第4話 少女と悪役令嬢
「どうしたんすか? 昨日あんなに寝たのに、また寝不足みたいな顔して」
いつも以上にげんなりとした不機嫌顔で出勤したイザークに、アゼロが今日も能天気な面を晒して話しかけてきた。
その不眠とは無関係であろう健康的な顔を嫉妬深く睨め返しながら、イザークは仇敵を迎え撃つかのように言い放った。
「……やっと来たな、アゼロ」
「はい?」
笑顔で問い返すアゼロを引っ張って、イザークは班長に一言断って先に自主警邏に出ると、まず真っ先に市場へと足を向けた。
「ここか?」
「そうっすね。ここで、女の子にぶつかって」
欠伸を噛み殺しながらついてきたアゼロが、公娼の路地が近い辻を指す。その指の先で、イザークは迷うことなく寝ころんだ。
「えっ? ちょ、先輩……!」
既に朝の市場は始まり人通りも増え始めている中、アゼロが目を剥いて周囲を気にする。だがイザークは構わず目を閉じた。
(……、……っ、……違う)
瞼を閉じて数秒で訪れた眠気と恐ろしい暗闇の映像に、ハッと瞼を開ける。昨夜に感じた失望が、再び胸に満ちる。
(場所……いや、条件が違うからか?)
昨夜も眠れなかったイザークは、目をギンギンに開けたまま一晩中考えた。
昨日眠れたのは、悪夢の呪いが解けたからではなかった。となると、あの場所に意味があったのではないかと。
本当は昨夜のうちにここへ来て実証したかったが、如何せん突然の睡魔のせいで場所の記憶が曖昧だった。
だが実際に寝てみても、昨日感じた熟眠感は気配すら訪れなかった。時間が違うからなのか、他の条件が関係あるのか。
立ち上がりもせず再び悶々と熟考するイザークに、アゼロはすっかり呆れ返って呟いた。
「昨日の場所に行きたいって言うから、てっきり謝りたいのかと思ったのに……何してんすか?」
「謝る……そうだ!」
アゼロの発言に、イザークは天啓を得たように閃いた。
条件ということで場所や時間帯、気候などにばかり気を取られていたが、ぶつかったということは相手がいたということだ。周囲の人間まで対象を広げては収拾がつかないが、ぶつかったその一人との再現ならば不可能ではない。
「アゼロ、その相手のことは分かるか」
「一応、名前は聞いてありますよ。お互い怪我がなかったのもあって、最終的に先輩を運ぶのを優先しちゃいましたから」
「そうだったか……」
市民を守るための警邏隊が、市民に被害を出したまま遁走とはいかにも外聞が悪いが、アゼロはその辺り、判断を間違うほど若輩でもない。本当に相手は無事なのだろう。
そう結論付けると、イザークはやっと立ち上がって次の行動に移行した。
イザークがぶつかったのは、驚いたことに王都郊外に住むジゼル・レノクールという十七歳の少女だった。
家族構成は父母と弟一人。弟は今年全学校を卒業予定で、進学はあの聖ミリュー聖拝堂付属神学校を予定している秀才だ。だが父は冒険者稼業、母は病がちで、ジゼルはあの年で既に一家の稼ぎ頭になっているらしい。
「ここまでは結構有名な話っすね。で、こっからは噂程度なんすけど」
女性にしか人気のないイザークと違い、男性に群がられがちのアゼロが、日頃の人脈を活かして得た情報を補足する。
「見た目に反して結構喧嘩っ早いらしくて、子供の頃は町で絡んでくる同年代の男子たちを片っ端から投げ飛ばしては返り討ちにしてたらしいっすよ」
「……随分、粗暴なんだな」
「そう思いきや、仕事は本の翻訳だったり、中流階級の子供の世話だったりをしてるらしいっす」
中流階級の子供の世話となれば、それなりのマナーが身についていなければまず採用されない。それに本の翻訳には語学の教養が欠かせない。
あまり裕福な暮らしとも立派な家筋とも思えないのに、仕事に出来るほどというのは違和感がある。
「それでも足りないらしく、空いた時間には朝でも晩でも仕事を詰め込んで、時にはミュルミュールの森に野草を採りに入ったりもしてるとか。一部じゃ、金の亡者って言われてましたね」
「あこぎなやり方でもしているのか?」
アゼロの口振りに、イザークは顔をしかめた。そんなはずはないと、喉元まで言葉が出かかる。
だが返されたのは、予想外の理由だった。
「実は母親が元々フェヨール家のご令嬢だったとかで。二十年前の社交界でのスキャンダルって知ってます?」
「二十年前? まさか、オーリオル公爵令嬢の婚約破棄の件か?」
オーリオル公爵フェヨール家と言えば、セニェ王国の中でも限られた選王権を持つ最上位貴族だ。
だがその名が庶民にまで浸透したのは、二十年前、前国王王弟の忘れ形見である王子と婚約していたソランジュ・フェヨールが、王子が出会った真実の恋を邪魔し、散々に社交界を掻き回したことにある。
お陰で王子の恋は過剰に物語的に囃し立てられ、世論も味方につけた王子の恋は成就。ソランジュは一方的に婚約を破棄され、外聞が悪くなったことで公爵家からも見放され、遠くの領地に実質の追放処分になったとか。
ついたあだ名が『悪役令嬢』。巷で流行っている恋愛小説につきものの、主人公をいじめるお邪魔虫という意味だ。
「その母親の悪名のせいで、どこで働くにも苦労したみたいっすね」
「成る程……つまり、金に困ってるということだな?」
「うら若き乙女の苦労話を聞いた感想がそれって、先輩もまあまの人でなしっすよね」
集めさせた情報を脳内で整理した結果導き出した結論だというのに、アゼロがにこやかに人格を否定してきた。
取り敢えず、足を引っ掻けて手早く地面に転がしておく。
「何すんすか! 折角情報集めたのに……ていうか、何でオレは謝りに行く相手の情報収集なんかさせられたんすかね?」
石畳に寝転がったまま、アゼロが今更になって至極もっともな問いを上げる。
イザークは、にやりと人の悪い笑みを浮かべてやった。
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