第51話 戦いの終焉

「ほ、本気を出していないって、どういう事だよ⁉」


 これまで撮影に徹していた松本が、思わず声を荒げた。

 変声機のスイッチを入れ忘れたのだろう。普通に地声だが、動揺のあまりそれにも気付いていないらしい。


「どうもこうもありませんわ。言葉通りでしてよ」

「前にも俺と果凛で話してただろ? ミノタウロス如きじゃって」


 俺と果凛は笑みを交わして、松本に説明してみせる。

 そう、以前大正フラミンゴのふたりを助けようと地下九階層で相まみえた時だ。果凛は炎魔幻獣イフリートを召喚し、一瞬で一体目のミノタウロスを消滅させ、その直後に俺はもう一体の首を撥ね飛ばした。

 その際に、果凛はもう少し苦戦を装う演出をした方が映えるのでは、と言ったのに対して、それ以前の問題だと俺は答えた。ミノタウロスとミノタウロス・リーダーでは力不足でこちらが苦戦を装う事さえできない、と。


「今回の血骨鬼さんは演出ができる程度には力をお持ちになられていましたので、少々苦戦を演じてみましたの。お楽しみ頂けまして?」

「良い絵が撮りたかったんだろ? 乗ってやったんだから、感謝しろよ」

「そ、そんな……じゃあ、まさか……」

「ええ、もちろん──倒そうと思えば、いつでも倒せましてよ」


 果凛の嗤笑を前に、松本はわなわなと震えた指でこちらを差していた。もはや、自分のカメラマンとしての役割を忘れているようだ。

 だが、良い絵を撮る、という意味ではとても良い役割を果たしている。悪巧みをする小悪党が痛い目に遭うというのは、どんなエンターテインメントでも王道だからだ。さぞかし俺達のチャンネルの視聴者は喜んでいる事だろう。

 俺は言った。


「なあ、松本俊彦まつもととしひこ。そろそろ覚悟した方がいいんじゃないか? お前がやった事は、治外法権のダンジョンだからって許される事じゃない。俺達を殺して金を得てその金で海外に高跳びとか考えてたのかもしれないけど、そんな事させっかよ。お前はこれから冷や飯を食らいながら、裁きの時を待つんだ」

「く、くそ……くそ! ふざけるな! そんな事あるわけないだろ!」


 松本はカメラを持っていない方の手でぶん、と振ってから、その手を上空へと掲げて続けた。


「い、出でよ、我がしもべよ! 血骨鬼が再生するまでの時間を稼げ!」


 その声と共に、空中からミノタウロス・リーダーとその配下のミノタウロスが六体、更には妖怪っぽい妖魔も数体現れた。左右に六体ずつの合計十二体、これが松本の手持ちの駒なのだろう。

 そういえば、先程血骨鬼もいきなり上空から降ってきたし、どうやら〝調教者テイマー〟の能力の一つに従魔を異空間に収容する能力があるようだ。その能力で魔物を収容しつつ、海外のダンジョンでも同じ事をするつもりだったのだろうか。


「あらあら、必死ですわね。諦めの悪い男性は女性に嫌われましてよ?」

「ま、今更こんな雑魚を出されたところでって感じではあるけどな」


 俺達は背を合わせる形でそれぞれ左右の敵の方を向いて、魔物に相対する。

 そして──俺は瞬く間にミノタウロス達の背後まで数十メートル先に移動し、魔物達が反応する前に彼らを瞬殺。一方の果凛は指先から〈死煌砲デッドグリッター〉を次々と放っていき、もう片側の魔物を全て屠った。


「さあ、もっともっと足掻いて下さいまし。これでは退屈ですわ。せっかくわたくし達をご招待して下さったんですもの。まだ楽しませて下さいますわよね?」


 果凛は愉悦に満ちた悪魔の笑みを松本に向けた。

 今更ミノタウロス如きで俺達の行く手を阻めるわけがない。それこそ、血骨鬼を二〇体くらい用意しておかないと。かといって、その数を用意されたらされたで、出力を少し上げれば結果は大差ないのだけれど。

