第55話 俺達のダンジョンカップル配信は終わらない。
「おっ……例の階段が見えてきたぞ」
「確かに、普通の階段ではありませんわね」
校舎の奥の地下室、市長から言われていた通りの場所に、その階段はあった。
この階段だけが異様な雰囲気を纏っており、太陽の光が入っているにも関わらず、階段の奥が見えない。ここが噂の新たなダンジョンの入り口で間違いなさそうだ。
俺達は互いに視線を交わして頷き合うと、その階段へと足を踏み入れる。
「なんか……いつもありがとな、ほんと」
階段を降りつつ、隣の果凛に御礼を言った。
唐突な礼に、果凛が怪訝そうに首を傾げる。
「突然どうしたんですの?」
「いや、補習にしろ、その補習を免除してもらう為のダンジョン探索にしろ……果凛には関係ないのに、ずっと手伝わせちゃってるからさ。別に果凛がやる必要ないのに」
そう。彼女はこちらに来てからの生活のほぼ全てが俺に依拠している。
このダンジョン探索だって、俺ひとりで配信して資料としてURLを市に送れば良いだけの話。でも、果凛はこうしてわざわざ一緒に行動して、俺の
だが、果凛は俺のそんな言葉に眉根を寄せてやや呆れたような顔をした。
「先程も申し上げましたけれど、わたくしはこうして蒼真様と一緒にお出掛けできるだけでも嬉しいんですのよ? それに……御礼を言いたいのは、わたくしの方ですわ」
「御礼? 俺、そんな感謝されるような事したっけ?」
唐突に彼女から御礼という言葉が出て、俺は怪訝に首を傾げる。感謝するならともかく、されるような事をした記憶がない。
「ええ。たくさんたくさん、してもらっていますわ」
「たくさん、ねえ?」
「はい……たくさんの幸せな時間を、頂いておりますわ。それは、あちらの世界では絶対に味わえなかったものですから」
果凛はそこまで言うと、柔らかく微笑んだ。
その儚げな笑顔に、思わず胸がぎゅっと締め付けられてしまう。
果凛は表情を真剣なものに戻して、じっと俺を見据えて続けた。
「ですから蒼真様。わたくしはあなたの力になりたいと思っていますの。わたくしにできる事でしたら、何でも仰って下さいまし。それくらいしか……わたくしにはできませんから」
果凛は階段の途中で立ち止まって言った。
彼女の表情は真剣そのもので、でもどこか儚げで。いつもみたいに冗談やからかいの意図はなかった。
どうやら彼女は大切な事をわかっていないらしい。俺は小さく溜め息を吐くと、言った。
「そっか。じゃあ、早速お願いしていい?」
「はい。何なりと」
「今日はこのまま下に行って、ダンジョン配信をしよう」
「……もともとそのつもりでしたけれど、違いましたの?」
果凛は俺のお願いを予想していなかったらしく、きょとんとして首を傾げた。
「いや、そのつもりだったけど?」
「……? それでは何の御礼にもなりませんわ。別の事をお願いしてもらった方が……」
「いいんだよ、それで。それが、俺が果凛に望んでる事だから」
「え?」
果凛は驚いたように顔を上げ、まじまじとこちらを見詰めた。
彼女の視線から逃れるように、視線を別の方向へと移す。これから言おうとしている事を考えると、それだけで恥ずかしくなってきた。
ああ、ちくしょう。何で俺こんな恥ずかしい事言おうとしているんだろう? でも、言わないと果凛には伝わらない気がするし、言うしかない。
意を決すると、彼女の方を向き直した。
「俺は……風祭果凛っていう人生で初めてできたカノジョと、ただ一緒に時間を過ごしたいだけなんだよ」
「蒼真様……」
「それは別に、特別な事じゃなくたっていい。一緒に補習に出たり、勉強したり、デートをしたり、飯食ったり……そんなんでいいんだ。その中のひとつに、ダンジョン配信があるだけなんだよ」
そう……このダンジョン探索や配信だって、俺達の恋人の在り方としての一つのイベントだ。いや、果凛の言う通り、デートのひとつみたいなものと言い換えても良いかもしれない。
先程彼女はいつかダンジョンも何事もなかったかのように消えてしまうかもしれない、と言った。だが、ダンジョンが続いている限り、俺達はデートみたいにして色々な訪れ、その冒険の様子を世界に向けて配信していくのだろう。それはきっとこれからも変わらない気がするし、純粋に果凛との時間を楽しみたいという気持ちが強い。
だが、果凛は頬を赤らめつつも眉根をきゅっと寄せて、どこか辛そうにして反論する。
「それでは……それでは、わたくしの気が済みませんわ」
「別に、気なんて済まなくていいよ。俺と過ごしてて、幸せ感じてくれてたんだろ? じゃあ……それで良いじゃんか」
「でも、わたくしは……ッ」
「俺は果凛と一緒にいれたら、それだけで幸せなんだよ。恥ずかしいから、これ以上言わせんなよ」
「あっ……」
俺の言葉に果凛がはっとして目を見開いた。
「俺は果凛と一緒に何かするだけで、幸せなんだ。果凛は違うのかよ?」
