第42話 告白と告別

 ジゼルとジュストは、改めて森の奥へと進みながら、時折小さな声で言葉を交わした。


「彼女のこと、聞いてもいいかしら?」

「……信じて、もらえないかもしれないですけど」

「信じる信じないっていうなら、まずあなたのその大人びた態度や王様みたいな威厳の方が不思議でならないんだけど?」


 くすくすと、ジゼルはからかうようにジュストの柔らかな頬をつついてみせた。バツが悪そうに眉尻を下げる顔は、やはり子供らしくてよい。

 だが言い出しにくそうに言葉を選ぶ横顔は、やはりそれだけではないことをよく物語っていて。


「……夢を、見るんです」

「もしかして、悪夢?」


 思わぬ符合に、ジゼルは間を置かずそう返す。だがジュストはふるふると首を横に振った。


「夢というより、正確には……記憶、でしょうか」

「記憶? 昔の?」

「ええ。とても昔……ぼくが、まだぼくではない、別の僕だった頃の記憶です」


 それは丁寧な言い方のはずだが、ジゼルの頭には疑問符が点々と浮かぶばかりだ。

 それに苦笑しながら、ジュストはこう続けた。


「ぼくには、今の家に生まれる前の――前世の記憶があるんです」

「え?」


 それは、予想もしなかった返事だったが、聞いたことはあるとも思った。

 過去に一度生きて死んだ者の記憶を持ったまま、新しく生まれる者がいると。その者たちは、誰もが思いつかないことをやってのけたり、未来を予知したように危険を回避したり、埋もれた歴史や技術を蘇らせたりしたという。

 彼らは時代により、様々な尊称で呼ばれたと歴史書にはある。勇者然り、賢者然り、聖女然り。

 だからジゼルが驚いたのは、信じられないというよりも、そんな人物が目の前にいるということの方だった。


「それって、どんな人だったの?」

「え?」


 ジゼルは、ちょっとうきうきしながら聞いた。これに、今度はジュストが驚く番だった。

 微かに表れていた不安がふっと消え、代わりに少し頬を赤らめながら、先を続ける。


「今を遡ること第四代国王ヴァランタン陛下の御代、ぼくは、ジュールという名の末の王子でした」


 そうして始まった昔語は、どこかお伽噺のようだった。

 大陸の西の端からやってきた魔女は、薬と医学に長け、行く土地土地で、人々を癒していた。ある日、セニェ王国にやってきた魔女は、その力を乞われ、城に招かれた。城では、王妃――ジュールの母が不治の病で苦しんでいたのだ。

 優しい魔女は、城に留まり、王妃を治すため、様々なことを試した。だが、王妃が良くなると困る者が『魔女は治すふりをして呪いをかけている』と騒ぎだした。

 魔女は何度も説明たが、誰も信じようとはしなかった。ジュールでさえ、最初は疑ってかかり、母を守るために近付いたくらいだ。

 魔女が真心から治療していると理解したジュールは、父王を何度も説得した。だがジュールと魔女が仲良くするのをよく思わなかった舅――時のリュイヌ公爵は、ジュールが反乱を企てていると王に偽りを進言した。

 味方のいなくなった二人は、城から逃げ出すことを決意した。


「証拠を集めたり、仲間を探したりとか、しなかったの?」

「魔女はその頃にも既に数を減らしていましたし、何より、恐れられていた時代の名残が色濃く残っていましたから。それに……」


 と、ジュストは一度言葉を切ってから、口端を歪ませた。


「ぼくは……ジュールは、魔女を愛してしまったんです。既に、バイエ家の娘と結婚していたにも関わらず」


 そう呟くジュストの瞳は、海の泡のように儚いのに、川底に潜む炎のように仄暗くて。


(愛って、どんな感じなんだろう……)


 恋を捨てれば、反乱などという話にはされなかっただろう。だがジュールは、妻ではなく魔女をとった。魔女を守るため、家を飛び出した。

 バイエ家が怒り狂って討伐隊を差し向けるのは、当然のことだった。


「二人で郊外のこの森まで逃げたのですが、追手に追いつかれ、魔女が殺されそうになった……それをジュールが庇って、瀕死の重傷を負ったのです。それを見て、彼女は魔力を抑えきれなくなった」


 まるで目の前に苦しんでいる魔女が見えるかのように、ジュストが眉根を寄せる。

 とても、伝承とは違うとは言えなかった。


(魔女は捕まる最後の抵抗に、王国を怨みながら呪いの言葉を吐いて封印されたっていう話だったのに)


