第37話 夏の風物詩とは
駅前に植えられた木々ではミンミンゼミが鳴き喚き、嫌でも夏が訪れたのだと事を自覚させられる。
今週が終われば夏休み。本来ならこんな暑い日にはクーラーの利いた部屋でのんびりそうめんでも食って過ごしたいのだが、俺達は昨日と同じく笹乃塚の地を踏んでいた。今日から短縮授業だったので、その足で大正フラミンゴの事務所へと向かったのだ。
まさか昨日来たばかりの場所に今日も来るとは思ってもいなかったので、さすがに辟易する。
「あー……あっつ。そういや果凛は暑くないのか?」
隣の彼女を見て訊いた。
真夏にも関わらず、彼女は長袖のワイシャツを着て薄手の夏用カーディガンまで羽織っている。見ているだけで暑くなってくる。そういえば彼女は転校当初からこの服装だった。
「わたくし、昔から暑さだとか寒さだとかに体温が左右されませんの。無意識のうちに魔力で体温を調整しているんだと思いますわ」
「ああ、それでいつも涼しげなのか。羨ましいな」
「蒼真様だって、灼熱やら電撃やら冷気やら毒やらを浴びてもいつもピンピンしておられたではありませんの。同じようなものではありませんこと?」
「全ッ然違う!」
「それは失礼いたしましたわ」
言って、果凛はくすくす笑う。
俺の〈
果凛はそれをわかった上でこうしてからかっているのだから、人が悪い。案外、負けた事を根に持っていそうな気がしなくもなかった。
「暑さとか寒さを感じないんだったら、それはそれで不便そうだよな。雪国でも半袖とかで過ごせるんだろうし」
「言っておきますけれど、わたくしだって暑さや寒さは感じますのよ? 外気温によって体温が悪戯に変動しないだけですわ」
俺の推測に、果凛が不服そうに反論する。ちょっと心外だったみたいだ。
そういえば、果凛は戦いでどれだけ動いても汗をかいていなかったし、今も炎天下の中にいるが汗ひとつかいていない。俺達とは身体の造りそのものが違うのだろう。
「でも、暑さとか寒さへの感度が低いなら夏の風物詩もあんまり楽しめなさそうじゃないか?」
「風物詩……? その夏の風物詩というのがよくわからないのですけれど、一体何ですの?」
果凛が訊いた。
どうやら、夏の風物詩に興味があるらしい。風物詩っていう言葉そのものがテンブルク世界にはないから、ピンと来ないのだろう。
「海に行ったり、プール行ったり、あとは花火とか夏祭りを行ったりとか、夏っぽい事をするって感じかな」
小さい頃は田舎のじいちゃんちに行けば大抵の風物詩を味わえたが、大きくなってからは行かなくなってしまった。
近いうち行ってみるのもいいかもしれない。親戚に果凛を紹介……ってのはさすがに気が早いか。
「なるほど……そういった夏のイベント行事に参加する事を言いますのね。そういえば、海に関しては同じクラスの男性から誘われましてよ?」
「何だと⁉ いつ⁉」
「ちょうど今日の休み時間、お手洗いからの帰りに。クラスの皆で海に行くから風祭さんもどうか、と訊かれましたわ」
おいこら待て。何で俺は誘われていないのに果凛だけ誘われるんだよ。
まさか果凛の水着目当てか⁉ 俺だって見た事ないのに! 下着姿はあるけど──って今はそれはいい。どこのどいつだ、その狼藉者は!
でも、ここで嫉妬心向きだしにしていては男が廃るというもの。余裕を持って切り返さなければなるまい。
「それで……果凛は何て返事したんだよ?」
「蒼真様も参加するのでしたら、とだけお伝えしましたわ。海で何をするのかもよくわかりませんでしたし、蒼真様が行かないのでしたらわたくしが参加する意味もありませんもの」
「……そっか」
その返答に、俺は心の底から安堵する。
色々からかったり悪戯されたりするけど、こういうところで良いカノジョだよなぁと思う。こう、実に俺を良い気分にさせてくれる返答だ。
どこのどいつか知らないけど、ざまぁ見やがれ。どうせ俺が補習で参加できなさそうというところで果凛だけ上手く誘い出そうと思ったのだろうが、そうは問屋が卸さない。異世界から俺を追い掛けてきた程なんだから、簡単にお前に靡くかってんだ。
まあ……そもそも、俺がいないところだと果凛を制御する者がいないし、危なっかしくて堪ったものではないのだけれど。恐ろしくて行かせれたもんじゃない。うっかり果凛に不埒な事をしようとしたバカがいたら、果凛なら間違いなく首を撥ね飛ばしてしまうだろうし、真夏のスプラッター祭り開催確定だ。それはそれである意味夏の風物詩なのだろうが、リアルスプラッターだけは許してはならない。
「でも、そうだな……クラスの連中はともかく、せっかく夏なんだし海は行きたいよな」
「海で何をいたしますの?」
果凛が首を傾げた。夏の風物詩というのは何となくわかったみたいだが、具体的に海で遊ぶ、という行為そのものがよくわかっていないらしい。
だが、それもそうかと納得する。テンブルク世界では海で遊ぶなどという文化そのものがあまりないだろうし──海は魔物が出るので危ないのだ──魔王である彼女からすれば、自然で遊ぶという事にも縁がないのだろう。
「うーん、泳いだり、浜辺で遊んだり……屋台でなんか食べ物を食べたり、貝殻を見つけたりとか」
「……それだけですの?」
「そう、それだけ。ただ遊ぶだけで、特に意味なんてないよ。夏の風物詩に限らず、大体のイベントがそんなもんなんだろうけど……多分、行為自体に意味はなくて、友達とか恋人とか、そういう特別な人と遊ぶ事に意味があるんじゃないかな」
今俺友達いないけど、という寂しすぎるツッコミが脳裏に浮かんだが、こっそりと流しておいた。自覚したら泣けてきた。俺だけ海に誘われないし。辛い。
とはいえ、根本の価値観が異なる果凛に夏のイベントを一緒に楽しんで~などと求めても、きっと楽しめないだろう。果凛はダンジョン配信でもしていた方が楽しそうだ──と、思っていたのだが……
「わかりましたわ。では、夏休みは海に参りましょう」
「え?」
予想外の言葉に、思わず驚いてしまう。
海で遊ぶ行為そのものに意味を見出させていなさそうだったので、まさか行くと言い出すとは夢にも思ってもいなかったのだ。
「……どうして驚いていますの? 恋人とする事に意味がある、と仰ったのは蒼真様でしてよ?」
「いや、まあそうなんだけどさ。海で遊ぶ意味がわからなそうだったから、承諾するとは思っていなくて」
「確かに、今のわたくしにはまだ意味はよくわかっておりませんけれど……それは行ってみてから確認してみれば良いのではなくて? それに、わたくしも蒼真様と色々なところにお出掛けしてみたいですわ」
果凛は柔らかい笑みを浮かべて、小首を傾げた。
その笑顔に、思わず胸がきゅんとしてしまう。ああ、ちくしょう。元魔王だけど、俺のカノジョ可愛すぎないか。
「そっか。うん、俺も果凛と色々行ってみたいって思ってたから、嬉しいな」
「ええ。楽しみにしておりますわ。でも……」
「ああ。夏休みの前に、解決しなきゃいけない問題があるよな」
そこで、俺達は目を合わせる。緩んでいた表情が互いに引き締まっていった。
ダンジョンの〝
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