第19話 父と猛毒

 眠れなかった日に限って、面倒臭い仕事が入ったりする。


「議事堂の警備、ですか」

「あぁ。人手が足りなくてな」

「……了解しました」


 そうして、午前中は議事堂の周辺に立ちながら眠気と格闘する羽目になった。

 内心では全く了承できていなかったが、気を付けるのは会議が終わって貴族たちが馬車に乗り込む数分だけ。そう高を括っていたのだが。


「……だろうな。だが、そのように身勝手に振る舞えるのも今のうちだ」

「今というのは、貴殿の寿命が尽きるまでという意味かな?」


 議事堂前に無数の馬車が横付けされる中、少しずつ現れた貴族の中でも明らかに威厳を放つ二人が、並び立って外に現れた。一人は痩身の、一人は恰幅の良い、どちらも六十歳前後の白髪交じりの男性だ。

 まるで一歩でも先を許せばそれだけで格が落ちるとでもいうように、二人の足先はぴたりと揃っている。


「私の寿命よりも、孫の寿命を心配するのだな」


 皮肉と冗談が一割の言葉にそう返すのは、額の皺がもう消えそうにない、厳めしい顔をした痩身の男だ。五選王家の中で最も融通と冗談の通じない、堅蔵のオーリオル公爵。

 唯一の失策は二十年前の娘の婚約破棄騒動で、今でもその話題を出すと暗殺者のような眼になるとは、有名な話だ。


「勿論、どんな手を尽くしても治すさ。病気からも、邪な魔の手からもね」


 そう返すのは、大きな腹を揺らして笑うヴァレスク公爵。前王妃を失い傷心だった王に自分の娘をねじ込んだ、五選王家一の抜け目のない社交上手。

 二人は同年代ということで昔からライバル意識が強く、家門の隆盛と共に常に互いを牽制していた。ヴァレスク公爵が諧謔を弄する人物でなければ、口を開くだけで決闘でもするのかという雰囲気になるところだ。

 だが今は、継承可能者の拡大と王太子の病状の二つが絡み合い、言葉の裏に剣がちらつく、まさに一触即発の状況だった。


「そんなことを気にする苦労も、この法案が通れば不要になる」

「御心配痛み入るよ」


 二人が互いに捨て台詞を吐いて、それぞれの馬車に乗り込む。その後ろからは、それぞれの公爵家に追従する二つの侯爵家、ダリヴェ家とデュガ家が続く。こちらはこちらで王女の婚約者の座を取り合っているため、やはり仲が悪い。


(げ……)


 伯父のマルスランが、馬車に乗り込む間際、ちらりとイザークを睨みつけてきた。どうせ、興味本位とでも思ったのだろう。


(今日の稽古は死ぬかもな)


 今日は女性の所に泊まろうかと、現実逃避する。その横に、議事堂から出てきた人物が腕を組んで仁王立ちした。


「相変わらず、意味のない取り合いをしているな」


 隣を見ずとも分かる。今日は近衛の制服を着ているリュカことヴィオレーヌ王女だ。鍛えている姿勢の良さと、男の無骨さがないことで、いちいち制服がよく似合うと、主に貴婦人方から評判だ。

 イザークは無視しようかと思ったが、無視すると隣から消えてくれないので、致し方なく口を開いた。


「何してたんですか。中にいたんでしょう」

「自分に関わる法案の行方を心配して何が悪い」


 当たり前のように答えられたが、普通、女性は議事堂には出入りしない。王族が傍聴することは、まあ、不可能ではないのだろうが。


「どちらにしろ、結婚はしなくちゃいけないと思いますけどね」

「折角なら、女王は結婚しなくていいという法案にしてくれればやる気が出たのに。あ、今から根回しすればいいのか」

「……そんなことは、俺ではなくいつもの御仁に言ってくださいよ」


 付き合い切れないとげんなりしていると、やっとリュカを呼ぶ声が聞こえてきた。


「殿下!」


 そう必死に呼びかけるのは、議事堂から溢れる人混みに揉まれながらこちらに走ってくる、二十歳過ぎの好青年だった。


「ルシアン。遅いぞ」

「殿下が歩くのが速すぎるんです」


 そう言いながら肩で息をするルシアンは、先程通ったオーリオル公爵の嫡男だ。二十三歳と聞いているが、栗色の髪は柔らそうな癖毛だし、榛色の瞳は円らで、どことなく童顔に見える。特に吊り目のリュカに並ぶと、どちらが年上か分からなくなる。


(ま、威厳の問題の気もするが)


 などという同情も、ぎろりと向けられた敵意にあっさり霧散した。


「こんなどこの者とも分からぬ輩と二人きりなど危険です。早く戻りましょう」


(警邏の制服着てるだろうが)


 とは思ったが、勿論口には出さなかった。平和が一番。


「心配性だな」


 当の元凶は、のほほんと笑ってさっさと歩き出す。背丈などほぼ同じだろうに、それでもルシアンはリュカをまるで淑女レディーのように過保護に誘導していった。


(相変わらず、王女が好きすぎて大変みたいだな)


 王女の軟弱者お断り宣言のせいで、いの一番に敗残者に名を連ねているというのに、懲りずにくっついて回っている。

 現在の法案も、王女のために成立させようとあちこち走り回っているという噂はよく聞く。健気な忠犬だ。


(……にしても、相変わらず、誰かに似てる気がするんだが)