 本当は、愛する人を失う恐怖の悲鳴だった。


「彼女は一斉攻撃を受け、死ぬほどの傷を与えられた挙げ句、王城まで連れ戻して見せしめに処刑するまでと言われたのです」

「酷い……」

「だから、彼女は願った。ここで死にたいと。それを、僕が無理やり引き留めたんです。『ここで眠るといい。必ず迎えに来るから』と、そう、言って」

「じゃあ、魔女の封印っていうのは……」

「僕と彼女の二人の魔力で、作り上げたんです。誰にも、彼女を、傷つけられないように」


 一言、一言を絞り出すようなその声には、深い悔悟が滲んでいた。

 きっと、ジュールは問題を片付けたらすぐにでも迎えに行くつもりだったのだろう。けれど出来なかった。

 いつまで経っても果たされない約束のために、魔女は今も深い眠りについている。

 見捨てられたと、恨みを抱きながら。


(呪いって、そういうことだったのね)


 信じていたからこそ、裏切られた時の絶望は深い。

 期待しなければ、未来を望まなければ、独りでいることは難しいことではなかったのに。


(あぁ、また……)


 つきり、と胸が痛む。

 その痛みから目を逸らすように、ジゼルは俯いてしまったジュストの横顔を覗き込んだ。


「だから、ジュストは行かなくちゃいけないんだね」


 言いながら、ジゼルの胸に言いようのない寂しさが疼く。

 七歳の子供なら、自分の感情に真っ直ぐに突き進んだって少しも構わないのに。


「……本当は、分からないんです。これが本当に、ぼくの感情なのか」


 ジュストは笑う。今にも泣きそうに、大人びた苦さを浮かべながら。


「でも、目を背け続けていたら、囚われ続けるから……。だから、はっきりさせたかった」


 その目に映るのは、希望か、絶望か。


「……そう」


 ジゼルには、そう口にするのが精一杯だった。

 だが、物思いに沈む時間は長くはなかった。


「……なんか、おかしくないですか?」


 ジュストが、不意に異変に気付いた。顔を上げ、木々の間を見渡す。

 ジゼルもそれを目で追って、気付いた。


「そんな……なんで?」


 前方が、明るい。枝葉の間から、陽光が降り注いでいるのだ。

 そこでやっと、ジュストが気付いた異変の理由を察した。

 魔獣の気配がないのだ。蝶や毛虫の声もしない。

 二人はいつの間にか『奥』から戻ってきていた。


「まっすぐ歩いてきたはずなのに」


 男と別れたあと、倒木や越えられない草むら、魔獣の気配などには迂回したが、方向は変えなかったはずだ。

 森の『奥』の端をかすめただけで反対側に出たというのも、この短時間では考えにくい。


「不覚を取った……」


 ジュストが、隣で小さく歯噛みした。


「恐らく、ぼくたちの前に立ち塞がった時には既に仕組まれていたのだと思います。徐々に立ち位置を変え、先に立ち去ることで、無意識にぼくたちがその方向を忌避するように仕向けた」

「そんなことできるの?」

「森を知り尽くしているのならば、不可能ではないでしょう。呪われた森と言っても、地形はあり、魔獣たちが生息し、縄張りがある。ぼくが知る森は、ここまで広くも深くもなかったから……」


 言いながら肩を落とすジュストに、ジゼルは何と声をかければいいか分からなかった。

 今回は諦めて戻ろうと言っても、あの思い詰めた様子では一人で魔法を使って向かいかねない。

 だが、だからと言ってジゼルは何度も奥に行きたいわけではない。奥に関する記憶は、どうしたったって色褪せることはない。

 そうしてジゼルがまごついている間に、ジュストが表情を切り替えて続けてしまった。


「でも、丁度よかった。これで、お姉さんはもう戻れますね?」


 手を振って早々に踵を返すジュストに、しまったと後悔しても遅い。元々、危険を理由に共にいたのだ。


「ちょっ……待って!」


 慌てて引き留める。その背に、声がした。


「おい、いたぞ」

「!?」


 それは、知らない男の声だった。もしや害獣討伐隊ハンターかと振り返る。

 だが、明らかに様子が違った。

 森の中に入ってきたのは三人の大柄な男たちだが、装備は腰の長剣だけで、皮甲や盾、弓などといったものも見当たらない。魔獣を狩るには軽装備すぎる。

 その理由は、続く会話ですぐに察せられた。


「まさか本当にこんな所にいるとはな」

「言ったろう。こいつはあの『悪役令嬢』の娘だ。自宅以外じゃ行く所も、頼る所もないんだよ」


 何より、そう言いながら笑った男の声には、聞き覚えがあった。

 暗い夜の中に突然現れ、ジゼルたち家族の命を虎視眈々と狙っている、顔の見せない使者。ナイフのような冷たい声で、不健康そうな長身痩躯の男は言った。


「さぁ、最後の仕事にとりかかろうか」

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