第8話 痴女と詐欺師

 ジゼルの準備が整うまで、イザークもまた自分を落ち着けるため、制服を脱いでカモミールティーを飲んでいた。

 相手があのジゼル・レノクールだと知り、イザークは内心でずっと動揺していた。だがあの悪夢から逃れるチャンスが彼女にあるのなら、今までのように言い訳を並べて後回しにすることも、もう出来ない。


(もう、後戻りはできない)


 イザークがこれからしようとしていることを冷静に考えれば、相手が誰であろうとあの場で事情を話して理解を得るのが難しいことは目に見えていた。

 だからこそ、逃げ場のない状況下に置いた上で思考の余地を奪いつつ承諾に漕ぎ着けるのが互いに最良なのだと、イザークは結論付けた。

 その上での今朝の行動だったのだが、自分を落ち着ければ落ち着けるほど、実はわりと酷いものなのではないかと思い始めていた。

 相手があの『悪役令嬢』の娘で金の亡者だとしても、傍から見れば十七歳のうら若き乙女である事実は揺らがない。それを問答無用で連行した挙げ句、これから一方的に勝手な要求を押し付けようとしている。


(これは、犯罪か?)


 今さらであるが、自問するまでもなく犯罪であった。訴えられたら負ける。

 だがそうと自覚してもなお、イザークには引けない理由があった。


(……まぁ、何とかなるだろう。何といっても相手は女だ)


 イザークは、自分で言うのもなんだが、母譲りの整った容貌をしている。女性に声をかければ、大抵は色好い返事が貰えた。

 子供は守備範囲外だが、今回のこともどうにかなるだろうと、心のどこかで無意識に楽観視していた。

 自室の扉が乱暴に開かれて、裸同然の女が飛び込んでくるまでは。


「ッ!?」


 イザークは思わずカモミールティーをブーッと吹いた。

 女がげっと後退る。


「きたなっ。何なの!?」

「何なのはこっちだ! 守銭奴の上に痴女なのか!」

「誰が痴女よ!?」


 零れたカモミールティーを拭いながら叫べば、女がようやっと自分の体を両腕で隠した。それで何が変わるというものでもないが、着古した薄い下着一枚よりは腕の方がまだましだ。

 だが問題はそこではない。


「何故服を着ていない!?」

「着るわけないでしょ!? あんたたちの企みなんてお見通しなのよっ」

「ッ」


 突然核心を突かれ、イザークはぎょっと目を剥いた。まさか、既にこちらの目論見を看破していたとは。


「袖を通した途端、衣装代を請求するつもりなんでしょ!? そんな古典的な手には引っかからないわよ!」

「どこの詐欺師だ!?」


 イザークはくわりと突っ込んでいた。

 が、女は聞こえていないかのようにわなわなと拳を握り締める。


「美味しそうなご飯を人質にされた時にはもうダメかと思ったけど……! でも私はまだ諦めないんだから!」

「ワケの分からん宣言はいいから服を着ろ!」


 全く会話の筋が見えないが、さっきからずっと腹の音が聞こえているのはどうやらそういう理由らしい。意味が分からない。

 そこに、ばたばたと慌ただしい足音と、「お客様!」と叫ぶ侍女の声が聞こえてきた。どうやら、侍女に預けた途端逃げ出したらしい。


「ニネット! ここだ!」


 別館唯一の侍女を大声で呼ぶ。すぐに現れたニネットは、肩で息をしながら手にサテンの寝間着を握り締めていた。


「お客様……、こちらはエスピヴァン侯爵ダリヴェ家の別館ですので、お客様を食べることも、詐欺商法で金を毟り取ることも致しません」

「食べる……?」


 何のこっちゃ。


「ともかく、金銭は一小銅貨たりと要求いたしませんので、安心してお召し替えくださいませ」

「ほんと!? 着た後で染みが見付かったとかほつれがあったとか言われても絶対一小銅貨も弁償しないからね!?」

「それでよろしゅうございます。ですからお早くこちらへ」


 ともかく主人の視界から消そうと、ニネットが抗う女の背中を押して部屋を出る。腹の虫もやっと遠ざかる。

 噂に聞く以上の守銭奴だと、イザークは脱力しながらその背を見送った。あの剣幕でも、脱ぐところまでは素直に従ったんだなと、妙に感心しながら。

 などと考えていたら、去り際に下着の下にちらりと影が見えた。

 否、あれは影ではなく。


(まさか、あの傷は……)


 それは、女性の体にはあまりに不釣り合いな、大きな古傷だった。



       ◆


 ジゼルは戦々恐々しながら、寝間着ネグリジェに袖を通した。


(本当にこれ、私が着ていいの?)


 さすが貴族と言おうか、胸元や裾にふんだんにフリルやレースがあしらわれていて、着るだけでドキドキする。何年も身に着けたままのくすんだ腕輪が、実に不釣り合いだ。

 庶民であれば服を三着も持っていれば十分裕福だというのに、高価な室内着の存在意義が分からない。


(っていうか……何で?)


 結局、人食いでも詐欺でもないと言われはしたが、詳細は例の美青年から聞いてくれと言われるばかりで、納得のできる説明は得られなかった。

 懲りずに逃げてもいいのだが、自宅を押さえられているという点では逃げ場がない。


(こうなったら、真正面から迎え撃つだけよ。相手が国家権力だろうと何だろうと、私は何もやってない!)


 憤然と決意すると、動揺も半分くらいは落ち着いてきた。


「では、こちらでお待ちくださいませ」


 ニネットと呼ばれた侍女に言われるまま、ジゼルは通された薄暗い部屋で佇立する。手持ち無沙汰に周りを見回して、すぐに後悔した。

 ぼんやりと室内を照らすオレンジ色の間接照明。どこからともなく漂う、ベルガモットの眠りを誘う香り。ぽと、ぽと、と響く水滴音もまた雨音を思わせて眠くなる。

 昨夜も来客と内職でほとんど眠っていないジゼルには、中々に瞼に辛い室内空間に仕上がっていた。

 だがそれも、中央に鎮座する天蓋付きベッドの放つ存在感のせいで、眠気に身を委ねるというわけにはいかなかった。


「ここって、まさか……」

「俺の部屋だ」

「ッ」


 ジゼルの予想を肯定するように突然背後から上がった声に、反射的に距離を取って叫ぶ。


「二十四大銀貨男!」

「……は?」


 さらさらの金髪に灰色の瞳の美青年が、眉間に皺を寄せて怪訝な顔をした。

 朝日の中ではどこか儚げにも感じた美貌だが、半眼で見下ろしてくる今はカツアゲしてくる近所の悪ガキ共と同じくらい憎々しげに見える。

 ジゼルは失言をこほんっと誤魔化して、改めて男に向き直った。


「じゃなかった……何が目的なの? こんな服を着せて」

「寝台に入るのだから、寝間着に着替えるのは当然だろう」

「――――え……えぇぇぇぇええ!?」


 予想の埒外の答えに、ジゼルはやっとまともな悲鳴を上げた。ずざざっと壁際まで後退しつつ、先程とは違う意味で再び両手で体を抱きしめる。


「詐欺師じゃなくて変態だったの!?」

「ちっがぁう!」

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