第13話 朗報と悲報

 少しくらいなら協力してもいいかもしれないなどと、仏心を出したのが間違いだった。


(これが終わったら二度と来ない!)


 心の中でどんなに地団駄を踏んでも、現実には豪華な天蓋付きベッドが眼前に鎮座ましましているまま。二人がベッドに踏み入るのを、今か今かと待っている。

 否、正確には。


「……まだか?」

「うっ……」


 苛立ちと緊張で全身が硬直しているジゼルを、既にベッドに横たわって準備万端のイザークが。


(覚悟はしてたけど……絵面がえぐい……!)


 薄暗い間接照明や眠りを誘う香りなど、睡眠に全力を出した室内空間の中、薄いリネンのシャツを無駄にはだけさせながら、ベッドに横たわる美青年。その伸ばされた左腕は、明らかに誰かを招き入れるために空間が開けられている。

 それを直視していると、じわじわと首筋が熱くなってきて、どうしてもそこに向かうのに抵抗を感じてしまう。


(何もしないけど。しないけど!)


 何度も自分に言い聞かせる。

 これは仕事であって人助けであって閨事ではない。絶対に違うのだ。

 だが何度言い聞かせても、夜は更けるばかりで足はまるで進まない。

 すると、ふぅ、とこれ見よがしの溜息がした。


「分かった」


 そう言って、イザークがベッドから降りた。


「え」


 まさか諦めてくれたのかと、にやつく頬で近寄るイザークを見上げる。のも束の間。


「は?」


 横抱きに抱え上げられた。ぎゃっと瞬間的に顔が赤くなる。


「なっ、何すんのよ!?」

「埒が明かない。生娘に手を出す趣味はないから、さっさとしてくれ」

「だっ、誰が生娘よ!」


 小馬鹿にした皮肉に、ジゼルは腕の中というのも忘れて真っ赤になって反論した。

 途端、イザークが真顔で問い返す。


「……違うのか?」

「……教えるわけないでしょっ」


 一瞬真剣に答えようとして、ジゼルははたと我に返ってそう叫んだ。そのままイザークの厚い胸板を押し返して腕から逃れる。

 それから、床に着地すると精神力を総動員して冷静を装った。


「いいから、早くやるわよ」


 言いながら、とっととベッドに入る。勢いがなければ、こんなこと、出来そうにない。


(そうよ、寝ちゃえばいいのよっ。あいつが入ってくる前にとっとと寝ちゃえば一緒とか全然分かんないんだからっ。一人で寝ても三大銀貨よ!)


 最早やけくそだった。

 板に毛布を敷いただけの我が家の寝床とは比べ物にならないくらい、ふわふわで柔らかくて良い匂いのする布団に頭まで潜る。

 それでもまだ心臓はばくばく言っていたし、視界がない分耳が小さな衣擦れの音まで拾ってしまっていたが、ぎしっ、ぎしっとベッドが何度か軋んだあとは何の音もしなくなった。

 代わりに、猫のように丸まった背中側がほんのり温かい、ような気がする。


(はやく、早く寝るのよ私っ)


 そうでなければ、自分の心臓の音がイザークにまで聞こえてしまう。という心配はけれど、数分も持ちはしなかった。

 昨夜の訪問者と徹夜のせいで睡眠不足は続いていたし、久しぶりの力仕事で体もすっかり疲れていたのだ。


「やっと寝たか……」


 薄れゆく意識の中、イザークの呆れたような、どこか安堵が混じるような声が聞こえた気がする。

 だがそれに言い返す余力のあるはずもなく、ジゼルは健やかな寝息を立て始めた。

 久しぶりに、眠りが深い気がする。


(暖かい……)


 夜はまだ肌寒いから、自分以外の体温は久しぶりで酷く心地よい。とろりとろりと、夢に落ちる。


(そういえば……)


