第25話 真夜中の薄暗いリビングにて重ね合う

 果凛の居候生活は、思ったより問題なく進んでいた。

 問題はせいぜいお風呂上がりや見慣れないパジャマ姿にドキドキさせられたくらいだ。まあ、玲瓏妖艶な美少女のそんな姿を自宅の中で見せられる事それ自体が健全な青少年にとってかなりの問題なのだけれど、そこは触れてはいけない。ちょくちょく果凛がからかってくるが、それについても触れてはいけない。情けなくなってくる。

 そんなこんなで夕食を取り、風呂に入り、就寝時刻。さすがに今日は色々あり過ぎて疲れていたのですぐ寝れると思ったが──目がギンギンに冴えてしまって、全く睡魔が訪れなかった。

 それもそのもはず。昨日の夜と、今夜では何もかもが異なる。

 先程の配信でバズっているのはもう既知なので、スマホやインターネットとも今は完全に距離を置いている。自分の切り抜き動画なんかが目に入ったり、自分に対する記事等を目にすると余計に寝れなくなってしまいそうだったからだ。

 とはいえ、そうした対策を取っても全く眠気が襲ってこなかったので、仕方なしに誰もいないリビングまで降りる。冷蔵庫の中にある冷えたお茶をコップに入れ、ソファーに腰掛け小さく息を吐いた。

 しんと静まり返ったリビングの中にいると、別に何も自分は変わっていないのではないかと思うが、ネット上はそうではない。さっきちらっとだけDtubeを開いてみたら、チャンネル登録者数が二万になっていた。基本的に孤独に生きてきた俺にとって、この規模のバズりはさすがに心臓に悪い。Dtuberをするなら慣れないといけないのだろうけども、初めてでここまで伸びるだなんて夢にも思っていなかった。

 明日は学校でどんな風になるのだろうか。どんな風に扱われるのだろうか。全く予想できなくて、不安と期待が入り混じって余計に目が冴える。

 退屈で刺激がなかったから始めたダンジョン配信。いつも異世界でも現世でもひたすらソロで注目がされなかった自分が一夜にしてこうまで変わるとは思ってもいなかった。

 早く眠くなれ~と思いながらお茶で喉を潤していると、ふと背後から声が掛かった。


「あら。こんな夜遅くに悪巧みですの? わたくしも混ぜて下さいまし」


 異世界テンブルクの元魔王にして今や何故か俺のカノジョで同居人らしい風祭果凛。お風呂を上がってから、ツインテールだった髪は肩あたりでゆったりと結ばれており、今はおさげになっている。これはこれで、物腰が柔らかくてどこか大人びたイメージを抱かせるから不思議だ。

 彼女は二階にある俺の二つ隣の部屋を貸し与えられているので、階段を降りる音で起こしてしまったのだろう。

 どこか蠱惑的な笑みを頬に携え、彼女は俺と同じソファーに腰を掛けた。


「いや、別に何も悪巧みなんてしてないよ。ただ眠れないだけ」

「わたくし達の事、色々ネットニュースになっていましたわよ?」

「俺が寝れない理由を見抜いた上でダイレクトアタックするのやめてもらっていいですか。せっかくスマホの電源切ってるのに」

「スマートフォンを見ていなくても、寝れていないのは同じではありませんこと?」


 果凛は微妙に皮肉っぽく喉の奥でくすくすと笑った。手で口元を覆って上品に振る舞うその様子が可愛らしく、そこで可愛いと思ってしまう自分に余計に腹が立ってしまう。


「いや、なんつーかさ。多分寝れないのはそれだけじゃないんだ」

「あ、お風呂を覗けなくて悔やんでおりますの? それでしたら明日以降も鍵は──」

「お風呂じゃねーよ! 別にそこに後悔して寝れてないわけじゃないから! あと鍵はしっかり掛けろ!」


 一体果凛の中で俺の人格はどういう設定にされているのだ。

 あの同人誌を見られてしまっている時点でスケベ男と認定されているのかしれないけれど、十代男子、いや、男はいくつになってもスケベなので何も否定できない。


「違いましたの? それは残念でしたわ。わたくし、蒼真様とならお風呂をご一緒しても構わないと思っていましたけれど」

「俺が構うからダメです!」

「あらあら、振られてしまいましたわ。悲しいですわ、泣いてしまいますわ」


 相変わらず彼女は俺をからかって楽しそうに笑っている。

 完全に玩具にされている俺である。絶対に異世界で戦いに負けた事を根に持ってるだろ、この女。


「そうじゃなくてさ……今日色々あって、朝から晩まで騒がしくて、なんかすげー大変だったんだけど……同時にすげー楽しかったなって思って」


 そう。俺が興奮冷めやらず眠れないのは、きっとこれが原因だった。

 今日は一日、果凛に引っ掻き回された。でも、それは不思議と苦痛ではなくて、単純で同じサイクルの繰り返しだった俺に、明らかな変化を生んでくれたのだ。


「俺さ……ずっと独りだったんだ。異世界でもこっちでも、仲の良い友達もいなくてさ。いじめられてたとかとは違うんだけど……どうにも友達とか仲間とかっていうものと縁がなくて」


 俺は自嘲と呼ぶにはやや辛辣な笑みを浮かべて続けた。

 これは紛れもない事実だった。中学で仲が良かった友達とは別々の高校になり、高校に入ってからは仲の良い友達も作れなかったのだ。


「クラス替えがあったと思ったら異世界に転移されて、戻ってきて目覚めたら七月になってて、新しいクラスでももうぼっち確定でさ。ダンジョン配信してもぼっちだし、視聴者もチャンネル登録者数も増えないし。なんか、ずーっと独りだったなって思って」