 ルシアンを見る度に思うことを、今日も思う。

 だが思い出す前に、帰宅したイザークは当然のようにマルスランに捕まった。


「法案が気になるか」

「……いえ」


 王女を打ち負かす特訓なのだろう、今日は次兄のダミアンが地面に大の字で倒れているのを尻目に、マルスランがイザークを睨む。

 予想通りの言いがかりに、イザークは神妙な顔を作って相手の望む答えを出した。


(心底どうでもいい)


 継承権を放棄していない王弟を父に持つが故、イザークは現段階でたった四人の王位継承可能者の内の一人だった。

 そのせいで、マルスランはイザーク母子を追放することも殺すこともできず、飼い殺しにするしかなかった。

 王弟がいつ戻ってくるのか。

 戻ってきたとして、かつての恋人を正式に妃に迎えるのか。

 この二つの問題が、いつまでもエスピヴァン侯爵家の立場を不安定なものにさせる。それを解決するためには、王弟をこちらから探し出すしかなかった。

 そして。


「王弟の足取りは既に掴めている。見つかるのは時間の問題だ。今から覚悟を決めておくんだな」

「……はい」


 珍しく真正面から言われ、イザークは内心複雑な心持で頷いた。


『お前は庶子だ。たとえ父親が見付かろうとな』


 子供の頃から、イザークが反抗的な態度を取る度にそう言われてきた。お前に価値はない。望みはない。期待はするなと。

 そして王弟がその言葉通りに行動すれば、イザーク母子はこの家に居る理由はなくなる。或いは、命すら危うくなるかもしれない。

 その前に、イザークは行動しなければならない。

 だというのに。


「二十年も放置した女子供に、愛情も地位もあるはずがないのだからな」

「――――ッ」


 いつもとは違う、一瞥の憐れみを向けられ、イザークは心臓が締め付けられたかのようにぎゅっと痛んだ。

 王弟の思惑はどこにあるのか。

 そんな推測のしようもない漠然としたことよりも、明々白々な事実。


『捨てられたんだよ、お前』


 ダリヴェ家で最も性格の悪いダミアンから顔を合わせる度に言われていた、自分でも何度も自分に言い聞かせてきた、分かり切った事実。

 その、はずなのに。


(……今更傷付くな。それこそが望みだろうが)


 顔も知らない父親の呪縛からも、呪いからも、生きて逃げ延びる。

 目に見えない愛情があったかどうかを論じるなど、死ぬと知りながら猛毒を飲み続ける愚行でしかないのだから。




       ◆




「殿下、お待ちください殿下!」


 王宮に到着した途端颯爽と馬車を降りて一人先を行く王女を、ルシアンは息を切らしながら追いかけた。


「全くだらしないな。そろそろ近侍は引退して、武官にでも趣旨替えしたらどうだ?」

「そうしたら、誰が殿下の苦手な根回しや交渉や駆け引きをするのですか?」

「そうだったな」


 やっと足を止めてくれた王女が、苦笑とともに振り返る。

 自分よりも弱い男を認めないと公言して憚らない王女が、揶揄しながらも相手にしてくれるのだから、自分は恵まれている方なのだろうと、ルシアンは改めて思った。


(初めて会った時は、少女の皮を被った魔獣くらいに思ったのにな)


 初めて王宮に上がった頃、ルシアンは選王家であるオーリオル公爵の嫡男として、随分思い上がっていた。

 王女は、母君を亡くされてお寂しいからお優しくしろと父に言われ、侮っていたのもある。

 そして実際に会い、ルシアンは二歳年下の王女に情けないほど見事な返り討ちにあった。


『虎の威を借る見事な仔狐だな。早速毛皮を剥いでやろう』


 あの頃は常時携帯していた木剣で散々に叩かれ、最後にはそう脅されて、ルシアンは泣いて逃げ出した。その後数日は夢に見るくらいにはトラウマになった。

 二度と近付きたくないと、思っていたのに。


『あの王女をいい加減落ち着かせられないのか』

『じゃじゃ馬が、百害あって一利なしだな』

『早く嫁ぎ先を見繕ってしまえ』


 心無い噂を聞いてしまい、歯を食いしばって泣くのを堪えていた彼女は、ルシアンに気付くと何事もなかったかのように乱暴者の王女に戻った。

 あれは、別に偶然でも何でもなかった。そんな話題は、あちこちで囁かれていたから。


「法案は、通ると思うか?」


 半歩先を行く王女が、感情を見せずに問う。ルシアンは一瞬色をつけて話そうかと思ったが、すぐにそれは誠実ではないと思い直した。


「……半々、というところでしょう。クロード家がどこまで手を回しているかによります」

「やはり、クロード家には敵わんか」


 いつも気丈に振る舞う王女が、クロード家の名に自嘲気味の笑みをこぼした。


(そんな顔、させたくないのに)


 ヴィオレーヌ第一王女の母は、選王家の一つであるヴァンデベルグ公爵クチュリエ家の娘であったが、王女を出産した時の産褥熱で身罷られた。その後、ヴァレスク公爵クロード家から新たな王妃としてやってきて、弟であるフェルディナン第一王子を出産したことで、王女の未来は決定的に翳った。

 このまま法案が通らなければ、弟が国王となり、王女は一生日陰を生きることになる。

 運が悪ければ、クロード家と敵対する家に嫁されるか、最悪、仮想敵国に生け贄同然に送られる羽目になるかもしれない。

 それを防ぐためにも、一刻も早くこの法案を成立させなければならない。


(早く、もっと狡猾に立ち回らなければ……)


 口許に笑みを残したままの王女の横顔を盗み見ながら、ルシアンは改めて焦燥感を募らせた。

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