第12話 「さあさあ、始めますわよ──わたくし達の配信(ワルツ)を!」

 それから少し歩いたところで、俺と果凛が同時にぴたりと足を止めた。通路の曲がり角から、気配を感じたのだ。

 間もなくして、小柄で醜い生き物が姿を見せた。頭と鼻は大きく、耳が尖っていてしわしわな顔をしている。その数は五体。こちらの世界でもおなじみの魔物だ。


「……ゴブリンか」

「あらあら。どこの世界のゴブリンも、醜さはさして変わりませんのね」

「言ってやるなよ。そういう種族なんだ」


 五体のゴブリンは彼らの言語で何やら会話を交わし、下卑た笑い声を上げていた。

 美しい容姿をしている果凛に興味を示しているようだ。興味を示すのは勝手だが、さすがに相手が悪いというか、敵の実力くらいは見抜けよと思う。世界は違えど魔王だった子だぞ。


「蒼真様、もう配信はしていますの?」


 果凛はゴブリンから視線を逸らさず訊いた。

 五体のゴブリンの後ろの曲がり角に、もう数体いる。彼らが何か仕掛けてくる可能性もあるので、一応注意を払っているのだろう。


「まだしてないよ。一応果凛の力を確認してからの方がいいかなと思って」

「……? あれだけ死闘を尽くし合ったというのに、まだわたくしの力を信用して下さらないの?」


 果凛が不服そうに言った。

 ちょっと言い方がまずかったのかもしれない。


「いや、そうじゃない。あっちのお前の強さは誰よりも知ってるし、誰よりもこの身で味わってるさ。でも、その力をこっちでも完全に引き継げてるかどうかの確信はまだ持ててないだろ? 〈模倣コピー〉や〈魔眼ディストート・アイ〉は使えたけど、実際の戦闘力を転移した際に失くしてる可能性もあるだろうし」

「ああ、そういう事ですの。では──」


 果凛が一瞬口角を上げたかと思うと、次の瞬間には五体のゴブリンの背後に立っていた。目にも止まらぬ瞬足で移動したのだ。そしてもちろん、ただ移動しただけではない。

 ゴブリン達が彼女に気付いて後ろを振り返ろうとしたその時、その首は胴体から離れてごとりと地面に落ちる。まさしく、瞬殺だ。

 相変わらずの速さ。そして相変わらずの攻撃力。これと三日三晩戦っていたなど、自分でも信じられない。


「これでよろしくて?」


 果凛は唇を笑みの形に歪める。その妖艶で残酷な笑みは魔王であった頃の彼女を彷彿とさせるもので、一瞬背筋が凍った。

 そうだ。ついつい彼女の可愛らしい容姿や俺への愛情表現のせいで忘れてしまいがちだが、彼女は異世界の元魔王。俺の知る現代日本では極めて危険な存在だ。彼女が変な気を起こさないよう、しっかりと俺が彼女を御さなければならない。こんな力を外で振り回されたら大混乱だ。

 それも踏まえると、このダンジョン配信というのはちょうど良かった。こっちを存分に楽しんでもらうことで、リアル生活を大人しく過ごしてもらうとしよう。


「あ、ああ。でも、配信を始めるのはもうちょっと下に行ってからかな。今ので完全に魔物の方がビビって逃げちまった」


 俺は曲がり角の方を見た。先程まであったゴブリンの気配が消えていたのだ。果凛の強さを見て一目散に逃げたのだろう。


「あらあら、随分と嫌われてしまったものですわ」

「俺達クラスになると、大体七階層くらいまではこんな感じで敵がビビッて逃げちまうんだよ。敵が逃げるんじゃ視聴者も面白くないしな」

「そういう事ですの」


 果凛は俺の言葉に納得したかと思うと、こちらを不思議そうに眺めて小首を傾げた。


「……何だよ?」

「いえ……もしかして蒼真様、わたくしと会う前からDtuberをやってらしたのではなくて? 機材や知識も豊富ですし、初心者とは思えませんわ」

「うぐっ」


 果凛の手痛い指摘に、俺は思わず呻く。

 これだけあれやこれやと語ったらそう思い至るのも当たり前か。


「別に隠す事でもなかったんだけどな。やってたよ。でも、全然人気出なかったし、もうやめようかなって思ってたところ。人気あるのは派手な技持ってる奴ばっかりで、面白くないし」

「そうなんですの? では、これが大チャンスですわね!」


 果凛は嬉々として俺の手を取った。

 彼女の両手のあたたかみに、思わず胸がどきりと高鳴ってしまう。


「だ、大チャンス? 何の?」

「わたくしと一緒に有名になるチャンス、ですわ!」


 彼女は満面の笑みのまま、そう答えた。

 前向きで、失敗だとか悪い事が起きるだとかも一切考えていなくて。そんな彼女の笑顔が、妙に眩しかった。


 ──あー、そっか。本当に、純粋に果凛は俺と楽しむ事だけを考えてくれてたんだな。


 その笑顔からは、こちらの世界で新しい人生を歩もうとしている意気込みさえ感じさせられて、さっき一瞬でも魔王の頃の彼女と重ねてしまった自分が恥ずかしい。

 果凛に大人しくしててもらう為に配信をするんじゃない。俺もそんな彼女と一緒に楽しむ為に、今日から配信をしよう。ダンジョン配信にせよ、ゲーム配信にせよ、どちらも娯楽のようなもの。楽しくやらないと損だ。

 俺はそんな彼女の意気込みに応えるように、その手を取ってしっかりと頷いてみせる。


「……だな。よし、そうと決まれば、手応えのある魔物が出る階層まで急ぐか!」

「ええ、参りましょう。お供しますわ、蒼真様」


 こうして俺達は下層へと向かった。

 最初は果凛の思い付きで振り回されるようにして、カップルチャンネルを立ち上げさせられていた。正直、最初は気乗りしていなかった。

 でも、今は違う。早く果凛と配信がしたい。そう思うようになっていた。

 異世界から帰還して、元いた環境に戻ってきたにも関わらず、この世界はどこかつまらなかった。俺がいないまま時を進めたこの世界では、クラスのグループ分けが既に決まっていて完全に邪魔者扱い。いつの間にか発生していたダンジョンではDtuebe配信なんてものが流行っていたから手を出してみるも、全然注目されず。孤独で退屈なのは、学校でもダンジョンでもネットでも同じだった。

 でも、今は違う。隣には、果凛がいる。

 わざわざ俺の言葉を信じて異世界から転移してくれた魔王のカノジョが一緒なのだ。これを面白くないと文句を言うのは、さすがに筋が通っていないだろう。

 俺達はそのまま一気に八階層まで駆け下りていく。どうせ上層の魔物は俺達の力を目の当たりにすぐに逃げ出すので、移動も極めてスムーズだった。

 だが、八階層となると少し雰囲気も違ってくる。魔物の数が多いだけでなく、好戦的な種族も一気に増えるのだ。

 八階層に降り立つと、これまでの空気感の差を感じたのだろう。果凛は先程と同じく妖艶な笑みを浮かべ、ぺろりとその瑞々しい唇を舐めた。

 俺達は頷き合い、互いの準備が万端である事を知らせる。そして、果凛のこの言葉を皮切りに、元勇者の俺と元魔王のカノジョの配信が遂に始まったのである。


「さあさあ、始めますわよ──わたくし達の配信ワルツを!」

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