第24話 魔眼の制限

 ポータルオーブを用いてダンジョンから出ると、俺達は人目を避けるようにして家へと帰った。

 Dtubeで絶賛バズり中の高校生カップルダンジョン配信者を一目見ようと、入口付近で出待ちがされていたのだ。

 果凛が機転を利かせて咄嗟に姿隠しの魔法で俺達の姿を一時的に消してくれたからよかったものの、あれがなければ家に帰れたのはいつになるかわからない。

 ちなみに、先程チャンネル登録者数を見たら一万を越えていた。一日にして〇から一万はさすがに心が追い付かない。一旦俺はDtubeアプリの通知を切り、Dtube関連のニュースが送られてこないように設定をしておいた。このままずっと通知が鳴り響いていたり、ネットニュースで自分達が取り上げられているのを見たりしたら、気持ちが一向に安らがない。


「ただいまー」

「お邪魔いたしますわ」


 家に帰ると、俺と果凛がそれぞれの挨拶で帰宅を告げると、リビングからパタパタと母さんがやってきた。

 さて……俺が果凛と一緒にいるのをどんな風に見るのか、母さんがどんな反応をするのか全く想像がつかない。〈魔眼ディストート・アイ〉で色々改竄してくれているらしいけれど、人格まで変えられていないだろうか?

 母さんは俺と果凛を見るや否や、にっこりと微笑んだ。


「あら、おかえりなさい。ふたりとも。もう仲良くしてくれているようでよかったわ!」

「はい、お母様。蒼真様には優しくしてもらっていますわ」

「それならよかった!」


 わかっていたけれど、それでも何食わぬ顔でこの二人が会話をしているのが信じられない。恐ろし過ぎないか。

 母さんは俺の方を向き直り、申し訳なさそうに眉を曲げた。


「ごめんね、ソーくん。私てっきりソーくんに伝えたものだと思っていたんだけど、うっかり忘れちゃってたみたいで……びっくりしたわよね? いきなり風祭さんのところの娘さんがうちで下宿するなんて」

「い、いや……まあ、大丈夫」


 俺は引き攣った笑みで答えてみせる。

 うっかり忘れていたも何も、今朝俺が家を出る際には母さん自体そんな事を知らなかったのだから、伝えられなくて当然だ。

 予めわかっていたが、やっぱり母さんはしっかりと記憶が改竄されていた。それも何も不自然さがなく、恐ろしい程に自然に。〈魔眼ディストート・アイ〉の恐ろしさを改めて体感している気がした。

 こんなにも簡単に、人の記憶というものはいじれてしまうのだろうか。


「夕飯、もうすぐだから待っててね。あ、お風呂沸かしてあるから、果凛ちゃん先に入っちゃって」

「ええ。わかりましたわ」


 果凛と母さんがにっこりと笑みを交わすと、そこで母さんがぎろっと睨んで歩み寄ってくる。そして、耳元でこう囁いたのだった。


「いくら果凛ちゃんタイプの子だからって、お風呂は覗いちゃダメよ? そんな事したら、さすがにお母さんも怒るからね」


 もう一度警告の意図も込めてひと睨みしてから、母さんは台所へと戻って行った。

 いや、覗かんわ。そんな事やって万が一怒りを買おうものなら、大変な事になってしまうし。

 というか、だから何で果凛みたいな子がタイプだって知ってるんだよこの母親は。いつバレたんだ? 同人誌もどうやって知った?

 色々問い詰めたいが、自爆しそうな気がして触れられない。

 そんな俺を見て、果凛は悪戯っぽく笑った。


「……脱衣所の鍵、開けておきましょうか?」

「いや閉めろよそこは! 遠慮なくがっつりと閉めて下さい!」

「冗談ですわよ。お風呂、先に頂いてしまいますわ」


 そのまま果凛は我が家の浴室へと向かっていった。

 俺は彼女の背中を見送りつつも、何とも言えない気持ちが胸の中を渦巻く。

 彼女がこの家で暮らす事も今となっては別に構わないし、一緒にカップルチャンネルをやるのも楽しそうだ。別に、果凛と今みたいな付き合い方をするのは嫌じゃない。

 ただ、やっぱり……それでも、母さんの記憶が綺麗に改竄されているのを見て、そこに対してとても嫌な気分になった。

 その感情に行き当たった時、俺は彼女を呼び止めていた。


「待て、果凛」

「……どうしましたの? そんなに難しい顔をされて。あ、やっぱり脱衣所の鍵を──」

「そうじゃない。そういうおふざけじゃなくて、ちょっと真面目な話がしたいんだ」

「ええ……構いませんけれど」


 果凛はこちらを振り返り、きょとんとして首を傾げている。

 何の事か全く思い当たってないようだ。

 これを言うと果凛は怒るだろうか? でも、やっぱり言うだけ言っておいた方が良い気がする。それは俺が人間の立場として、そして彼女と敵対関係にならない為の条件でもあるような気がしたのだ。これで揉めたら揉めたで、ちょっとまだ話し合いが必要だろう。


「いや、あのさ……この際だから言っておくけど、あんまり〈魔眼ディストート・アイ〉は使わないで欲しいんだ。単純に俺が果凛にそういう事して欲しくないってだけの身勝手な理由なんだけどさ」

「詳しく聞いてもよろしくて?」


 果凛は表情を引き締め、俺の方をじっと見据えた。

 その心中は計り知れない。怒っているのか、純粋に疑問に思っているのかの判断がつかなかった。


「たとえば、もし俺が〈魔眼ディストート・アイ〉を使えたとしてさ。〈魔眼ディストート・アイ〉で果凛の記憶を改竄して、俺との約束や記憶をなかった事にされたりとかしたら、嫌じゃないか? 俺だったら凄く嫌だ。なんていうか……記憶があってこその自分だと思うしな」