 子供の頃、ジゼルもよく悪夢にうなされて眠れない時期があった。どんな夢だったかは覚えていないが、酷く辛くて苦しくて、泣きたくなるような悪夢だった。


(……声が、する)


 何を言っているかは分からない。けれどとても遠くで、誰かがすすり泣いているのは分かる。悲しくて、寂しくて、でもどこか怒っているような。


(独りにしちゃ、いけない、ような……)


 けれど、夢の中だからか、真っ暗な闇の中では走っても走ってもどこにも辿り着けなかった。ずっと、呼ばれている気がするのに――。





 チュン、チュンチュン……。

 早起きな小鳥が、窓の向こうで早速鳴き交わしている声が聞こえる。カーテンの隙間から、顔を出したばかりの朝日が柔らかな日差しを注ぐ。

 朝が、いつの間にか訪れていた。


(…………。やってしまった……)


 ベッドに入った後の記憶が一つもない。体が健やかに軽い。

 そして、衣服の乱れは、ない。


(大丈夫……大丈夫なんだよねっ?)


 何をどう確認していいか分からないまま、ジゼルは自分の体をまさぐった。だがそれでも確信が持てず、ちらりと隣を盗み見て。


「…………。眠れた……!」


 確信した。

 イザークが、歓喜に打ち震えていた。


「やはりそうだったんだ……! 理由は分からないが、これで俺は……!」

「…………」


 少し薄くなった隈を歓喜で朱色に染めながら、ずっと独り言をぶつぶつ呟くイザークを尻目に、ジゼルはそっと気配を消した。

 本当に一緒に寝るだけで眠れたのなら、イザークには朗報でもジゼルには悲報としか言いようがない。


(寝れなかったらこれで終わりだったのに)


 こうなれば、気付かれる前に姿を消すのが最善だ。といっても、自宅を押さえられているのだから、逃げ場はやはりないままなのだが。

 とにかく今は、音を立てないようにベッドから滑り降り、カーテンを揺らさないようにドアを目指す。


「どこへ行く」

「っ」


 ぎくり、と足を止める。ドアまでは、全然遠かった。


「報酬は要らないのか?」

「……要るわよ。当然でしょ」


 ジゼルは、諦めて開き直った。

 イザークが、ジゼルからドアへと視線をずらす。


「オーブリー」

「失礼いたします」

「んなっ」


 イザークの呼びかけに、老執事が突然ドアを開けて現れた。いつからドアの向こうに待機していたのか、ちょっと考えたくない。

 だがその手に大銀貨三枚を載せた銀の盆が恭しく捧げられていることに気付いて、ジゼルは考えを改めた。にこにこと手を伸ばす。


「毎度あり……って、え?」


 受け取ろうとした銀の盆が、目の前でひょいっと逃げた。何故と目で追うと、一連のことを見ていたイザークと目が合った。


「それは今日の分だが、呪いが解ければ望む分の成功報酬を出す」

「……解ければ、でしょ」


 改めて言われ、ジゼルは警戒しながら注釈を付け加えた。これ以上、甘い言葉に騙されるわけにはいかない。

 だが、イザークはしつこく続けた。


「解けなくとも、一晩眠れる度に、報酬は出す」

「……でも、いつまでか分からないんでしょ」

「あぁ。だからこそ、一刻も早く解決したい」

「……まぁ、そうね?」


 話の流れが読めない、と警戒を続けながらも、ジゼルは頷く。

 それがまずかった。


「そのためにも、お前のことをもう少し調べさせてもらうぞ。そこから、呪いのことも何か分かるかもしれない」

「!」


 それが目的かと、ジゼルは自分の迂闊さを呪った。


「私以外の……家族のことを調べたら、ただじゃおかないわよ」


 歯ぎしりしながら、同意を返す。それを確認してから、老執事が再びジゼルの前に銀の盆を差し出す。それを乱暴に受け取ると、ジゼルは足音も乱暴に別館を飛び出した。

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