顔を蒼褪めさせて指差してくるマルスランに、テオフィルはここ一か月程の感謝を込めて顎を反らした。それで返り討ちにした刺客のことは十分伝わったらしく、マルスランは益々血の気を無くして目を泳がせた。
「な、なんのことだ……」
だがこの中で、最も深刻な事態にいたのは。
「……それで、俺を踏みつけたまま話を進めているのはどこのどいつなんだろうな?」
突如現れた者に踏みつけにされたまま、背中の上で感動の再会を聞かされる羽目になったイザークだった。
その言葉をお尻の下で聞いたジゼルは、どうにか収まった吐き気を飲み下して立ち上がった。
「え? あっ、ごめんなさい! 私かも……って、イザーク!?」
そこで初めて、自分がイザークの上に着地したことを理解した。
「は? ジゼル?」
イザークもまた、不意打ちで現れたジゼルに激しく動揺した。
ルシアンの件を片付けたら、真っ先に会いに行って腕輪を返して、謝ろうと思っていたのに。
「何でこんな所に寝てたのっ?」
「お前が俺の上に降ってきたんだろうが!」
躊躇も情緒もない理不尽な問いに、イザークはつい罪悪感を脇に避けてくわりと返してしまった。
そしてそのやり取りを恬然と眺めていたエルネスティーヌが、全てを理解したように頷いた。
「久しぶりすぎて、地点修正をするのを忘れていたようね」
「彼を転移先にしたの?」
「彼というか、彼が持っている腕輪ね」
ジュストの問いに、エルネスティーヌがイザークの懐を指差す。それで、ジュストは合点した。
「ジゼルお姉さんが持っていた指輪、彼が持っていたんだね」
うんうんと頷き合う年の差の熟練夫婦みたいな二人に、しかしジゼルはまだまだ理解が追い付いていなかった。
深い眠りから目が覚めたと思ったら、森で見かけた男がいて、とにかく転移するから息を止めておけと言われ、でも間に合わなくて、馬車に揺られた後のような吐き気が来て。
目を開けたら侯爵家の別館よりも綺麗な部屋に景色が変わっていて、そこには十人もの人が集まっていて。
そこに更にエルネスティーヌの魔法で一気に五人も転移してきたものだから、今や室内は総勢十五人という大所帯になっていた。
何から手を付けて良いのかさっぱり分からない。
その気持ちを、入り口で腕を組んで仁王立ちした女性が的確に代弁した。
「それで、この状況を説明できる者はいないのか?」
騒ぎが一段落するのを待って、ヴィオレーヌは室内の面々を順に一瞥した。
突然の転移魔法には全員驚いているが、それでも動揺の程度には違いがある。
案の定、これに反応したのは、娘の登場に僅かに驚いただけのソランジュだった。
「ではまずわたくしソランジュ・レノクールから、分かる限りのことをご説明申し上げますわ」
王族の前に進み出て作法通りに一度膝をついてから、ソランジュはすらすらとそれまでの経緯を簡潔に説明した。
娘であるジゼルが、ルシアンの暗殺未遂の容疑者と疑われたこと。
その交渉材料として弟のファビアンが連れ去られたこと。
公爵邸に向かう途中、シャーリーの協力を得たこと。
それをマルスランが邪魔しようとしたこと。
アレットを引きずり出して、ソランジュを改めて断罪しようとしたこと。
「ふぅむ。随分盛沢山だな」
ヴィオレーヌは困ったなと言いながら、ずっと沈黙を守っているベルトランに視線をくれた。
「オーリオル公爵閣下。異論は?」
「ございません」
ベルトランは一切の言い訳を挟まず低頭した。
「そうか。では聞こう。なぜソランジュの娘が容疑者なのだ?」
「ある筋の情報から、彼女がルシアン暗殺依頼を受けたという話を得ております」
「成程。現場を押さえたわけではないのだな?」
「御意に」
ベルトランの簡潔な肯定に、ジゼルは少しの違和感を覚えた。
そもそもヴィオレーヌのことを知らないジゼルではあるが、金髪碧眼の容姿は魔力と並んで王統の血を示す特長の一つだ。加えて選王家の面々が居並ぶこの場で誰にも遜らないその態度と性別から、ある程度の推測は立つ。
それに、ルシアンからも少しだけ聞いていた。強く気高く、型からはみ出すことを恐れない美しい第一王女のことを。
ルシアンと第一王女が懇意であること(但し、恋仲ではないこと)は、知る者は知っている。ベルトランの立場であれば、この場で第一王女に訴えて容疑を確定させた方が、手っ取り早いはずだ。
だがベルトランは、強引にどころか、そんな素振りすら見せなかった。
だが、何故という疑問が声になることはなかった。
「殿下! ジゼルがそんなことをするはずがない!」
イザークが、まるでジゼルを背に庇うようにして、ヴィオレーヌの前に進み出た。ヴィオレーヌのジゼルよりも濃い碧眼が、すぅっとジゼルを見据える。
「……っ」
ぞくりと、知らず鳥肌が立った。
「根拠を聞こうか」
「脅されたんだ。家族の命を盾に」
「誰に?」
「……オーリオル公爵に」
イザークの言葉と視線が、ベルトランに向かう。
「どうなんだ?」
「全く心覚えのないことにございます」
「そうか」
ヴィオレーヌの瞳に睨まれても、ベルトランの声に揺らぎが現れることはなかった。
そのいけしゃあしゃあと言い放った態度に、イザークが我慢ならないとベルトランに向かう。
「よくもぬけぬけと……!」
その足を、脇にいたマルスランが鮮やかに引っかけて転ばせた。
「ッ!?」
「選王家に罪を着せようなど、これは侮辱罪だぞ」
「イザーク!」
イザークの背に足を乗せたマルスランに、ジゼルは考えるよりも先に飛びついていた。
「なんてことするの!? 家族でしょうっ」
「下賤の女子供が私に近付くな!」
「きゃっ」
「ジゼル!」
足を退かそうとするジゼルを、マルスランが容赦なく蹴り飛ばす。その隙をついて、イザークがジゼルを助け起こす。
だがそんなことでめげるジゼルではなかった。
守ろうとするイザークを押しのけて、マルスランを睨み上げる。
「イザークの言ったことは事実よ。侮辱なんかじゃないわ!」
「何が事実だ。脅されたというのも作り話で、本当はただの嫉妬ではないのか。弟だけが地位を手にすることを妬んでの、な」
「なっ……!」
蔑んだ目が、ジゼルを見下す。そのあまりの貶めに、ジゼルは咄嗟に言葉が出なかった。その猶予も待たず、マルスランが今度はヴィオレーヌに向き直る。
「丁度いい。殿下、今すぐこの娘の捕縛を命じてください。容疑の確定など、時間の問題ですよ」
まるで既に詮議は終わったとでも言わんばかりの態度に、ヴィオレーヌは一拍の間を空けて顎を引いた。
「……そうだな。証拠があれば、否やはないが」
そう、珍しく濁された語尾を。
「ならば次は俺が話そう」
テオフィルが、シャーリーを抱き寄せた手は離さぬまま、引き取った。
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