第7話 疑惑と逃避

「やっと、見つけた」

「え?」


 眩しい朝日が射す中、その言葉とともに問答無用で馬車に押し込まれたジゼルの脳内は、大混乱の極致であった。


(……まずい。まずいまずいまずいって!)


 初見ではつい高価な制服の総額を目算してしまったが、市中警邏隊ということは、相手にするのは犯罪者のはずだ。


(えっ、何で? まだ引き受けてもないのにもうバレたの?)


 昨日の使者との会話が嫌でも蘇る。

 暗殺は、未遂でも証拠があれば捕まる。


(えっ、どれ? 証拠ってどれ!?)


 心当たりがない。いや、あるような気もするけどないような気もする。

 考えるほどに混乱が深まる。後ろめたいことがちゃんとある分、冷静さが仕事を放棄して一向に働かない。

 動揺している間に馬車は停まり、降ろされた先にあったものにまたジゼルは動揺した。


「え?」


 目の前には、立派という言葉では足りないくらい豪壮な建物が広がっていた。

 馬車はいつの間にか旧市壁を越えて、王城に近い中心部に来ていたらしい。完璧に左右対称に建てられた古色蒼然とした屋敷は、どう見ても長い歴史を持つ大貴族の邸宅だ。


(なんで、警邏が貴族の屋敷なんかに……)


 警邏隊が犯罪者をしょっ引くのであれば、普通は詰所シャトルのはずだ。

 ジゼルは子供の頃にはしょっちゅう悪ガキ共に絡まれ、一度は警邏隊に仲裁され、詰所に連れて行かれて説教までされたから知っている。それともあれは、軽犯罪だからだろうか。


(えっ、待って。子供の喧嘩が軽犯罪なら、最近投げ飛ばしたやつは重犯罪になるとか? 血が出てないからセーフじゃないの? それとも河岸でいちゃもん付けてきた奴を桟橋から突き落とした方? でもあれは正当防衛だし、自力で泳いでたしセーフよね?)


 ここ一月ほどの自分の素行が、走馬灯のように流れていく。益々鼓動が早まった。

 今やジゼルは三階建ての本館を横目に別館の中へと連れてこられていたが、背中を押されるがままに歩いているだけで最早思考は停止しているも同然だった。

 そうしてまず通されたのは、豪勢な食事の並ぶ食堂だった。


「は……?」


 まだ朝課の鐘が鳴ったばかりなので、食卓に朝食が広げられているのは別段おかしいことはない。

 疑問なのは、何故そこにジゼルが通されたのかだ。


「どうぞ、お召し上がりください」


 いつの間にか美青年と入れ替わって現れたお仕着せの侍女が、平身低頭しながら椅子の一つを引いている。

 だがジゼルとしては、では戴きますと言えるはずもなかった。


(え、罠なの? 私が具なしのスープしか食べてないことを知っての、斬新な罠なの?)


 警戒心がむくむくと膨らむ。だがジゼルの目は、本能に抗えないまま食卓の品を一つずつ確認してしまっていた。


(見ただけで柔らかいって分かる白パン! 香ばしくローストされたニワトリじゃなくてガチョウの肉! ちゃんと畑から収穫された色とりどりの季節の野菜! 惜しみなく振りかけられた香辛料! エールも全然濁っていない!)


 見ているだけで、半開きの口端から涎が垂れる。先程スープとパンを詰め込んだはずの腹が、くぅぅと本音を暴露する。

 だが食べたら終わりだ。


「い、要りません。絶対食べませんっ」


 口をぐっと真一文字に引き結んで、食欲をそそる香りに満ちている食堂から後退る。

 侍女はそれを受けると、僅かに困るような素振りを見せたが、すぐに切り替えて、「では」と食堂の外にジゼルを案内し始めた。


(やばい……何なの? とりあえず今ここで罪をでっち上げて現行犯逮捕とかなの?)


 もう冷や汗が止まらない。腕輪に縋るように、右手でぎゅっと握り締める。

 それを気取られたのかどうか、次に通されたのは浴室だった。

 先導していた侍女が、当然のようにジゼルの服を脱がしにかかる。

 身体検査だろうか。犯罪者にはつきものだ。

 だがそれにしてももうちょっと説明が欲しい。


「ちょっと、あの、何なんですかこれ……!?」

「そのままの格好では差し障りがありますので、お召し替えをお願いいたします」

「何の!?」


 訳が分からな過ぎて困惑している間に、手際の良すぎる侍女にあっという間に下着シュミーズ一枚にされた。

 その間に頭をよぎったのは、首都郊外に広がるミュルミュールの森にまつわる魔女の噂だった。

 約二百年程前、実在した悪しき魔女を封印したと言われるミュルミュールの森は、魔女の呪いによって魔獣を引き寄せる瘴気を放つようになったと言われ、最奥部にはその魔女が眠る茨が今も暴かれることなく鎮座していると云う。

 魔女は夜になると肉体を抜け出して彷徨い歩き、長い髪を振り乱して魔獣の生き血を啜るとか、子供を攫って食べるとか、おどろおどろしい話には事欠かない。

 それらは子供を寝かしつける時の脅し文句によく使われる類のものではあるが、実際に街の大人たちや冒険者の間では、それは冗談でも御伽噺でもなく、事実として認識されていた。

 実際の内容はともかく、陽の射すところはまだ良いが、陽の光が届かない場所に踏み込めば命の保証はないと。


(まさか、食べられるとか!?)


 そう考えると全てに納得がいくと、ジゼルは思った。

 人間だって痩せたものより太った食材の方を好むし、食べる時には泥を洗い落とす。服に差し障りがあるというのも、食べるのに歯に引っかかるとかそういうことだ。きっとそうだ。

 一人得心していると、今度は侍女がしゃらりと艶のあるサテンの寝間着ネグリジェを差し出してきた。実に舌触りが良さそうだ。


(……。よし、逃げよう)


 推論が確信に変わった瞬間であった。

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