第34話 実は甘えん坊な元魔王カノジョ

 撮影を終えて、笹乃塚駅から地元の最寄り駅まで戻ってきた時である。

 隣を歩いていた果凛の様子がふとおかしい事に気付いた。口数も少ないし、どこか神経を尖らせているような感覚。不機嫌、というのとは少し違うのだけれど、これまでとは何かが違う様子だった。


「……果凛?」


 呼び掛けてみるも、彼女は無言でさくさく歩くだけ。歩く速度も普段より速い。

 もしかして追っ手か何かか? 大正フラミンゴとダンジョン外でもコンタクトを取ってから、彼女らを張っていた何者かが俺達の後を付けているとか?

 そう思って周囲に気を配っているが、何かに付けられている気配はない。こちらに向けて何か特別な感情を向けている人間もいないように思う。


「おい、果凛。どうした? 何かあったか?」

「申し訳ありませんわ。今は急いで下さいまし」


 彼女の横に並んで小声で訊いてみるも、二言で終わらされてしまった。

 俺でさえも気付けない追っ手なのだろうか。会話さえも聞かれてしまう程の敵? それだと、むしろ家まで連れていってしまうのはまずいのではないだろうか。

 咄嗟にそう思うも、果凛はこの通り言葉少なく家路を急ぐのみだ。

 果凛が俺や母さんが不利益を被るような事をするとは考えにくいし、もし敵が何か手を打ってきた時は、迎撃してくれるはずだ。

 でも、俺がここまで気付けないのに果凛だけが察知できる敵ってこっちの世界にいるのか? 俺、テンブルク世界ではソロで勇者してたから、追っ手とか索敵にはかなり敏感な方なのだけれど。

 しかし、特にその後何か変化があるわけでもなく──もちろん追っ手の気配を感じることもなかった──そのまま帰宅。母さんは仕事で今日も家を空けており、リビングは夏の蒸し暑い空気で覆われていた。

 とりあえず冷房を二十三度に設定して強風にしてから、ソファーにぽんと鞄を置く。果凛はというと、何やらうずうずしている様子だ。


「果凛? さっきから一体どうしたんだ? 何かあるなら教えてくれても──」

「蒼真さまぁ~ッ」


 俺の質問は果凛による腹部への体当たりで見事に遮られた。そのままタックルで押し倒されるかの如く、俺は後ろのソファーに腰を落とす。

 果凛は変わらず俺の腰を抱きかかえたままだ。全く状況が理解できなかった。


「え……果凛⁉ ちょっと待って、どういう事⁉」

「蒼真様がくっついて下さらないから、寂しかったですわっ」

「はい⁉ くっつく⁉」


 ダメだ、説明を聞いても全然意味がわからなかった。むしろもっと意味がわからなくなった。


「いや、え⁉ なんか敵に後を付けられてるとかそういうヤバイ雰囲気の話じゃなかったの⁉」

「違いますわよ。そんな愚かな方がもしいらっしゃったなら、ここに着く前に灰に変えて差し上げていますわ」


 果凛は憤然とした様子で言った。

 なになに、果凛のこのテンションもこの状況もさっぱりわからないんだけど、一体何がどうなってこうなっているの?

 だから、俺はこう訊くしかない。


「えっと……つまり、どういう事?」

「だってだって、お外じゃくっついてくれないんですもの」

「いや、そりゃ外ではべたべたくっつかないけどね⁉ そんな陽キャムーブみたいな事できないよ俺⁉ ってかこれまでした事なくない⁉」


 ダメだ、やっぱり理由を訊いてもさっぱりわからない。

 何だ? 果凛に精神異常魔法でも掛けられているのか? それとも、暑さでやられたとか? でも、果凛はあまり気温などにそこまで体質が左右されないのか、この真夏に汗もかいていないし、今もほんのりと体温を感じるだけだ。むしろ俺に抱き着いていたら果凛の方が暑いと思うのだけれど。


「それは、そうなのですけれど……でもでも、わたくし、撮影中はずっとおとなしくしておりましたわ」

「そ、そりゃ……大人しくしていてもらわないと困るんだけど」


 何が言いたいんだろう?

 今日の大正フラミンゴとの対談ではあまり変な事は言わず当たり障りない程度の発言に留めろとは申しつけてあったけれど、それの事だろうか。果凛は地頭が良いので要領を得ない事はあまり言わないのだか、今回ばっかりはさっぱりわからない。


「それなのに蒼真様ったら、ハルさんとモエさんの方ばかり見て……今日はほとんどわたくしの方を見て下さらないんですもの」


 あー、なるほど。ちょっとだけわかってきた気がした。

 要するに、あれか。俺がハルさんとモエさんばかりに気を遣っていたから、それが気に食わないとか、そういう感じの嫉妬的なやつだろうか。いや、可愛いかよ!

