第25話 馬鹿な話と素敵な話
ジゼルは、婦人の手を掴んだままイザークの寝室に飛び込んだ。婦人を長椅子に座らせ、その足元に座り込んで呼吸を整える。
その背に、婦人が困惑の声をかけた。
「……どうしたの?」
「あの……」
ジゼルはどう説明したものかと思案しながら、とにかくまず謝った。
「突然ごめんなさい。でも、あの、多分ここなら安全だから……」
「……あら」
婦人が、軽く瞠目して頬に手を当てる。
そこに、声がした。
「何が安全だ」
「わっ」
いつの間に入ってきたのか、イザークが扉の前にいた。湯を浴びてきたばかりのようで、爽やかな石鹸の香りがする。
が、その顔はあまり爽やかではなかった。むすりと腕を組み、当然の文句を上げる。
「部屋の主に断りもなく他の者を引き入れて……何のつもりだ」
「それは、その……」
ジゼルは事情を説明しようと口を開いこうとして、けれどすぐに思いとどまった。
(どうしよう……家族に命を狙われてるもかなんて、どう言ったら……)
言葉を選ぶにも選べず、視線を泳がせる。それで何故分かったのか、イザークはハァと大きく嘆息すると、訳知り顔で肩を落とした。
「いいんだ。聞いたんだろ」
「知って……」
「僕がお知らせしましたー」
まさかイザークも聞こえていたのかと思ったら、イザークの背後から新た人物が顔を出した。
目が合い、気さくにウィンクを飛ばされる。
「えっと……?」
会ったことがあったかしら、と首を捻っていると。
「先程はどーも」
「……あ!」
ぺこりと挨拶され、そこでやっと気付いた。先程投げ飛ばした不審人物だ。
「えっ、イザークの知り合いだったの?」
「ここの使用人だ」
「ギーでーす」
「他にもいたんだ……」
思わず素直な感想が漏れる。これにイザークは顔を顰め、ギーはくくっと意味深に笑った。
「イザーク様の離れは侯爵家では有名な左遷先でしてね。反抗的な奴ばかりが来るので、すぐに消えても不審がられないんです」
「消えるって、まさか……」
「用事を頼んでいるだけだ。変な想像をするな」
ファビアンから聞いた噂に嫌な想像をしていたジゼルは、イザークの言葉にホッと胸を撫で下ろした。確かに、本館で立場の悪くなった使用人たちであれば、その後姿が見えなくなっても一々口を挟まれる可能性は低い。
それにしても。
「用事って」
一体なにを、と問おうとしたところ、イザークが長椅子に腰かけたままの婦人を振り返った。
「シャーリー嬢。そろそろお部屋に戻りましょう。送らせます」
「そうねぇ。今日は、もうフィルは来ないみたいだから」
「えぇ。そのようです。……ギー」
「御意」
イザークの言葉に、ギーが笑顔で婦人――シャーリーを促す。その一連のやり取りは手慣れており、いつものことなのだと察せられた。
だからこそ、ジゼルは分からなかった。
「シャーリー嬢って……お母さんじゃないの?」
「!」
ジゼルの問いかけに、イザークが驚いたように瞠目する。だがジゼルには、その驚きようこそが意外だった。
「どうしてそう思った?」
「だって、とっても似てるじゃない」
目の色が同じこともあるが、それ以上に鼻筋や目元、それに雰囲気もよく似ている。そう伝えれば、イザークはどこか痛みを堪えるように眉根を寄せた。
力が抜けたように長椅子に腰を下ろす。
「少し、話でもするか」
「……いいの?」
「お前が一緒に寝てくれるお陰で、大分睡眠不足でもなくなったからな」
言いながら、イザークは苦笑するように口元を緩ませた。それはジゼルが初めて見る笑みで、だというのにとても寂しそうで、ジゼルは頷くしかできなかった。
イザークの隣に、遠慮がちに腰かける。
二人は肩が触れ合うか触れ合わないかという距離を保ったまま、静かに話し始めた。
「俺が庶子ということは知っているか?」
「……なんとなく」
「俺の母……シャーリーもまた庶子だった」
憐れなシャーリー・アルマン。母はデュガ家の傍流の出で、父は武門の名家で文官となった前エスピヴァン侯爵だった。母は侯爵家で使用人として働いていたが、デュガ家の目もあり、追い出すこともできず、生まれた子共々馬車馬のように働かされた。
「だというのに、シャーリーもまた自ら茨の道に足を踏み入れてしまった」
