第54話 ダンジョンのある世界で
市長と校長先生と話がまとまってから、俺達は教室に戻って鞄を取ると、その足で一旦家に帰って準備をしてから、電車とバスを乗り継いで例の廃校へと向かった。
廃校まではそこそこ距離があるのだが、一度行ってしまえば果凛の〈
バス停付近の獣道を歩く事一〇分、草と蔓で覆われた門をくぐると、そこには時を忘れたような廃校が佇んでいた。
廃校に着いたのは正午だったが、深い森の中にある忘れ去られた小学校は薄暗く、気味が悪い。十分昼間でも肝試しになりそうである。
「確か、一階の突き当りにあるはずのない階段があるんだよな?」
「そう伺いましたわ」
「二階じゃなくて良かった。建物のボロさ的に階段の上り下りはちょっと怖いものがある」
「怪我をしないのに、怖いんですの?」
「そういう問題じゃなくてね……いや、そういう問題なのか」
俺達は相変わらず緊張感に欠ける雑談を交わしながら、早速廃校の中へと入った。
一歩足を進めるごとに、昔の校舎特有の古びた匂いが鼻をくすぐる。夏の強烈な日差しとは裏腹に、廃校の中は涼やかな陰気さを持っていた。
木製の戸や窓が劣化し、風に吹かれてきしむ音が聞こえる。無数の足跡が遺された廊下のタイルは、年月によってひび割れ、色あせていた。古びた臭いは、かつて何人もの生徒が行き交ったであろう教室からも、体育館の床からも、あらゆる場所から立ち上ってくるように感じられた。
校舎の中を歩いていると、夏の初めのような青臭さと、古い教科書やノートの紙の匂いが混ざり合い、一瞬、どこかの過去の風景を思い出させるような感覚に捉えられた。時間が止まったような古い木材、腐った紙、そして夏の湿気が混ざり合って生まれる匂い、その中には微かに鉄のような匂いも感じられた。この匂いは、かつて子どもたちの笑い声や先生の語り声が響き渡っていたであろう教室や廊下の隅々まで染み付いている。埃っぽさとともに、懐かしさや寂しさを感じさせるその香りは、昔の校舎が持つ特有のものだ。
「何だか、独特の臭いですわね」
「ああ。廃校ならではって感じだな」
廊下を歩きながら、その匂いを深く吸い込んでみる。
どこか懐かしさを感じつつも、自分とは無関係なこの場所に不思議な異国感を覚えながら、ダンジョンへの階段があるであろう廃校を探索していった。
「それにしても、蒼真様の補習がなくなって本当に良かったですわ」
教室に入って古びて傷んだ机に触れると、果凛は柔らかく微笑んで言った。
「どうした、いきなり?」
「いえ、せっかく夏にお出掛けする約束をしましたのに、肝心の予定が組めておりませんもの。ただの廃墟探索でも、わたくしはこうして一緒にお出掛けできて、嬉しいですわ」
果凛が頬に携えた笑みは本当に心から嬉しそうなもので、嫌味でも気遣いでもなく、心からそう思っている事が伝わってきて、思わず俺も頬が緩んだ。
廃校の肝試しも夏の風物詩でもあるし、一応目的も達成できているかもしれない。あとは海や花火や夏祭りだけど……海は兎も角、人が多い花火や夏祭りは騒ぎになりそうだなぁ。
「せっかくのデートがこんな味気ない場所で申し訳ないけどな。でも、毎日配信しなくちゃいけないわけでもないし、学校で補講を毎日受けてるだけより全然楽っちゃ楽か。課題だけで二学期以降本当に勉強ついていけんのかっていう不安もあるんだけど」
「それなら安心して下さいまし。テスト前に、わたくしが朝までしっかりと教えて差し上げますわ」
「……結局大変なのは変わら無さそうな気がするんだけど」
まあ、大変そうではあるけども、果凛に勉強を教えて貰えるなら、それはそれで悪くないのかもしれない。
補習中もよく勉強を手伝ってもらっているけれど、彼女は教えるのが上手い。それに、好きな女の子から勉強を教えてもらうというシチュエーションは、それなりに良いものだ。ダンジョンには色々人生を助けてもらっている気がする。
「それにしても、このダンジョンって結局何なんだろうな?」
そこでふと疑問に思い、俺は口に出してみた。
果凛は軋む足元に視線を送りつつ、小首を傾げる。
「さあ……? ダンジョンが異空間と繋がっていて転送されている、というのは何となくわかりましたけれど、それ以上の事は何とも言えませんわ」
「異空間と繋がってる、か……まあ、まだ見つかって間もないしな。これから解明されて、色々わかってくるんじゃないか?」
まだダンジョンができて、数か月。人類にとって未知のものであるのだから、わからない事が多くて当然だ。
果凛は悪戯っぽく笑って言った。
「そうとも言えませんわよ?」
「え?」
「いきなりダンジョンが消えて、元の世界に戻ってしまう可能性だってありますわ」
「なるほど……」
それは考えていなかった。
もし今ダンジョンがいきなり消えてしまったら、政策とか法律とか色々作り変えている御国にとっては悲惨だ。これまでの時間や労力などが全て無駄になってしまうのだから。
まあ、なくなったらなくなったで平和なのかもしれないけれど。ただ、一度シーカーとして味を占めた人は元の生活に戻るのも大変そうだ。
シーカーやDtuberとして十分に俺達もやっていけそうだけれど、それでも俺が学校の補習や進級を大事にしているのは、もしかすると頭の片隅でいつかダンジョンが終わると思っているからかもしれない。異世界テンブルクでの冒険が、魔王を倒して終わってしまった時のように、このダンジョンがある世界も何かを達成した時に終わってしまう可能性もある。
「もちろん、そういう可能性がある、というだけでしてよ。こうして新しいダンジョンが発見されているわけですし、まだまだそうはなりませんわよ、きっと」
「ま……いずれにせよ、ダンジョンの謎解明は俺達の仕事ではないよな」
「ええ。わたくし達はただのシーカーで、ただのカップル配信者ですもの。これも、デートの一環ですわ」
果凛の微笑みに、俺は肩を竦めてみせた。
ダンジョンの謎が解明されるのか、ずっとこのまま謎に存在するものとしてあり続けるのか、それとも果凛の言うようにいきなりふっと消えてしまうのかはわからない。
でも、ダンジョンの謎を解明するのは、俺達の仕事ではない。彼女の言う通り、俺達はただカップルでダンジョンを探索し、その様子を配信するだけのダンジョンカップルDtuberなのだから。
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