「蒼真様……」

「そんな時に果凛が現れて、いきなり同じクラスになって、いきなり付き合って同居する事になって、ダンジョン配信も一緒にして、バズって……正直、ちょっとメンタルがついていかないぐらい目まぐるしかったんだけど、でも……それでも、果凛がいてくれて良かったって思ってる」


 そこまで言ってから、はっとする。

 俺は一体いきなり何を語り出してるんだ。これではまるで告白しているみたいじゃないか。いや、もう付き合ってるんだから告白も何もないのか? 未だに色々心の整理がついていない俺である。

 果凛は少し間を置いてから、力なく笑って言った。


「……わたくしも一緒ですわ」

「え?」

「わたくしも昔からひとりでしたの。魔力があり過ぎる、というと自慢に捉えられてしまうかもしれませんけれど、この力のせいで勝手に魔王候補に挙げられていて、子供の頃から魔王軍の象徴扱いでしたわ。同世代のお友達なんて、できるわけありませんわよね。周りに人はいましたけれど、それでも心の中では……いつも孤独を感じていましたわ」


 果凛が寂しげに顔を伏せた。

 そうだったのか。そういえば、果凛が魔王になっていた理由などについて、俺は一切知らなかった。

 異世界に召喚され、そこには人類と敵対する種族がいて、その長が魔王だった。俺はその魔王を倒さなければ元の世界に帰れなかったから魔王の立場など気にした事がなかったが、彼女の方にも似たような事情があったのだ。


「そんなわたくしと初めて正面からぶつかってくれたのが、蒼真様でしたわ」


 果凛は俺の方を見据えて、俺の手を両手で優しく包んだ。

 そして、魔王と呼ぶには些か相応しくない、優しい笑顔を浮かべる。


「お互い魔王と勇者の役割を無理矢理背負わされていて、立場や目的の為に引くわけにもいかなくて、そこに腹を立てていながらも心の中では相手を傷つけたくないとも思っていて……あちらで繰り広げたわたくしと蒼真様の戦いというのは、きっとそんな想いのぶつけ合いでしたのね」

「そっか……正反対の立場なのに、実は似た者同士だったんだな、俺達」

「正義の象徴と悪の象徴が似た者同士でしたなんて……とんだ笑い種ですわ」


 お互いにそこで笑みを交わし合ってから、じっと見つめ合って、次第に笑みが薄れていく。

 宝石みたいな黄金色の瞳が、俺を捉えていた。その宝石の中に俺が映っていて、きっと同じように俺の瞳の中に映る自分を、彼女も見ているのだろう。

 彼女が何を求めているかなんてのは、明らかだった。きっと、俺も同じ事を求めていたのだから。

 果凛の黄金色の瞳がゆっくりと瞼で覆われた。それに釣られるように俺も瞳を閉じて──互いの顔を寄せ合う。

 重なる二人の唇。

 彼女の柔らかな感触と体温、息遣いが重なり合う箇所を通じて伝わってくる。その時間は一瞬だったにも関わらず永遠のように長くて、まるで時間が停まったかのようだった。

 ゆっくりと唇を離して再び目を開けると、頬を赤らめて何とも言えない顔をしている彼女の顔が視界に入ってくる。きっと俺も似たような顔をしていたのだろう。お互いに照れ臭くなって、ぷっと吹き出した。


「そんなに情熱的に見られたら、照れてしまいますわ」

「うっ、ごめん」


 お互い恥ずかしそうに視線を逸らす。

 この胸の高揚感と恥ずかしさと、溢れ出る感情をどうやって処理すればいいのかわらかなかった。もっと突き進みたいという気持ちに駆られると同時に、それはまずいだろうと思い留まろうとする気持ちもあって、その葛藤が堪らなくもどかしい。

 果凛はそんな俺の本音を読み取ったのか、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「わたくし、今夜このまま食べられてしまうかもしれませんわね」

「あ、あほか! 何言ってんだよ」


 心が読まれた気がして、思わず動揺してしまう。

 もしかして〈魔眼ディストート・アイ〉で読み取られたのかと一瞬本気で思ってしまった。俺には効かないとわかっているはずなのに。

 彼女はそんな俺の心情を見抜いたのか、からかうのを止めなかった。


「あら、食べて下さいませんの? 残念ですわ」

「いきなりそこまでいけるわけないだろッ」


 実家だし。リビングだし。母さん寝てるし。この状況でできるほどの度胸はない。

 というか、そんなヒヤヒヤした状況で記念すべき瞬間を迎えたくない。ここで事に及んで母さんにバレでもしたら、俺の方から〈魔眼ディストート・アイ〉を使ってくれと果凛にお願いしなければならなくなってしまう。


「その言い方ですと、〝いきなり〟でなければ問題ない事になってしまいますわよ?」

「うぐっ……ちゃ、ちゃんと段階を踏んだら、って事だよ」

「あら、それは嬉しい事を聞けましたわ。その言葉……忘れないで下さいましね?」


 果凛は喜びに満ちた微笑を浮かべ、いつかの最期を彷彿とさせる台詞を織り成した。きっとわざとなのだろう。目の奥がどこかからかいを帯びている。

 その台詞を言われたら、俺だって返す言葉は一つしかない。


「ああ……わかった。忘れないよ」

「約束、でしてよ?」


 異世界テンブルクで最後に交わした会話をこちらの世界俺の家のリビングで再現してみせると、もう一度互いに唇を寄せ合った──


(第一部 了)



 

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