「それって……」
「出会った相手は、時の王子――現国王の弟だったんだ」
庶子といえば、男ならば軍人か聖職者、女であれば隠されるように育てられ、修道院に入れられるのが一般的だ。たとえ貴族を父親に持とうと、未来の王弟妃となることは、ほぼあり得ない。
「だが奴は……王子は母を諦めなかった。そのせいで、この悲劇は終わりが見えなくなった」
王弟テオフィルは、ダリヴェ家にシャーリーを嫡子と認めることを要求したが、前侯爵の不貞に憎悪さえ抱いていた異母姉たちは、決してこれを認めなかった。
国王側でも、フェヨール家以外の選王家全てからの反対があり、王弟の結婚要求を跳ね除けた。
『シャーリーを妃として認めてもらうまで、俺は諦めない』
王弟はその言葉を残し、駆け落ちした。その時、既にシャーリーはイザークを身籠っていた。
「その時に二人が逃げ込んだのが、ミュルミュールの森だと聞いている」
(まるで、魔女の昔話みたい)
ミュルミュールの魔女は、反乱を起こした王子と恋仲だったという話もある。森で眠りながら、今も王子の迎えを待っているとか。
その考えがイザークに通じたわけではないだろうが、奇しくもイザークもそのことを考えていたようだ。
「今思えば、呪いをかけられたのはその時かもしれないな。不実な父親のせいで」
「不実?」
皮肉げなその単語に、ジゼルは不安になりながら問い返した。
母のこともあり、単純に素敵な恋物語だとは、とても言えない。いつだって、貴族と平民の恋には波乱や不幸が付き物のようだから。
けれど今の話だけ聞けば、王弟は誠実な愛の持ち主に聞こえたが。
「森の中で魔獣に襲われて、母を守るために奴は一人森の中に入ったらしい。だが俺には、逃げ切れないと悟って、面倒な女を捨てて行方を晦ますのに丁度よかっただけの話にしか聞こえない」
「そんな……っ」
「しかも厄介なことに、『必ず迎えに来る』と、最低な捨て台詞を残して、な」
「それで、あの人はいつも……」
小さな花束を作り、毎日愛しい人の帰りを待つシャーリー。そんな母を母とも呼べず大切に閉じ込めるイザーク。
そこにある歪みに、ジゼルはそれ以上言葉を続けることができなかった。
「馬鹿な話だろ」
それまでずっと淡々と話していたイザークが、憎々しげに笑う。まるで今まで何度となく、そう自分に言い聞かせてきたように。
だからジゼルは、イザークの灰色の瞳を真っ直ぐに見上げて、本心を伝えることにした。
「いいえ。素敵な話よ」
「……女は、皆そう言う」
ハッと、イザークが顔を歪めて吐き捨てる。だからこそ、ジゼルは怯まずその頬に手を伸ばした。
「私が素敵と言ったのは、お母様の恋と、あなたの決意よ」
「!」
「だから、そんな風に笑わないで」
届け、と願う。
イザークの身の上がどんなに美しい恋物語の果てにあったとしても、その先も続く物語では、美しいだけではいられない。
妃として認めるということは、王族籍も、継承権も放棄していないのだろう。戻ってきた王弟がもしシャーリーを正妃とするとしたら、イザークは嫡子となり、やはり継承権が発生する。
私情と、政治利用への価値。オーリオル公爵家と同じだ。
(用無しって……そういうことなのね)
マルスランがイザークに王位を望むのかどうかは分からないが、この家での居場所がなくなることは確実だろう。
イザークの意思とは、関係なく。
(どこもかしこも、そんな話ばっかりなのね)
政治と権力と見栄と家門のために、命の軽重を決められる子供たち。
そう思考していたら、頬に触れた左手を、腕輪ごとぎゅぅと掴み返された。
「……少しだけ、いいか」
「え? うん……?」
何を、と聞く前に、頷いていた。見つめ返す灰色の瞳が、今にも泣き出しそうに潤んで見えたから。
そして。
「ぅえっ? ちょっ……」
こてん、とジゼルの肩にイザークの額が乗せられた。ジゼルの栗色の癖毛に顔を埋めるように、遠慮がちに左右に動く。
思わず抗議をしようと思ったが、その仕草がどこか幼くて、ジゼルは突き放すことができなかった。
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