 ただ、ちょっと待って欲しい。この言い方では俺がハルさんとモエさんにデレデレしていたみたいなニュアンスだが、現実では全くそういった話ではない。気は遣っていたが、デレデレには程遠い状況だった。あくまでも年配の人に失礼がないように接していただけである。


「わたくしが隣にいるのに、ひどいですわ! 浮気ですわ! わたくし、泣いてしまいそうでしてよっ」

「いや、待てって! 何でそうなるの⁉ 撮影中は対談形式で二人同士で向き合う形だったから、隣の果凛の方見れなくても仕方なくない⁉ っていうか画角的に俺がそっち見たらダメでしょ!」


 そうなのだ。

 今日の撮影は二対二の対談形式。正面同士で向き合って撮影していたので、俺が撮影中に果凛を見るのは結構難しいものがある。たまに会話の合間でアイコンタクト等はしていたはずだけれど、それでは物足りなかったという事だろうか。


「それはわたくしもわかっていますわ。それでも、大好きな殿方が別の女性をじっと見つめているのを隣で見ていると、胸が痛くなってしまいましたの」


 おおう……なるほど。

 そっか。でも、果凛にとっては異性とどうこうなるっていうのも俺が初めてなわけで、自分の好きな異性が誰か別の異性と親しげに話している、という状況も当然初めてだ。

 何となく、そういった嫉妬心なら昔好きな子がいた時に抱いた事があるのでわからなくもない。果凛にとっては初めての感情でどう扱っていいのかわからなかったのだろう。

 先程の下着云々の話で俺をいじっていたのも、もしかするといじっているように見せかけて彼女達に牽制していただけだったのかもしれない。私と彼は下着を選び合う程の仲なのよ、と。だから手を出さないでね、と。そうであれば、あの強引な話にも少し納得ができた。

 うん、どう考えても俺完全に被害者だけどね。


「え~っと……じゃあ、駅に着いてから妙に速足だったのは?」

「早く蒼真様にくっつきたくて、イライラしてしまっていただけですわ」

「えぇぇぇぇぇ……」


 俺が想定していた事よりもはるかに緊張感のない状況だった。

 なんだそれは。神経をすり減らしながら帰宅していあのがアホみたいだ。


「ですから蒼真様、早くぎゅってして下さいまし。そうでないとわたくし、悲しいですわ、苦しいですわ、泣いてしまいますわ~!」

「わ、わかったから! 泣くなって。な?」


 本当に泣かれてしまいそうだったので、ぺたん座りをしたまま俺の腰に縋りつくようにしている果凛の頭をよしよしと撫でてやる。

 そうしてやっていると、果凛もようやく自らの感情を制御でき始めたのか、徐々に落ち着きを取り戻していった。今では表情も綻んでいって、何だか温泉にでも浸かっているかのようだった。


「落ち着いたか?」

「……はい。申し訳ありません。少々取り乱してしまいましたわ」


 こう冷静に言っている元魔王様だが、体勢は先程と変わっていない。相変わらず俺はソファーに押し倒しされたままであるし、彼女はぺたん座りのまま正面から抱き着いており、頭を撫でられている。

 俺が死闘を繰り広げたあのテンブルク世界の魔王は一体どこにいったのだろうか……?

 そう疑問に思ってしまうが、彼女が気持ち良さそうなので、そのまま頭を撫でてやった。


「これでいいのか?」

「はい……」


 おかしい、俺の元魔王のパートナーはいつから猫だか犬だかになったんだ?

 もしかして、実は果凛は結構甘えん坊なところがあるのだろうか。


「はぁぁ……幸せですわ。まさしくこの世の至福……蒼真様のお腹は極楽浄土かもしれませんわね」

「俺の腹部を勝手にそんな凄いものに置き換えないでくれ。っていうか極楽浄土ってどこで覚えたんだよ。そっちにはない言葉だろ」

「そんな事、どうだって良いではありませんの。それよりも、もっとぎゅ~っとして下さいまし」


 果凛は言いながら、言葉通りぎゅ~っと俺のお腹を抱き締める。

 その期待に応えるべく、俺も少しだけ前屈みになって彼女の肩を抱き締めてやる。その拍子に、ふわりと彼女の良い匂いが鼻腔を擽った。

 夏場に外に出ていたのに、こいつはどうしてこんなにも良い匂いをしているのだろう? 女の子って凄いな。


 ──いつまでこうしてればいいのかなぁ。この体勢のままくっついていると、俺の理性も結構やばいんだけど。


 むくむくと膨れ上がってくる自らの欲求を、なけなしの理性で必死に押し留めながら、そっと彼女の細い肩を抱き寄せる。

 これはこれで、凄い苦行だった。

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