そこまで言うと、彼女は赤かった顔を更に赤く染めた。耳までまっかっかである。
自分でも赤くなっている自覚があるのか、彼女はふいっと顔を背けた。
「わ、わたくしだって……同じですわ。蒼真様と一緒なら、それだけで幸せですもの。今のわたくしに、それ以外のものなんて要りませんわ」
「そっか」
果凛の背けられた横顔をじっと見つめる。
本当に、可愛い。今までもたくさん可愛いところは見てきたつもりだったけれど、しおらしい果凛は本当に可愛くて、このままずっとこんな彼女を見ていたいと思わされてしまう。今から配信しなければいけないのが本当に億劫でならなかった。
「じゃあ、別に御礼なんてする必要なくないか? 自分のしたい事をするだけで良いんだ。それで俺も果凛も、幸せなんだからな」
「蒼真様ったら、気障ですわ。そんな事を言われたら、わたくし……」
果凛は言葉を途切れさせると、顔を赤らめたまま俯いてしまった。
本当に、健気で可愛いカノジョだ。愛おしくて、堪らない。
「……ほら、行くぞ」
彼女の手を取って、階段を進んでいく。
しかし、ぐっと彼女は踏ん張ってその力に抗った。
「ちょっと待って下さいまし」
「ん?」
「探索の前に、一つだけよろしいですこと?」
「何だよ」
果凛は俺から手を離して、じっとこちらを見ると……とびっきりの笑顔で、こちらに微笑み掛けた。
「蒼真様と出会えて、こんな女を受け入れて下さって……わたくし、本当に幸せですわ」
「こんな、なんて言うなよ。それを言うなら、こちらこそ、だ。こんな俺を追い掛けてきてくれて……ありがとな」
こんな、ただ死なないだけしか取り柄のない男に好意を持ってくれて、追い掛けてくれて、ありがとう。
果凛がこちらの世界に来てまだひと月も経っていないけれど、それでも……それでも、俺はこの上ない幸せを感じているし、それでいてきっと、救われていた。
果凛がいないまま夏休みを迎えていたらと思うと、本当にぞっとする。きっと今も俺は、孤独に過ごしていたに違いないのだから。
「ほら、こんな照れ臭い事の言い合いはもういいだろ。さっさと行こうぜ」
「はいっ!」
彼女の手を再び取って、階段を駆け降りていく。
程なくして、階段は終わり──どこか地下への階段を降りきった先、俺達の前に広がったのは意外な光景だった。それは、まるで昔の学校の教室のような空間。しかし、この場所は明らかに普通の教室ではなかった。
黒板の位置には大きな石版が嵌まっていて、その上には古代の文字が刻まれていた。教卓は時間の経過と共に色あせ、古びた椅子にはホコリが積もっている。学びの痕跡が色濃く残っていた。机の上には、古い教科書やノートが放置されていて、どれもが時間の流れを物語っていた。床や壁には、生徒達の足跡や落書きが時折見受けられた。
天井からは、シャンデリアが垂れ下がっており、その照明で薄暗い空間がわずかに明るく照らされる。教室の隅には図書室や実験室へと続く扉があり、それぞれの扉の先には過去の学びの場が広がっていることを感じさせた。
この地下の学びの場は、静かでありながらも、その空気は生きているようで、まるで学校がいつかの日に突如としてこの地下に移動したかのような感覚に包まれた。
この不思議な感覚は、確かにダンジョンに他ならない。だが、以前俺達が地下三〇階層まで進んだダンジョンとはえらく雰囲気が異なっていた。学校をダンジョンにしたかの様な場所。ダンジョンがその土地とかの影響を受けやすい説というのは間違いなさそうだ。
ただ、そうしてダンジョンの雰囲気に驚いていたのも束の間。廊下の方から何やらざわめきが聞こえてきた。そして、それは突如として増幅し、黒板の影や机の裏から、俺達のよく知る魔物達がわらわらと涌いて出てくる。どうやら、ここでも俺達を歓迎する者はたくさんいるようだ。
「おーおー、ここは一階層からいっぱいいるんだな。んじゃ、早速始めますか」
「ええ。準備はよろしいですの、蒼真様?」
「果凛との
「あら、それは頼もしいですわ」
果凛は楽しそうな笑みを浮かべてから、魔力を解放した。制服姿の愛らしい少女の姿から、魔法礼装──深紅のドレスを纏った異界の魔王へと姿を変え、ダンジョンに魔力の暴風をもたらす。
俺も剣を抜いて臨戦態勢に入ってからARレンズを操作し、配信開始ボタンをタップ。配信時間を示すカウンターが、動き出す。
こうして、俺達の三度目のダンジョンカップル配信が始まった。始まりの言葉は、もちろん決まっている。
「さあさあ、始めますわよ──わたくし達の
(第二部 了)
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【あとがき】
ここまでお読み頂きありがとうございました!
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