 異世界の元勇者と元魔王を舐めてもらっては困る。


「あ、ああ……」


 松本は絶望感からか、両膝を地面に突いた。

 戦意喪失といったところだろうか。


「あら……? もしかして、本当にもう弾切れですの? それでは、本当にしまいますわよ?」

「まあ、そのカメラでせいぜい最後の絵を撮ってろよ。それが俺達からの餞さ」


 言ってから果凛の方を向いてみせると、意図を察した彼女が「お任せ下さいまし」と頷く。

 彼女は魔力を高めていくと、空中に炎の魔法陣を描いた。


「さあさあ、おいでなさい──炎魔幻獣イフリート!」


 あの日と同じく彼女が高らかに歌うと、空中に描かれた炎の魔法陣からブラックホールが生じてその中から炎を纏った巨漢──炎魔幻獣イフリートが現れる。

 炎魔幻獣イフリートの出現に、まだ再生がおいついていない血骨鬼は絶望の表情を浮かべる。


「……腹……減っだ……死にだぐねえ……」


 血骨鬼は餓鬼のように泣きそうな顔になりながら、自らの欲求と許しの嘆願を述べた。

 だが、人食い妖怪に与える情などもちろんない。


「苦しいんですの? 安心して下さいまし。あなたの人生は、今日で終わりますわ。ゆっくりとお休みなさい」


 果凛は艶やかに笑って血骨鬼にそう宣告する。


「それでは、今宵も煉獄の宴へと皆様をご招待いたしますわ。どうぞお楽しみ下さいまし」


 果凛は雅やかな仕草で腕を舞わせると、炎魔幻獣イフリートが響き合うように咆哮を上げた。それに続き、空へ向かって灼熱の光線が放たれる。


「蒼真様!」

「おう!」


 彼女の声と共に俺は踵を蹴り上げ、剣で炎魔幻獣イフリートの灼熱を受け止めた。剣の柄を通じて、手に炎魔幻獣イフリートが伝わってくる。俺は一気に息を吸い込み、目を閉じ、炎の力を体内で調整しようと試みた。空中でしばらくの間炎を纏い続けていると、次第にその炎は青く、紫へと変化していった。