「それは……わたくしも嫌ですわね。今ここで蒼真様についての記憶がなくなってしまったら、どうしてこちらの世界に自分が存在しているのか、その存在意義がわからなくなってしまいますもの」

「だろ? だから……〈魔眼ディストート・アイ〉に頼るの、やめてくれないか? 学校とか警察とか、生活する上でどうしても必要になる事もあるのかもしれないし、そういう時は奥の手として使うのも致し方ないんだけどさ。でも、俺は単純に……果凛に、人の想い出を奪ったりだとか消したりだとか、そういう事をして欲しくないんだ」

「蒼真様……」


 果凛は黙り込むと、視線を床に落とした。

 怒っているというより、落ち込んでいるという感じだった。やっぱりちょっと、傷つけてしまっただろうか。


「……わかりましたわ。蒼真様が嫌がる事はしたくありませんし、なるべく使わないようにいたしますわね」


 そこまで言ってから果凛は一旦間を置くと、「でも」と紡いだ。


「蒼真様が懸念している事は、〈魔眼ディストート・アイ〉では起こり得ませんわ」

「え?」

「買い被り過ぎ、という事ですわ。記憶の改竄と言いますけれど、わたくしの〈魔眼ディストート・アイ〉はそれほど便利なものでもありませんの」

「お前の〈魔眼ディストート・アイ〉は記憶を改竄できるんじゃないのか? 実際にその力で学校に転校してきたり、うちに住んでるわけだろ?」


 果凛の言っている事がわからず、俺は疑問に思っている事をそのまま訊いた。


「ええ。記憶の改竄は確かに可能ですわ。ですが、それは『その方にとってどうでもいい記憶』だけに限られていますの。その方の人格形成に関わる記憶や、直接強い結びつきがある想い出までは改竄できませんわ」

「なるほど。じゃあ、例えば家族や友達とか、その人にとって近しい人の記憶についてはいじれないって事か」


 果凛はこくりと頷いて続けた。


「たとえば、お母様から蒼真様の記憶や想い出を消すのは不可能ですわ。だって……お母様にとっての蒼真様は、他に代え難い大切な息子。そんな大きな記憶を消せる程の力は〈魔眼ディストート・アイ〉にはありませんのよ。わたくしがいじれるものなんて、せいぜいその人にとってどうでもいい記憶、思い違い程度のものですわ」


 そこまで説明されて、ようやく意味がわかってきた。

 思い違い程度の記憶しか改竄できないからこそ、こちらで存在していなかった果凛は簡単に『風祭果凛がいた』と色んな人の記憶に書き込めたのである。

 その逆も然りで、『そんな人物などいるはずがない』と確信を持たれてしまう記憶がその人にあれば、〈魔眼ディストート・アイ〉は効果を発揮できない。

 果凛がうちに居候をするに当たって、、即ち伯母の義妹の姪などという遠すぎる親戚に自分を設定したのも、それが理由だ。それくらい遠くないと、『そんな親戚などいない』と〈魔眼ディストート・アイ〉が効果を発揮できないのだ。


「ですから……先程蒼真様が懸念しておられたような事は起こりえませんの。どうかご安心下さいまし」


 果凛はそう言って力なく笑うと、脱衣所の方へと歩を進めた。その背中は心なしか、寂しそうだった。

魔眼ディストート・アイ〉──それさえあれば何でも人を意のままに操れると思っていたが、完全に俺の思い違いだった。『どうでも言い記憶』を書き換えられるだけでも便利な力ではあるけども……それは何だか、とても寂しい事のようにも思えた。

 果凛が誰の記憶にもいない存在だからこそ、〈魔眼ディストート・アイ〉が有効であると言っているようなものだからだ。


「〈魔眼ディストート・アイ〉がもっと通用といいな」


 気付けば、俺はそう言っていた。

 当然、果凛は怪訝な顔でこちらを振り返る。


「どういう意味ですの?」

「お前の〈魔眼ディストート・アイ〉が通用しないって事はさ、そんだけ多くの人にとって風祭果凛っていうひとりの人間が印象に残ってて、大きな存在になってるって事だろ?」

「え……?」

「確かに、果凛は異世界からきた存在で、こっちの世界では誰にも知られてなかったのかもしれないけど……〈魔眼ディストート・アイ〉が通用しなくなるくらい認知されてるなら、もうこっちの世界の人間みたいなもんじゃんか。今日一日果凛と一緒に過ごしてたら、そんな世界になったらいいなって素直に思ったよ」

「な、何を仰って……」


 彼女の反論は、途中で途切れていた。

 その黄金色こがねいろの瞳から、雫がぽろりと零れ落ちた為だった。そこからぽろぽろと頬を濡らし、果凛は慌てて自らの手でその雫を拭い去る。


「ち、違いますわ! 泣いてるわけじゃ……そ、そう! ただ目にゴミが入っただけでしてよ!」

「ふーん、そっかぁ」

「にやけないで下さいまし! 調子が狂いますわ」

「はいはい、わかったから早く風呂入ってこいよ」

「──~~ッ!」


 彼女は顔を赤く染めて、どこか怒ったような、羞恥に耐えているような、それでいてどこか嬉しさも混じったような何とも言えない表情のまま、ふいっと顔を背けると、そのまま脱衣所へと入ってしまった。

 クールなように見えて、いつも余裕があるように見えて、案外そうでもない時もあって……今日一日で、果凛の色んな一面を見れた気がする。

 どうやら元魔王で俺のカノジョは、思っていた以上に可愛げがあるらしい。

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