第6話 暗殺と親孝行
「決断はできたか」
薄雲に月明かりも翳る深夜。
全身をすっぽりと覆う外套に身を包んだ長身痩躯の男が、挨拶もなく答えを迫ってきた。
(相変わらずの身勝手さね)
ジゼルは今宵も内心で嘆息した。
この男が来るのは、もう何度目になるだろうか。
半年ほど前に突然現れた時も、フードで顔も隠し、名乗りもせず、ただ用件だけを簡潔に伝えてきた。即答はできないと言うと、それからこんな風に度々答えを迫られるようになった。
だが、何度来られても頷くことはできなかった。
「やっぱり、私にはできません」
「金が要るのではないか? 報酬は弾むぞ」
「お金は……欲しいですけど、それでも、殺すなんて……」
最初に提示されたのは、引き受けたらファビアンの進学費用を、成功したら卒業までの学費を保証するというものだった。
全学校は聖拝堂が管理していることもあり、学費は月十大銀貨程度だ。それも、教師や聖拝堂の手伝いをすることで、ある程度免除してもらっていた。ひとえに、ファビアンの努力のたまものだ。
だが専学校や神学校では専門性が上がり、学費も倍以上に跳ね上がる。奨学金は、まだ確実に得られるかどうか分からない。推薦と奨学金の両方を得られるかは、教師の資質や相性もある。
それに奨学金で入学すれば入寮は必須だし、下手な服を着ていくことも出来ない。学位を取得するにはある程度の賄賂もいると聞く。
入学はできそうだからと安心はできない。入学してすぐ退学などとならないように、せめて半年分の学費だけでも確保しておきたかった。
そのためなら、少しくらい危ない橋を渡るのもやぶさかではない。だがこの男の要求は、ジゼルの倫理観に触れるものだった。
だから断った。
だが男は、ジゼルを見込んでとか、親切で声をかけてきたわけではなかった。
「どうやら、弟の将来も母親の命も惜しくないようだな」
「……っ」
ひやりと冷たいナイフのような言葉に、ジゼルはひくりと息を呑む。
(いつでも殺せるって、まだそう言うのね)
ジゼルは以前に一度だけ、突然襲われたことがある。仕事で遅くなった帰り道、薄暗い路地で突然斬りかかられたのだ。
その数日後に、この男は現れた。
『お前に殺してほしい人物がいる』
深夜の不審な訪問者に、ジゼルは勿論取り合わなかった。だが男の去り際の言葉に、ジゼルは自分の置かれた状況を理解しないわけにはいかなかった。
『お前は逃げられても、他の二人はどうだろうな?』
それは暗に、この前の刺客は自分だと言っているも同然だった。
これは依頼ではなく、脅迫だ。
そうして示されたのが、ルシアン・レアンドル・フェヨールの暗殺だった。
現オーリオル公爵の唯一の男児であり、母の異母弟。ジゼルからは叔父に当たる。
だが急かして失敗しては元も子もないと、強硬手段を取られることはなかった。あくまでも、ジゼルの自主性を重んじるのだとか。
だがジゼルが何度渋っても、男が諦めることはなかった。それはつまり、急ぎはしないが必ず実行しなければならないという意味でもある。
「他に……他の手段はないんですか?」
ジゼルはそれ以上強固に断ることもできず、苦し紛れに逃げ道を探す。だがその魂胆は、最初から筒抜けだった。
「時間稼ぎでもするつもりか?」
「!」
「愚かな。あの甲斐性なしの父親でも帰ってくれば、活路が見いだせるとでも?」
「知った風な口をきかないで。父さまはいつも母さまのために……!」
「それで、母親の病気は治ったのか? 弟は立派な学校に行けるのか?」
「…………ッ」
何も、言い返すことができなかった。
父は、強い。剣も弓も得意だし、魔獣を一瞬にして倒すし、どこでも野営できる。家族のことを一番に愛してくれるし、いつも笑顔で前向きで、人のことを決して悪く言わない。
冒険についていきたいと言ったジゼルを邪険にせずに色々と教えてくれたし、ジゼルが失敗しても一度も責めたりしなかった。
だが、それで食べていけるわけではないと、ジゼルだってもう知っている。
「弟はじきに卒業だろう。貴族の子弟であれば、次は専学校に行くのが普通だ。金があり、才があるなら更に上級大学や神学校、軍学校に、魔法学院……望むところへ行ける。父親は、それを叶えてくれるのか?」
「それは……」
「それとも、こちらの要求を蹴って、稼げる仕事を探すか? 娼婦などは、割りがいいというな。だがそこに一歩足を踏み入れれば、もう元には戻れないぞ。あそこは病気や暴力、犯罪と紙一重だ。もし弟が神学者や聖職者になるのなら、汚点となる」
「家族に人殺しがいる方が、あの子の人生を邪魔するわ」
「安心しろ。我々ならばもみ消せる。知られなければないのと同じだ」
その言葉が、いつもジゼルの決意をぐらつかせた。短剣の一本もあれば、ジゼルになら出来る。父は面白いからと言って、護身術を基本とした体の使い方の基礎は一通り教えてくれたから。
「一つ、良いことを教えてやろう」
「……何ですか」
絶対にろくなことじゃないと思いながら、話題を変えてくれるのなら大賛成だと話に乗る。だがすぐに後悔した。
「お前の母親が屋敷から追い出されたあと、その道中に刺客に襲われたのは知っているか?」
勿論知っている。
当時十六歳だった母ソランジュは、血筋、美貌、教養の全てを兼ね備えた、セニェ王国でも五指に入るほどの令嬢だったにも関わらず、婚約者の不貞により婚約を破棄され、生家さえ追い出された。
そのせいで、今でも一部では消息不明扱いのままだ。
「これは公爵邸の公然の秘密だがな。その刺客を放ったのは、オーリオル公爵の後妻、つまりルシアン・フェヨールの母親だそうだぞ」
「!」
告げられた言葉に、ジゼルは動揺を隠せなかった。
ソランジュは生母を幼い時に亡くしており、継母とはあまり仲良くなれなかったとは聞いている。だが殺すほどに憎まれていたとは。
「きっと良い親孝行になる」
男が、神のお告げのように囁いて去っていく。だが、そんなことを知っては益々母に相談できるはずもない。
結局その夜も、ジゼルは解決策を何一つ思いつくことができないまま明かすこととなった。
「あぁ、大金がどっかに転がってないかな……」
心からの願望が虚しく黎明に響く。
その翌朝、転機は美青年の顔をして訪れた。
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