 ──二度目でも慣れない熱さだな、ほんと。


 あまりの熱さに笑えてくる。

 でも、だから何だというのだろうか。どれだけ熱かろうが、痛かろうが、俺には関係ない。俺の身体は、どんな痛みや苦痛にも耐えられてしまうのだから。

破壊不可アンブレイカブル〉──絶対無敵の能力。そして、この能力を持つ俺だけが、この世界で果凛と配信ワルツを踊れる。

 各筋肉が緊張し、五感が研ぎ澄まされた。風と炎の音、石畳の匂い、空気の揺れ、熱、すべてが俺の意識の中に深く刻まれていく。

 俺の目は、血骨鬼を捉えていた。その動き、そして恐怖に染まった眼差し。

 血骨鬼も俺をしっかりと見ていた。炎魔幻獣イフリートの灼熱を纏った剣を掲げる姿を、恐怖と畏怖に満ちた表情でただ見つめていた。

 静寂。灼熱の炎と炎魔幻獣イフリート、そして血骨鬼。全ての音が途絶え、まるで時間が止まったかのように、ただ俺と果凛、そして灼熱の剣だけがそこに存在していた。

 肺が新鮮な空気で一杯になるまで、深く息を吸う。その息を吐き出すと同時に、俺は剣を高く掲げた。元魔王の恋人の隣に立つ男として相応しくあるよう、優雅で、力強く。

 俺の声は風を切り裂き、洞窟に響き渡った。


「〈炎舞踊インフェルノ・ブラスト〉……!」


 その瞬間、全てが静止するように感じた。

 放たれた灼熱の剣とは裏腹に空気が凍りつき、時間がゆっくりと流れ、周囲の景色が鮮やかになっている。そして、その静寂を破るかのように、剣から炎の光が放たれた。

 灼熱の光は洞窟内の暗闇を照らし、全てを白く、赤く染め上げる。まるで太陽そのもののように輝き、その美しさは言葉で形容することができない。

 俺は力強く、剣を振り下ろす。空気が割れ、強烈な光が血骨鬼に向けて放たれた。その光は一直線に伸び、何もかもを吹き飛ばす。

 爆発のような音が耳を打った。三〇階層そのものが震え、強烈な光が洞窟内を満たす。

 血骨鬼は叫び声を上げる事も叶わず、灼熱の光によってその身を焼かれ、瞬く間にその姿を消した。彼がいた跡地には、灰と煙が立ち昇るだけだ。

 俺が再び剣を下ろすと、静寂が戻り、洞窟内の景色が視界に戻ってくる。三〇階層には、静寂と破壊された風景が広がっていた。

炎舞踊インフェルノ・ブラスト〉の影響で鳥居や祠まで消し去ってしまっていたが、その祠の下から三十一階層へと続く新たな階段が姿を見せていた。

 どうやら、ボスを倒すと新たな階層が出現する仕組みになっているらしい。

 果凛は信頼と愛情に満ちた眼差しでこちらを見て、少しおどけたように言った。


「さすがですわ、蒼真様。あなたを見ていると、身体が火照ってしまいますわ」

「そうか? こっちは火照るどころか手が焼け落ちたかと思ったけどな」


 俺と果凛はそんな軽口を交わしつつ、松本へと視線を移す。〝調教者テイマー〟松本はカメラを落として膝から崩れ落ち、呆然としていた。

 そんな彼の前に立って、俺と果凛はの言葉を掛けてやる。


「松本さん、でしたかしら? あなたも随分とくだらない遊びに命を張りましたのね。わたくし達の出演費、高くつきましてよ?」

「勝手に名前を出された挙句、そっちの都合に合わせていきなりこんな奥深くまで来る羽目になったんだ。当然それ相応のモノは支払ってもわらなきゃ、割に合わないよな?」

「もちろんですわ。とりあえず前金として……その吹けば飛ぶほどの安い命でも頂けますかしら?」

「ヒィッ……!」


 果凛が悪魔の笑みを浮かべて顔を寄せると、松本は泣きそうな顔で情けない声を上げた。

 果凛はそんな松本を見て、その笑顔に毒のような妖艶さを広めていく。


「滑稽ですわ。滑稽ですわ。これまで散々殺しておいていざ自分の番が回ってきた時に怯えるだなんて……おかしいと思いませんこと? わたくし達と命のやり取りをするという事は、そういう事ですわよ?」


 その悪魔の微笑のまま、元魔王のカノジョは自らの指先に〈死煌砲デッドグリッター〉の光を燈し、松本の額に押し付けた。


「た、たすけ……ごめ……たすけて……ください……」


 松本は俺に助けを求めるような視線を送って、贖罪の言葉を喉から絞り出す。

 もちろん、一笑に付してやった。


「何を今更俺に助けを求めてやがんだよ? 急上昇にも載って、承認欲求も満たせた上に糞ッ垂れた趣味も存分に楽しめたんだ。もう後悔はないだろ?  捨て値でりを始めやがったのは、松本……お前自身だからな?」

「ええ──ここで落札ですわ。さようなら」


 果凛が俺の言葉を引き継いで指先に魔力を込めると、閃光が部屋に満ちて爆発音が地下三〇階層に響き渡る。

 光が収まると……俺達の足元には、小便を垂らしながら気を失っている松本の姿があった。もちろん本当に〈死煌砲デッドグリッター〉を放ったわけではなく、ただ音と光で驚かせただけである。果凛が殺意を持っていない事など、最初からわかっていた。


「さすがは元魔王。ここまで演技派だとは思ってなかったよ」

「蒼真様こそ、ちょっと悪役が過ぎませんこと? 今後のブランディングに影響が出てしまいましてよ」


 俺達は相変わらずの軽口と微笑を交わし、空中を浮遊するスマホとタブレットに向けて手を振ってやる事で、戦いの終焉を知らせる。

 こうして、そまりんカップルと血骨鬼の戦いは終わった。この戦いを通して、俺達がまた鬼バズりしてしまった事は言うまでもない。

 今夜の配信は一日に何度も鬼バズを生み出した神配信としてDtuber史に語り継がれる事となるらしいが、俺と果凛にはもちろんそんな自覚などあるはずがなかった。

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